第二章 (9) 地下の奥深くへ

 それから数日後。三善の熱が完全に下がった頃、ケファは三善を呼んだ。


 ケファのいつにない真剣な表情から、三善は何かを感じ取ったのだろう。特に何かを追及しようとせず、無言で頷いてみせた。


 ついてこい、とケファは短く吐き捨てるように言い、本部の廊下を歩いて行く。


 ――大丈夫。この少年なら、きっと大丈夫。


 ひたすらに自身に言い聞かせ、ケファは息を飲む。

 早足すぎやしないだろうか。そんなことを気にして、後ろを黙ってついてくる三善を振り返ると、


「ケファ、ちょっと速い」


 彼はやや駆け足で追いついてきた。


「あ、悪い」

「歩幅が違うってことを少しは気にしてほしいよ」


 喘鳴交じりに訴える三善は、まったく、と毒づく。いつも通りの反応である。それを見て、ケファは安心する反面、やはり思ってしまうのだ。


 どれだけこの少年は、事実と向き合っていけるだろうか。彼が背負う業は誰よりも重い。まだそれは彼が背負うには重すぎて、きっと押し潰される。彼ならば大丈夫だと言い聞かせてみても、根柢にある考えは変わらない。まだ今なら引き返せるかもしれない。適当にはぐらかしてなかったことにできるかもしれない。最悪、全部捨てて二人だけで逃げるのもありかもしれない。


 しかし結局は、そんなことをしても何も変わらない。罪悪感に苛まれるのは己のエゴで、それから逃れたい一心で彼に綺麗事だけ与え続けているに過ぎない。そう自覚しているからこそ、やはり前に進むしかない訳で――。


 ケファはふっと笑い、三善の柔らかな頭を撫でてやる。彼は嫌そうに顔をしかめているが、それをやめようとは思わなかった。


 がんばれ三善。自分で追いついてこい。


 時としてその言葉は残酷に、鋭利な刃物として彼を抉るのだろう。枷になるのかもしれない。しかし、彼ならいつか乗り越えてくるに違いない。


 少なくともその時には、きっと自分はいないけれど。


 その後彼らは階段を降り、暗い廊下を突き進み、また階段を降り、と何度も何度も同じ行動を繰り返すことになる。バベルはその構造上地下への階層の方が深いということは周知の事実だが、あまりに階層が深すぎていい加減三善が疲れてきた。体調が回復した頃合いを見計らったケファの思惑を、三善はようやく理解することができた。これは確かに、万全の体調でなければ無理だ。


 どれくらい降りたのかいよいよ分からなくなった頃、ケファはポケットから懐中電灯を取り出し、目線よりやや上の方を照らし出した。そこにはぼんやりと数字のようなものと、何らかの記号が書かれている。丸の中に十字の線が入っている。そういえば、このマークを道中何度も見たような気がする。


「ああ、ここだ。ちゃんとたどり着くか自信なかったんだよなぁ」

「それ、もしも迷っていたらどうするつもりだったの」

「そのときは、黙ってエレベータに乗ったよ」

「エレベータ、あるなら何で使わないの……」


 ん、とケファは懐中電灯で照らしている箇所を指さした。


「今歩いてきた階段全部に付いていた、あの田んぼの田の字に似たマーク。あれ何だと思う」

「え? なんだろう」

「司教以上の階級、もしくは司教から許可を得た人物以外立ち入り禁止って意味。つまり、ここに至るまでの道のりは教皇庁特務機関の監視の目を免れる唯一のルートだったって訳。エレベータは他階層にも停止するから、どうしても監視対象に含まれる」


 お前も今後何か悪巧みをするならこのマークは覚えておくといい、とケファはさりげなく悪いことを仕込んでおいた。


 それは、過去に何かやらかした人が知っていることではないだろうか……。三善はそう思わざるを得なかった。ふと、そこで三善は何かに気が付いた。


「司教以上? 僕たち駄目じゃないの、位階が足りない」

「ホセから許可は貰っている」


 ケファがホセから借用したカードキーを壁に設置されたリーダにかざすと、堅く閉ざされた扉が一枚開いた。


 彼らは暗闇に一歩足を進める。しゅん、と軽い蒸気のような音を立て、先ほどの扉は閉じられた。


「……三善、この間の質問に答えてやるよ。お前は誰か、ってやつ」


 ケファはまたもう一枚、扉を開ける。

 そのとき、裾を引かれる感覚に気付き、ケファは思わず振り返った。三善が聖職衣の裾を引いていたのである。


「三善」

「……続けて」


 もう一枚、扉を開ける。この長い廊下には、三善とケファ以外の誰もいない。しんと静まり返り、時折カードを通した時に発せられる電子音だけが響く。


「まず大前提はこれだ。お前は姫良三善。それ以外の誰でもない。これは事実だし、俺もホセも保証できる。お前は、お前だ」


 もう一枚扉を開ける。ぴぴ、と軽い音がして、重い扉が開く。廊下はずっと遠くまで伸びていて、点々とダウンライトのみがぼんやりと闇を照らしていた。それが唯一の明かりで、引き返すための道しるべのようでもあった。それでも彼らは躊躇いなく前へ進む。


「お前、この場所に見覚えはないか」


 そして、最後の扉を開けた。

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