第四章 (3) この間の話

 帯刀雪がその病院を訪れたとき、三善は喫煙所で黙々と煙草を吸っていた。傷によくないとは分かりつつも、こんがらがる頭の中を整理するにはこれが一番だった。


 彼の横にある吸い殻入れに目を向けると、同じ銘柄の吸い殻がまるで大輪を描くかのように捨てられている。きっと、否、間違いなく犯人は同一人物である。


 帯刀はそんな三善を見て、思わず苦笑した。


「みよちゃん。ダメだ、そんなもん吸っちゃ」


 現在進行形で吸っている分をあっさりと取り上げられ、三善は不服そうな顔で帯刀を見上げる。仔犬のようだと自負している丸い瞳をじっと彼に向けたが、非情にも、火を点けたばかりのそれは灰皿へ放り込まれてしまった。


「ああ、もったいない。最近高いんだぞ、これ……」


 嘆く三善をよそに、帯刀は涼しい顔をしている。


「いっそのこと禁煙すればいいじゃないか。もう一箱分は吸ったんだろ、十分じゃないか」

「うぐ……」


 確かにこの数時間で相当吸った気がする。一応帯刀が来るまでという条件を自分に課してここに籠っていた訳だから、これ以上吸い続ける理由はないのだが。

 大人しく煙草の箱を胸ポケットに突っ込んだ三善に、帯刀はようやく本題に移るべく口を開いた。


「――それで、みよちゃん。この間の話、聞かせてもらおうか」


***


 ――“憤怒Ira”の話をしたい。


 そう切り出したのは三善だった。

 どうしても全てを知っている人物にきちんと話しておきたかったし、なにより真実に一番近そうな位置にいるのがこの帯刀という男だ。ヨハンもある程度認知しているようだが、まだ彼が現れた真の目的を聞き出せていない以上無駄な話はしたくない。そんな思いで、三善は帯刀を呼んだのだった。


 ふたりは場所を変え、今は病院の外にあるベンチに腰掛けている。彼らの目の前では、小さな子供が看護士と共に散歩していた。車いすを押してもらい日向ぼっこしている入院患者もいる。


 ふ、と息を吐き出し、三善はベンチの背もたれに身体を預けた。


「――実のところ、『一〇〇九三回今回』正しく記憶を持ち越せたのは“憤怒”だけということらしい」


 帯刀はその隣でじっと三善の話に耳を傾けている。

 話の大半は先日ロンやリーナに話したものとほぼ同じ内容である。今回はそれに加え、「箱のことはどうでもいい」と言われたこと、『一〇〇九二回目前回』の末路は三善自身が『契約の箱』を開匣したこと、“憤怒”は『終末の日』肯定派だが、『箱』を開匣することによる『終末の日』到来は望んでいないこと等を付け加えた。


 ふむ、と帯刀が小さく唸って見せる。


「それで刺されたのか、みよちゃんは」

「ああ。要するにおれの存在は邪魔でしかないんだと。まったく、兄弟だからって容赦のない……」


 三善は渋い顔をしながら脇腹をさすった。


「ええと、みよちゃん。兄弟云々はここでは追及しないからな。しかし、そうなると少し妙だな」


 帯刀がぽつりと呟いた。その反応に、三善はきょとんとして首を傾げて見せる。


「なに?」

「“憤怒”は大司教の居場所を知っていて、条件付きとはいえ彼とみよちゃんを引き合わせる意思はあった。結果としてみよちゃんが捨て身で“憤怒”を浄化したからそれは叶わなかった訳だが、一体なんでそうさせようとしたんだろうな」

「なんでって……」

「俺が“憤怒”の立場なら、そんなまわりくどいことをせずにみよちゃんを抹殺するね。だってそうだろ、今回一番厄介なことをしそうなのは姫良三善、君しかいない」


 そこまでばっさりと言われてしまうと、何も言い返せない三善である。ぐっと言葉を詰まらせ、ついつい黙り込んでしまった。


「ここで議論しておくべきなのは、“憤怒”がどのようなかたちの『終末の日』を最善と思っていたのか、だな。俺は一度基本に立ち返る方がいいと思うが、みよちゃんはどう思う」

