八月七日 7 (2) 唯一のプロフェット
***
その頃、修道女・
「待ちに待った司教がやってくる」という話を聞かされた時からこの緊張は続いており、当分の間はその状態が続くものと思われた。
というのも、彼女は司教就任の話と同時にその司教がプロフェットも兼ねていると聞かされたからだった。
この支部、実はプロフェットとして勤務する聖職者は彼女しかいない。プロフェットが複数必要な事態に陥った場合は、遠く離れた札幌から司教ごと呼び出すこともしばしばである。何度本部に直訴してもプロフェットの数を増やしてもらえず、今日に至るという訳だ。
これは嬉しい。嬉しすぎて、告知を受けた日は眠れなかった。今まで一人で“七つの大罪”と戦っていた彼女にとって、その告知は福音と等しいものであったのだ。
しかし実は彼女、この司教がどんな人物なのかという情報は何も聞かされていなかった。ただ小耳にはさんだのは、最年少で司教になったエクレシア史上の天才ということ。その他には、出掛けにイヴが教えてくれた「彼の瞳は炎のように真っ赤な色をしている」ということのみである。
そんなエリートを迎えに行くのだ。きっと人間性も優れていて爽やかで、好青年もいいところなのだろう。恐ろしくかっこいい人物が現れたらどうしよう、自分はおそらく卒倒してしまう。一応修道女とはいえ年頃の少女である、かっこいい男性は好きだ。
その時、風が彼女の頬を撫でるように吹きつけ、独特の灰色の髪をふんわりとなびかせた。聖職衣が揺れる。
ふ、と息を吐き出すと、なぜか唐突に煮え立っていた頭が冷えた。ほんの少し冷静になった頭で、「ちょっと待てよ」と先程まで考えていたことに突っ込みを入れる。
――あまりかっこいいと、ロンの奴が喜ぶからそれはそれで困る……。
同僚のロン・ウォーカーはここだけの話、老若男女問わず、美しいものが好きだ。
それでよく神父になったものだ。本人曰く、俗世から離れて煩悩を断ち切ろうとした結果がこれらしいので、こればかりは、どうしようもないというか、なんと言うか……。幸い、彼のお眼鏡に適うような人物はなかなかいないので心配はしていないが。
そこでふと、妙な気配に気がついた。
リーナがゆっくりと振り返ると、大分遠くの方で、ひとりの女性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。長い黒髪を垂らし、うつむいているため表情はよく見えない。しかし、どことなくぞくりと背筋が震えるような感覚がある。
ものすごく嫌な予感がした。
リーナはその彼女をもっとよく観察してみることにした。女性は今も尚ゆっくりとこちらに近づいてくる。彼女がまとう空気が、他とは違う淀み方をしている。
間違いない。
あれは、“七つの大罪”、第二階層。
「『
彼女の灰色の瞳が祝詞を唱えた刹那、赤銅へと変色し始める。揺らめいた光彩が捉えたのは女性の髪の色である“
そう、彼女の対価は「色」だった。
その時である。
突如前から歩いてきた女性がリーナめがけて飛びかかってきた。異常ともとれる女性の長い爪はまるで鉤爪のように鋭く、その切っ先を左胸に突きたてようとする。
咄嗟に受け身をとり、リーナはすぐに祝詞をあげた。
「『
首から下げた十字が銀色の炎と化し、彼女の手の中で変形してゆく。炎が収まったころ、その銀十字だったものはシルバー・パーツの銃器へと変貌を遂げていた。これが彼女の釈義、『金属変換』。化学系釈義の典型である。
しかし武器を手にしたリーナは、すぐに女性を撃とうとはしなかった。否、直接撃つことができずにいた。むやみに撃てばこの女性の身体に傷がついてしまう。それが分かっているからこそ、すぐに攻撃することができなかったのだ。
かつて“七つの大罪”は階層が下の者ほど昆虫のような形をしており、非常に扱いやすかった。しかし今は違う。階層が下の者も、自身の身体を捨て人間に寄生していることの方が圧倒的に多い。それを対処できるのが、神父の中でも特別「悪魔払い」を行うことを許される人物――司教なのである。
どうしてこう、タイミングが悪いのだろう。リーナは小さく舌打ちした。“七つの大罪”と身体を引き離す効果がある札はあるが、うまくいく確率はかなり低い。運が悪ければ、その身体を傷つけるだけで終わってしまうかもしれない。
そう考えている間にも、女性は髪を振り乱しながらこちらに飛びかかってくる。異常に長く伸びた爪が、リーナに向かって突きたてられる。
リーナはすぐに照準を合わせ、その爪を撃ち抜いた。光の弾が流星の如く流れてゆく。数本分の爪が砕け落ち、乾いた音を立てて落下した。しかし、すぐに爪は再生し元の長さに戻ってしまう。
「『……プロフェット……』」
女性が小さく呟いた。
「かわいそうに」
再びリーナの銃が女性の爪を打ち砕く。しかし爪の再生する速度は異常なまでに速い。装填が間に合わない。
女性が猫のように高く飛び上がり、その長い爪をリーナに向けた。
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