怠惰の緑の弓

序章 Ou allons-nous?

 一番新しい記憶は『海の底』。


 流れに翻弄されつつ宙を仰ぐと、己の唇からこぼれ落ちる銀の水泡と共にきらめく白金の天井が見えた。混じりっ気のない、無垢な光である。その光は雲の間から降りる天使の梯子のように細い帯となり、水流によりかき乱された。


 がぼ、と妙な音がした。口の中に海水が浸入したのだ。塩辛い味と氷のような冷たさが一気に身体に流れ込む。


 その時ようやく、己の中に恐怖という名の感情が浮上してきたのだった。


 最高のディープ・ブルーの中、沈んでゆく身体。

 ガリラヤの湖の上を歩こうとし溺れてしまったと同様に。今もまた、その身体は大いなる水に支配されようとしていた。


 ああ、神よ。


 その時、咄嗟に思ってしまった。そう考えてしまった。願ってもどうせ、こんな願いは聞き入れてくれないはずなのに。それでも僅かに残る期待にすがりついてしまう。


 まだ、ここで死ぬ訳にはいかないのだ。


 真白な閃光を放つ水の空に、その右手を伸ばした。届かないと知っていながらも、そうさせる何かがあった。


 大きく開いた指先から光がこぼれ落ち、目の自由を奪った。



 わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給いし――



 その瞬間、世界は再び『上書き』された。


***


 D’ou venous-nous?

 我々はどこから来たのか?


 Que Sommes-nous?

 我々は何者か?


 Ou allons-nous?

 我々はどこへ行くのか?



 贋物の世界で贋者を演じるは、いつか気がつく日が来るのだろうか。

『贋物まみれの世界では、それすらも真実になる』ということを。


 だから敢えてもう一度問う。


 D’ou venous-nous?

 我々はどこから来たのか?


 Que Sommes-nous?

 我々は何者か?


 Ou allons-nous?

 我々はどこへ行くのか?



 ほんとうのこたえは、さあ、どこにある?

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