「……そうだな。そうしたほうがいいだろうな」


 うん、と帯刀は短く頷くと、三秒ほど間を空け口を開く。


「そもそも『終末の日』という現象は、『契約の箱』という釈義が発動した時に起こる事象だ。この釈義が発動すると、あらゆる物質が『塩化』し、同時に任意のタイミングまで『時間が遡行する』。後者は大司教による後付けの能力だから、本来の能力は前者だけ。すなわち、広い意味で捉えると『終末の日』とは世界が『塩化』することにより『万物更新の時』を迎えることだ」


 ここまではいいか、と帯刀が尋ねた。三善はのろのろと頷き、その唇を動かした。


「“憤怒”が『箱』を開匣することを求めていない、という発言から、少なくとも“憤怒”が望む『終末の日』に『時間遡行』は含まれていない訳だ」


 その通り、と帯刀は己の首筋を擦りつつ言い放った。彼がこの仕草を見せる際、決まって脳をフル回転させている。今回も例外でなく、彼はその頭脳で何パターンもの事象を想像しているのだろう。


「したがって、一番に考慮すべきは『第一回目』の遡行だと思われる。この遡行が繰り返し行われることになった原因は、大聖教のとある司教が大司教を唆し、『白髪の聖女』が『契約の箱』を開くようにしたからだと聞く。そうすると話がずれて聞こえないか?」

「……“憤怒”が望む『終末の日』はしている、と」

「その通り。だからこそ、ここで俺はひとつ仮説を立てようと思う。“憤怒”が言う『終末の日』は、イコール『塩化』現象ではない」


 あまりに帯刀がはっきりと言うので、三善は思わず瞠目した。


「というより、事象の収束地点が『塩化』現象より一歩向こう側にあるのだろう。“憤怒”にとって、『塩化』現象はただの通過地点だ」


 そう考えるのが自然だろ、と帯刀は付け加え、右手で目の上を覆う。のろのろと息を吐き、疲労を少しでも軽減させようとしているのが見て取れた。

 三善は立ち上がり、近くの自販機でソーダを買って帯刀に渡してやる。帯刀は礼を述べ、右手でボトルを開栓した。


「そう考えると、今回のみよちゃんの立ち位置は少し変わってくる。今までのみよちゃんは『契約の箱』を操る能力者という認識でいたから、正直なところ、君と橘君だけを見ていればどうにかなるような気がしていた。でも、今自分で話していて気づいた。違うんだ。もしかしたら俺たちは大きな勘違いをしているかもしれない」

「つまり、おれは『契約の箱』を管理するだけの存在ではないと」

「そう、その通りだ。だからこそ“憤怒”はみよちゃんと大司教を会わせようとしたのかもしれない」


 あくまで“憤怒”が言うことが本当に正しい情報であるとすればだが、と帯刀は付け加え、ボトルを煽った。


「なんにせよ、大司教と会うという目的だけを見れば俺たちが目指すところと大差ない。いい情報だよ、みよちゃん。ありがとう」


 そこまで言ったところで、帯刀は三善の様子がおかしいことに気が付いた。否、妙に物思いにふけっている時点で既におかしいとは思っていたのだが、それにしても今日の三善は口数が少ない。たいてい、このような話をするために三善と会うと彼はもう少し饒舌になるはずなのだ。


 みよちゃん? と帯刀が微かに首を傾げると、三善は震える声で呟いた。


「ゆき君。おれは、どうするべきだろう」


 ぴたりと、帯刀が動きを止めた。


「……ごめん。最近いろいろあったから、どうにも思考が追いついていないみたいだ。そうか、そうだよな。まずは親父に会うことを考えた方がいいんだよな」


 はは、と三善は乾いた笑みをこぼし、それから手にしていた缶コーヒーのプルトップを捻る。一口喉へ流し込むと、中途半端な甘みが口内を刺激する。あまり美味しくはないが、缶コーヒーに美味しさを求めても仕方がない。微かに感じる鉄臭さに顔をしかめつつ、三善は突然黙り込んだ帯刀へ目を向ける。

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