第三章 (7) 的中
「“HIC EST ENIM CALIX SANGUINIS MEI,NOVI ET AETERNI TESTAMENTI”」
ホセの典文がマリアの耳に届くと、彼女のルビーの瞳がゆらりと変色する。本来聖餐の儀に用いるこの祝詞が彼女の本質を変えた。首から下げた銀十字が赤銅へ変色し、無機質な表情がより一層際立つ。
凛とした彼女の声が、この凄惨とした世界を塗り替えようとしていた。
「『
少女の亜麻色の髪が揺れる。彼女の『釈義』は今展開された。あとは狙い通り、“嫉妬”が現れるのを待つだけだ。
ホセは一拍置いて、自分の迷いを捨てるべく一度己の頬を叩いた。じんと痛み頬が熱くなるのが分かる。それからゆっくりと深呼吸すると、彼女の釈義に反応してか、その胸に残る聖痕が微かに痛んだ。
「……『契約の箱』か」
先日のトマスの言葉がフラッシュ・バックする。これが頭から離れずにいるせいで、どうも集中力に欠ける。自覚しているからこそ性質が悪い。小さいことをいちいち気にするなんて自分らしくないとも思う。
しかし、それを“大罪”側が追っているとなると話は別だ。やはり、帯刀壬生に渡さずに己の手で処分するのが良かったのだろうか。何度も何度も答えのない問答を繰り返し、ようやくホセは一つの答えにたどり着いた。
今更悩んでいても仕方がない。開き直りとも取れるが、今自身ができることは“大罪”が『契約の箱』、『白髪の聖女』の両方を手に入れることを阻止することだけだ。ならば、今この任を確実にこなすのが先決である。
「マリア」
ホセが彼女の名を呼んだ。ぴくんと身体を震わせ、マリアがゆっくりと振り向く。その瞳には、困惑の色が浮かんでいた。
「私の肋骨、きちんと作動していますか」
見れば分かることなのに、なぜか突然不安になった。だからホセは本人に直接訊いてみたのだった。
マリアはきょとんとして、自身の胸に手を当てた。そしてホセを見上げると、小さく首をかしげる。
「問題ないわ。どうして?」
「あ、いえ。問題ないならそれでいいんです」
「おかしな人ね」
さて、とホセは目の前に広がる光景に目を移した。既に中心部はもはや壊滅的と言ってもいいくらいに荒れ果てていた。元々このあたりは農業と酪農が盛んで、自然豊かな町だった。このような退廃とは無縁の場所と思っていたのに、壊れるのは本当に一瞬の出来事なのだと強く思い知らされる。
本当に彼らの狙いは正しいのだろうか。この光景だけを見れば、ただ単に殲滅戦を繰り広げようとしているだけのように思えるが。
帯刀によると、自身の背後にあるこの聖所に『白髪の聖女』を匿っていることにしているらしい。“嫉妬”が接触を図るとすれば、『契約の箱』にも『白髪の聖女』にも遭遇したことのあるホセの確率が一番高いと見込んで、彼は囮に志願した。しかし、今冷静になって考えてみれば、それとは別にもう一人危険な人物がいる。姫良三善その人である。
ホセは『白髪の聖女』と“嫉妬”、それから三善の三人を脳裏に思い浮かべ、小さく息を吐き出した。
「――来る」
その時、マリアが突然ぽつりと呟いた。
刹那。
頭上から何かが降り注ぎ、地面が大きく隆起し始めた。独特の青いプラズマが飛び散り、異常なまでの熱が身体を蝕んだ。それは水が蒸発する感覚にとてもよく似ている。ホセは喘ぎながらもマリアへ指示を出す。
「マリア!『
彼女の瞳がきらりと瞬いた。
灼熱の業火が竜のごとく空に立ち上り、その根源である“弾丸”を焼き払った。彼女の聖火に触れた“弾丸”はすぐに灰へと変換され、まるで雪のように地面へと降り注ぐ。それを見て、やはりこれはただの弾丸ではないのだとホセは実感した。
次の攻撃が二人を襲う。マリアはその背中に鋼鉄の翼を出現させ、ホセは腕に仕込んだワイヤーを用いて飛び上がり、激しい“弾丸”の雨をかわした。
――”嫉妬”のアトリビュートは“
ホセが近くにあった塀に降り立つと、すぐにもう片方のワイヤーを飛ばした。彼が狙うは一匹の蛾だ。それを捕えるとマリアが聖火を放ち燃やしにかかる。彼女の炎が夕暮れに近い空を真っ赤に染め上げた。
「『
マリアの銀十字がきらりと瞬く。それは赤銅の火花を激しく散らしながら長く長く伸びてゆき、ゆっくりと硬化する。彼女の手の中にあるのは、もはや銀十字ではなかった。全てを突き破る“槍”だ。彼女の身長をゆうに超えるその巨大な槍が、大空を舞う蛾を一掃する。
彼女がそれを振るうたび、茶色の羽があたりに飛び散る。そして雪よりも白い美しき灰が大地に降りつもった。その中で輝く銀の槍の美麗なこと。この聖女の凛とした姿に、ひたすらに目を奪われるばかりだ。
これで大方片付いただろうか。軽く息切れしつつ、ホセはあたりを見回した。
あたりはしんと静まり返っていた。時折吹き付ける風の音が聞こえるくらいで、それ以外に特別気になるような物音は一切感じられない。むしろ静かすぎて不気味なくらいだ。
「――まさか自分から現れてくれるとは思わなかった。久しぶり、カークランド」
突如聞こえた少年の声に、ホセははっとして身を翻した。
そこにいたのは金髪の少年だった。年齢はおそらくマリアの外見年齢と同じ程度。かつて“傲慢”が着ていたものによく似た、黒く裾の長い衣服を身にまとっている。その手に握られているのは、独特の形状をした銀色の銃器だ。小柄な少年には似つかわしくない武骨な代物が、ホセの目にはなんだか滑稽に映る。
それよりも、帯刀の読みが完璧に当たったことに対し、ホセは思わず感嘆の声を上げてしまった。
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