第四章 (7) 妬ましいほどの才

 マリアの業火がケファに襲いかかる。それをやっとの思いでかわし、彼はマリアの背後にその身を寄せた。両手を伸ばしマリアを拘束しようとする。だが、彼女の背中から隆起する鋼の翼がケファの身体を傷つけた。鈍い痛みが電流のように走る。その痛みを堪えながら、ケファの両手はとうとうマリアの身体を捕らえた。


 その目に飛び込んできたのは、星型の烙印だ。


 ケファはやはりか、と小さく舌打ちする。おそらく“嫉妬”が仕込んだものだろうが、これがある限り誰も彼女のことを傷つけることができない。“嫉妬”を浄化すれば烙印は消えるかもしれない。先ほどはそう思ったので三善に無茶振りをしてみたが、三善が『秘蹟』を展開した後も尚この状態は続いている。


 三善、と小さく呟くと、腕の中でもがく彼女を離さぬよう両腕に力を込めた。


 彼女は何度もごめんなさいと謝りながら『釈義』を展開する。あふれ出る多量の聖気に、思わずくらりと眩暈がするほどだ。


「ペテロ」

 救いを求めるように、マリアはその名を呼ぶ。「お願い、壊して。そうでなければ、司教に初期化するよう言って」


 刹那、鋼の翼がさらに大きく広がった。刃物のように鋭い翼が、ケファの左頬にうっすらと傷をつける。


「それはできない」


 ケファははっきりとした口調で言い放った。


「ペテロ、」

「――大丈夫、大丈夫だから」


 ケファは彼女の背後からそっと囁く。せめて心が安らかになればと、まるで己に言い聞かせるかのように繰り返した。


 これほどまでにひどい状況に陥ってもなお、ケファの考える選択肢には、マリアの破壊、初期化という単語は思い浮かばなかった。脳裏に浮かぶは彼女の主人だ。あれがここまで到達するのに相当な労力を割いていることは知っているし、何よりこの少女を、彼は「ひとりの人間」として見ていることも既に気づいていた。


 彼女が来日した日に議論したことを思い出す。


 ――このアンドロイド製作という議題においての最大の問題点は、ロボット開発が神の創造行為を侵食する冒涜行為と見做されるか否か。


 たとえ教義に反する可能性があると分かっていたとしても、彼は彼女とどこまでも対等であろうとした。おそらくこのプロジェクトに関わった誰よりも、あの男はこの件について深く考証し続けていたのだろう。故に彼の決断は初めから筋が通っていた。


 だからこそひどく妬ましい。あの男は常に己の先を行き、誰よりも早く全ての世界を目の当たりにする。人がその境地にたどり着くために費やす膨大な時間を、彼は容易く跳躍していくのだ。


 ケファは短く息をついた。


 ならば、最善の解はもう用意されているようなものだ。


 三善が大司教と代わらずに同じだけの能力を行使できると理解したのは、つい一時間ほど前。この場所に向かう途中に放った聖火を見てのことだ。元々三善は『解析トレース』を行使できる能力がある。あらゆる釈義はその脳内で数式に置き換えられ、解を求めればそれと同等の能力を再現できる。権能が足りずとも『秘蹟』を行使できたのは、無意識に解析した結果と考えて差し支えないだろう。


 もうひとり、妬ましいほどの才を持つ少年の名を呼ぶ。


「三善!」


 それはちょうど三善が『釈義』を展開し、ケファのほど近くまでやって来たところであった。三善は凛とした面持ちで浮上すると、ちらりとマリアを見た。


「教皇……」


 彼女はのろのろと首をもたげ、か細い声を上げる。予想外にひどい状態なのだと、このとき三善はようやく理解した。


「もう一度、秘蹟を行使する余力はあるか」


 暴れるマリアを必死で取り押さえつつ、ケファは尋ねた。


「僕が?」

「お前以外に誰がいる!」


 ケファの怒号にも似た声が三善をせかす。

 三善は涙目になりながら、眉をぐっと下げた。「さっきのはたまたま偶然」と言いたかったが、そう主張すれば確実に叱られる。


 しかし、だが、しかし。


 三善は無意識に首に下げた十字架に触れた。傷だらけの銀十字、その表面を指先でなぞると、不思議と気持ちが落ち着いてゆく。


 この傷を一緒に背負うと決めたのはどこのどいつだ。そんな声が、胸の内に何度もこだましている。


 三善はそのまま銀十字を握りしめた。


「――あと一回なら、大丈夫。体も持つと思う」


 塩の翼をはためかせ、高度をゆっくりと下げてゆく。

 とにかく、マリアを停止させればよいのだ。うまくできないかもしれない。しかしなにもしないよりは、断然いい。

 記憶にぼんやりと残る、もう一人の“自分”が起こす『秘蹟』の効力が届く範囲まで下りてきた。自分の容姿ととてもよく似た少女が、はらはらと涙の滴をこぼしている。

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