第五章 (9) すぐ分かる偽者

***


 次に三善が目を覚ました時、彼はエクレシア本部・北極星ポラリスの救護室にいた。見慣れた白い天井にカーテンを通すための銀色のレールが走っている。毎度おなじみと言うべきだろうか。少し硬いベッドに身体を横たえ、三善は何を見るわけでもなくぼんやりとしていた。


 今まで何をしていたんだっけ。


 そう考えたところで、ようやく三善はホセに秘蹟を施したところまでは思い出した。しかし、それ以降はさっぱり思い出せない。秘蹟を施した後にすぐ意識を失ったのかもしれない。


 そのままの体制で枕元を探ると、あの日ポケットに放り込んだままにしていた携帯電話が転がっていた。ディスプレイに目をやると、日付は十二月二十五日。あれから丸一日が経過していた。


 三善は再び携帯電話を枕元に置き、仰向けのままぼんやりと白い天井を見つめていた。あの日のように全く力が入らないという訳ではなかったが、どうもすさまじい眠気がだるさを併発させ、動き回りたい気持ちを見事に阻止していた。


「よう、起きたか。ヒメ」


 しばらくぼーっとしていると、誰かが救護室に入ってきた。

 ケファだ――と思ったのだが、すぐに気がついて三善はそっぽを向いてしまった。


 なぜなら、その人物はケファに化けたトマスだったからだ。


「本当に騙されないな、お前は」


 けたけたと愉しそうに笑う彼だったが、不機嫌そうな三善の表情を見てすぐに笑うのをやめた。これだけ人の顔を見てつまらない顔をされると、意外と傷つくものである。


「――何しに来たの?」

「おお、言うねぇ坊ちゃん。せっかくいい情報を持ってきたっていうのにさ」


 その辺にあったパイプ椅子を引っ張り出し、トマスは三善の横に座った。こうして見ると、その男の変身は完璧だ。先日指摘した箇所も今日は改善されている。それなのに、どうしてすぐに違うと気付いたのだろう。我ながら不思議だ、と三善は思う。


 外は静かだった。首を動かし窓へ目を向けると、しんしんと雪が降っている。雪があらゆる外の音を打ち消して、こんなにも静かな世界を作り出すものなのか。三善は初めて知ったと言わんばかりに感嘆の息を洩らす。


「本物の聖ペテロは、今別の部屋で療養中だ。ここからが本題」

 トマスは唐突に切り出した。「ここ数か月の間、聖職者を襲う通り魔がいただろう。あれ、解決したから。お前ももうすぐ自由に外に出られるようになるぞ」

「……うん? どういうこと?」


 きょとんとした瞳でトマスを見ると、彼は言葉に窮している様子でいた。数秒口を閉ざしたのち、ゆっくりと真意を語り始めた。


「あの通り魔の正体って要するに“憤怒”なんだけど、ちょっとを起こしてさ。今の身体が使えなくなった。だからしばらくは、奴が徘徊して聖職者を殺すことはないと思う」

「な、なるほど……? よく分からないけど」


 納得しているのかしていないのか、微妙な返答をしつつ三善は頷いた。


 ふとサイドボードに乗せてあるミネラル・ウォーターを発見し、三善はトマスにそれを取ってもらえるようお願いする。彼は親切にもキャップを開けた状態でそれを三善に渡してくれた。


「それと、お前の友達に帯刀っているだろ」

「ん、ゆき君のこと?」

「それそれ。あいつと一緒にいる美袋っつー男が怪我しちゃって、しばらくは連絡が取りづらくなると思う」


 あの美袋さんが? と三善は目を丸くしている。不謹慎かもしれないが、三善からするとあの人物は強靭な肉体の持ち主であるため、よほどのことがなければ怪我などしないと勝手に思い込んでいたのである。だからこそ意外でしょうがない。


 そんな反応をしていると、トマスは至極真面目な口調で続けた。


「たぶん、あいつらはこれからが大変になる。可能な限り、お前さんも力になってやれ。そう求められたときだけで構わないから」

「……まさかあなたからそんなことを言われると思っていなかった。大丈夫、言われなくてもそうするつもりだよ」


 三善は怪訝そうに首を傾げつつ、手にしたミネラル・ウォーターを口に含んだ。随分乾いていたらしく、冷たい感触が身体に沁み込んでいくのがよく分かる。


「……あのさあ、ひとつだけ、分からないことがあるんだ」


 三善はひとしきり満足するまで水を飲み、息をついてからそのように切り出した。


「あなたは、何度もホセに殺されていると言っていたけれど。恨みはしなかったの? いくら死なないとはいえ、痛いには痛いんじゃないの」


 その問いにトマスは面食らった顔をする。三善の言葉を借りるわけではないが、今ここで彼からそんな問いかけをされるとは思っていなかったのだ。


「その心は?」

「ただの興味」


 三善が間髪入れず答える。そしてその内容も非常にざっくりとしていたため、トマスはついつい笑いを堪え切れずに噴き出してしまった。三善はと言うと、なぜそこまで笑われなくてはいけないのかが理解できず、少し不機嫌になった。


「ああ、悪い。そのいい感じに適当なところ、嫌いじゃないぜ」


 トマスは未だこみ上げてくる笑いをようやく胸の内に抑え込み、頭を振る。


「いいや。ただの一度も、そう思ったことはないね。ただ」

「ただ?」


 トマスは哀しげに笑った。その笑い方がどことなくホセに似ていて、三善は漠然と、やはり彼は少なからずどこかで影響を受けているのだと思った。


「……ただ、あいつをあんな風になるまで責め立てた、この大聖教がひどく憎たらしい。もしもあいつが『釈義』を持たずに生まれて普通の生活を送っていたならば、あんな風になることはなかったと思う。まあもっとも、あいつが大聖教に入信しなかったら、俺と出会うこともなかったんだけどさ」

「……嫌ってはいないということ?」

「うん。むしろ好きなほうだ。今でも、多分これからも」

「そう。それならいいんだ」

 安心したように、三善は笑った。「もしも嫌いだって言ったら、『どうか嫌いにならないでほしい』ってお願いしようかと思っていたんだ。よかった」

「それは一体どういう意図なんだ……お前さんの思考はさっぱり分からん」


 いろいろ言いたいことはあったが、トマスはそれ以上突っ込まないでおくことにしたらしい。


「ま、そう簡単に嫌いにはならないだろうな」


 トマスは笑い、三善のふわふわの頭を撫でた。無骨な手に似合わない、優しい撫で方だった。

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