第一章 (12) なんでもお見通し

「内密に……?」

 三善が怪訝そうな声色で問う。「それはどういう意味だ」

「言葉通りの意味だ」


 いよいよ橘は、隣の司教が犯罪者になるのではないかと肝を冷やしている。帯刀が持ちかけている話、内密にという部分をやけに強調しており、それがより不信感を煽るのだ。


 橘が三善へ目を向けると、彼は思案顔のままじっと押し黙っている。そして、どうにも決めかねているといった様子で尋ねた。


「それは、こいつが聞いていても大丈夫な話だろうか」

「構わない。というか、その子は今後みよちゃんと行動を共にするんだろう? であれば、逆に聞いていた方がいいと俺は思う。みよちゃんが彼に聞かせたくないのなら話は別だが」

「……、いいよ。このまま聞こう」


 三善は判断し、そう返答する。帯刀は短く頷くと、彼独特のさっぱりとした口調で言い放った。


「近々、“七つの大罪DeadlySins”がこちらに攻め込んでくると見ている。対象は“憤怒Ira”および“怠惰Acedia”だ」


 ぴくりと、三善の眉が動く。帯刀の話に興味を示したらしい。赤い瞳を帯刀へ向け、じっと腹の内を探っている。そしてそれをごまかすべく作り笑顔を浮かべたのを、帯刀はぼんやりと曇る視界で感じ取っていた。


「面白い。聞かせてくれないか」

「ああ。五年前に俺が“憤怒”を一度行動不能にしているが、ここ数か月でようやく彼に動きが見られた。とはいえ、まだ大っぴらに動いている訳じゃないんだが」


 帯刀は暫し逡巡し、それからこのように言った。


「みよちゃんは、“七つの大罪”が内部的に仲違いしているのは知ってる?」

「む」

 三善は首を横に振る。「いいや、知らない。というか、何でそんなことになっているんだ」

「既に五年前の段階で“傲慢”と“憤怒”、その他五人という関係になっていた。昔、聖職者だけを襲う連続通り魔っていたろう。あれの正体が“憤怒”なんだけど」

「ああ、それはトマスから聞いた」

「そうか、なら話は早い。"憤怒あいつ"の真の狙いは『終末の日』を引き起こすことだ。その他五人は逆に、『終末の日』を阻止しようとしている。“傲慢”は……、この際どうでもいい。今生のうちは現れることはないだろう」


 これが前提、と帯刀は言う。


 三善はじっと彼の話に耳を傾け、時折ゆっくりと瞬きをした。その頭の中で彼の言うことを整理しているのだろう。いつにも増して真剣な面持ちでいる。


「当時“憤怒”は俺から『契約の箱』の所在を聞き出し、それを扱うことのできるみよちゃんを誘拐するつもりでいたらしい。最終的に『契約の箱』が手に入った段階でみよちゃんにそれを開匣させ、『終末の日』を到来させる。ざっくり言うとこんな感じのシナリオだ。ところが、俺がそれを妨害したため、しばらく“憤怒”は動けなかった」

「……、なんとなく分かってきた。次に“憤怒”が行動を起こすときは、別の手段で『契約の箱』を開匣させようとする。そういうことだろ」

「ああ」

 帯刀が頷く。「そこで登場するのが、今エクレシア内で話題に上っている『パンドラの匣』だ」


 そのとき、まるで話の腰を折るかのように注文していた料理が並び始めた。


 色とりどりの野菜が用いられた前菜だ。視覚的に食欲をそそるそれを目の当たりにしたところで、三善はようやく空腹を思い出したらしい。胃が小さくきゅるきゅると鳴った。


「し、失礼」


 三善、思わず赤面する。


「いいよ、長距離の移動をしてきたんだ、お腹も空くだろう。気を遣わせて悪かった」

「ゆき君も美袋さんも、今回は札幌から出られないんだから仕方ないでしょう。そういうことならおれはいつでも駆けつける」


 話は一旦打ち切られ、手を合わせたのち四人は食事に手をつけ始める。

 食事のときは仕事の話をしない。これが三善と帯刀の間にある暗黙のルールで、それを理解している慶馬も必要最低限の話しかしないように心がけていた。手袋をはめた左手がフォークに伸びる。一度妙な震えを起こしたが、ゆっくりと指をフォークの柄に乗せ、そっと取った。


 帯刀はそれを見て見ぬふりをしている。


「ところで、ええと。橘君と言っただろうか。君の話を聞きたいな」


 黙々と二人の顔色を窺っていた橘は、帯刀に唐突に話を振られ思わずどきりとした。握っていたフォークを一旦置き、ためらいがちに答える。


「え、俺……僕の、ですか?」

「俺、でいいよ。みよちゃんと一緒にいるってことは、結構苦労しているんじゃない?」

「ゆき君」

 間髪入れず三善が口を挟む。「それ、どういう意味?」

「そのままの意味だ。みよちゃんは昔から破天荒で……」

「む……」


 なぜこの場所でホセのような小言を言われなくてはいけないのか。三善は小さく息をついた。


***


 外にちょっとした庭があることを教えると、慶馬は案内がてら橘を連れて席を離れてしまった。この席に残るのは、今、帯刀と三善の二人だけである。彼らの前に置かれ湯気を立ち昇らせているのは、琥珀色をした食後の紅茶である。


「……さすが美袋さん。空気を読んだね」


 三善が苦笑しながら目の前の帯刀に笑いかけた。張り付いたような、わざとらしい笑いである。その証拠に目は笑っていなかった。


「席を外してもらった方が都合がいいのでは? さっきの反応でそう思っただけなんだが」

「本当に、ゆき君には何でもお見通しだなぁ」


 そう、できれば残りの話はこの二人だけで進めたかったのだ。

 慶馬ならともかく、この場に橘がいることは不都合だった。帯刀が『パンドラの匣』について触れた瞬間、三善は何故かそう思ってしまった。


 彼の前で、『パンドラの匣』――件の御陵市の話をしてはならない。


 それに気づかない帯刀ではない。だからこそ、さりげなく会話で誘導し彼らに席を外してもらったのだった。

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