第三章 (6) ひみつ

 驚く、なんてものではなかった。それは遠目でも、そして視力の落ちている帯刀でも分かる異変だ。


 町が、徐々に灰と化している。


 非常に緩やかな速度ではあったが、街路樹、建物、車、あらゆるものが少しずつ灰と化し、脆く崩れていく。そしてその中心部には、何か青い光を放つ物体があった。


 あらゆる物質を灰化する能力について、帯刀には覚えがあった。しかし、それはあり得ない。何度考えても、今起こっているこの現象は説明ができない。


 だからこそ、帯刀は思わずこう表現してしまった。


「なんだあれ」


 慶馬もじっとそれを見つめるが、それが具体的に何かまでは判別できなかったらしい。ただ、その炎から発せられる聖気はどことなく知っているような気がした。

『釈義』ということは、教会関係者に違いはないが。


 まさか、と帯刀は思う。


「――その前に、」


 慶馬が背面に手を回し短銃を抜いたのと、帯刀が立ち上がり腰に下げた模造刀に触れたのはほぼ同時だった。


「『深層significance発動』」


 そして、帯刀は躊躇いなくそれを抜く。刃が存在しない、柄までの模造刀だ。しかし、帯刀が祝詞を唱えた刹那氷の刃が出現する。凍れる切っ先はそのまま帯刀の背後へと向けられる。肉を抉る確かな手ごたえがあった。


 続いて発砲音が耳に入る。慶馬が一発撃ったのだ。


 しかし、彼らの間に僅かな衝撃が走る。


 突如現れた見知らぬ男が帯刀の刃を握っていた。その掌には深く刃が食い込んでいた。だが、傷口から血が流れているはずなのに、なぜか帯刀の『釈義』の作用「凍結化」が起こらない。


 また、慶馬が撃った弾は男の心臓に命中していた。その証拠に、彼が身に纏う黒く裾の長いコートに穴が開いている。そこから血が大量にあふれているのも確かに目撃した。しかし、微かに白い閃光が走った刹那、傷口がみるみるうちにふさがってゆく。


「おーおー。おっかないねぇ、お二人さん」


 そして、男はからっとした声色で言った。


 彼が持つ深海のごとき深いブルーの瞳に、帯刀はおや、と思う。帯刀のぼんやりと焦点の合わない世界でも分かるくらいに、その色は珍しい。どうして青の中に銀が混ざっているのだろう。それがきらきらと瞬いて、見事な光彩を放っている。まるで波間に浮かぶ白銀の泡のようである。視力が落ちてからというもの、こんなに美しい色は見たことがなかった。


 慶馬がもう一発撃とうとしていることに気が付き、帯刀は慌ててそれを制止する。


「……誰だ? というか、何者?」


 只者でないということはすぐに分かった。おそらく、プロフェットではないかと思う。しかしその出で立ちは教団側のものではない。どちらかというと、“七つの大罪”のそれに似ていた。


「ブラザー・ホセの戦友、とだけ言っておくよ」

 そして男は微笑む。「それだけの情報があれば、お前たちはすぐに特定するだろうからな」


 正体の掴めない、実に気味の悪い男だった。


 帯刀は慎重に言葉を選び、ひとまず一番初めに確認すべきことを尋ねることにした。


「敵か?」

「どちらでもない、かな。今のところは」


 とりあえずこの刀、降ろしてくれないかと肩をすくめながら男が言う。


 帯刀はまだ警戒はしていたものの、言われた通りゆっくりとそれを降ろした。降ろしただけで鞘に収めることはしなかったが。


「いい判断だ」

「お前のことは知っている。ええと、」

 帯刀はじっと考え込み、ぽつりと呟いた。「……トマス。不信のトマス。合っているか」

「お、知ってるんだ?」

 男――トマスは愉しげに笑う。「そう、そのトマスだ。そう呼ばれるのも久しぶりだな」


「しかし、なんでお前がここにいる。お前は『聖戦』の頃に死んだだろう」

「あー、ちょっと訳アリだ。なあ、頼むからあいつらの争いは泳がせておいてくれないか」


 彼は地上の青い炎を指して言った。


 帯刀はその発言を聞き、ようやく己の仮説が正しいのだと気が付いた。やはり、あれはホセと“嫉妬”が争っているために発生したものなのだ。そしてこうも思う。何らかの形で、ホセの第一釈義が発動したのではないか。ホセ本人は既に釈義を喪失しているので、おそらくはマリアによる能力ではないかと推測するが。


 しかし、だからといって放っておくわけにはいかない。この男が彼らの争いを見て見ぬふりをしろと言うのなら、つまりそれはこの男が「“嫉妬”が狙う何か」の存在に気づいているということを意味する。


 帯刀は敢えてそのことに対し一歩踏み込んでみた。


「あなたは、どこまで知っている」

「どこまで?」

 おかしなことを聞く、とトマスは首を傾げた。「それはこちらが聞きたいね。君の先代が色々とやらかしているのは知っているが、それをどこまで君たちは知っているの」

「……」


 言葉に窮していると、トマスはそれを「何も知らない」と受け取ったらしい。彼はため息交じりに一つだけ質問を投げかける。


「ああ、聞き方が悪いか。お前たち、『契約の箱』をどこにやった。カークランドが君の先代に渡しているはずだが」


 間違いない。この男は、『知っている』。


 帯刀は確信した。


 彼はじっと無言のまま、男の様子を観察する。視線で男の輪郭をスケッチし、その容貌、雰囲気を克明に記憶していく。彼の頭に記憶されている情報そのものが、恐ろしく価値のあるものだ。それは本人も自負している。慎重にトマスという男のデータを採取したのち、帯刀ははっきりと言った。


「あいにくだが、それは先代しか知り得ないことだ。多分お前が『あれ』を泳がせろと言ったのは、“嫉妬”とブラザーのやりとりを見ていれば自然に分かると踏んだからだろう。違うか」

「さすが。その通りだ」


 そこでふと、トマスが慶馬に目を向けた。「ああ、君の忠臣がそろそろ俺を殺しそうな顔をしているな。彼には一度殺されてしまったし、今日はここまでにしておこうかな。話してくれる気になったら、ここに連絡を。その際は俺からも報酬は出そう」


 帯刀の左手に小さな紙切れを握らせると、トマスは踵を返しさっさと歩いていってしまった。


 ぽかんとする帯刀はしばらくその背中を見つめていたが、ふと我にかえり男の背中に呼びかける。その声に反応し、トマスはぴたりと足を止めた。


「あ、そうだ」


 彼はゆっくりと振り返り、帯刀に手を振る。


「『帯刀雪は契約の箱について何も知らない』、という貴重な情報をもらったから、ひとついいことを教えてあげよう。今、カークランドのhunが、天使も踏むを恐れるところに片足突っ込んでいる。あれは恐ろしく聡いから、十分気を付けて見ておくといい。多分それが真実に近づく最速の方法」


 帯刀はその発言に全く心当たりはなかった。ならばせめて、と彼は個人的に気になっていることを尋ねてみた。


「お前、その身体に防腐剤でも入っているのか?」


 その問いに、トマスは人差し指を口元に当て、優しく微笑んだ。


「ひみつ」

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