第三章 (11) 独り言
「事情は分かりました。ここからは事務的なお話をさせて頂きます。『釈義』が発覚した以上、……あなたには本当に辛い選択だと思いますが、普通の生活に戻るのはおそらく無理だと思います」
土岐野が目を見開き、がばりとホセを見上げた。彼の表情は、先程までの穏やかなものなんかではなかった。感情という感情が削ぎ落された、ほとんど無表情といって差し支えない表情。それを目の当たりにし、彼女は「どういうこと?」と不安をより一層露にする。
「『釈義』のコントロールができるよう訓練してもらわなければならないのです。あなたが聖職者にあるかどうか、という次元の話ではなく。今後普通に生活していくにしても、その能力を放置すれば、いずれ今回と同じように誰かを傷つけるだけの凶器になる。それを防ぐために、一度こちらで使い方を学んで頂く必要があります」
「それって……」
彼は短く頷いた。つまりは、隔離されるということ。日常から引き離されることを、彼は無言で伝えていた。
「――ここからは、私の独り言ですから適当に聞き流してください。私は、あなたについて上層部に報告する義務があります。でも、正直なところ迷っています。報告すべきかどうか」
その一言に、ケファがぎょっと目を剥いた。それはつまり、契約違反。しかも教会側において特に重要視されている『釈義』に関連する内容での隠匿はかなり重大な罪に当たる。それを、この男は容易く「悩んでいる」と表現したのだ。驚かないわけがない。
「あなたがこの一七年間、いろんな人に支えられ、大事にされてきたというのは見れば分かります。やりたいことも、好きだと思うことも沢山あるでしょう。私は、そんな未来ある子供に『Yes』としか言いようのない選択をつきつけたくはない。あなたはどうか自由に生きて欲しい。人の痛みが分かる子は、籠の中で飼われているべきじゃないんです。だから、あなたがそのように望むなら、私は喜んで事実を隠蔽しましょう」
少なくとも、と最後に付け加えた。「私のようには、なってほしくない」
その時、三善がもぞりと身じろぎした。ようやく目を覚ましたらしく、長い睫毛が微かに震える。一拍置いて、瞼がゆっくりと開いた。独特の赤い瞳はぼんやりと白い天井を彷徨っている。
「起きたか、このおばかちん」
よっこいせ、とケファが立ち上がり、彼の枕元までやってきた。
「ケファ」
仰向けに横たわる三善を真上から見下ろすと、彼は今どうして横になっているのか全く理解できていない様子だった。しばらくケファの顔を眺めていたら、ゆっくりとだが思い出してきたようだ。その証拠に、どうすればいいのか分からない、とでも言いたげな表情を浮かべている。自分のキャパを越えた出来事に、奇しくも出くわしてしまったからだろう。
「どこか調子が悪いところはあるか?」
「まだ、お腹が痛い」
それよりも、三善はケファがどうしてそんなにあちこち傷だらけになっているのかが気になっているようだ。ケファの表情が何とも複雑だったので、彼が怒っているのか悲しんでいるのか、それとも笑っているのかはよく分からなかった。しかし、三善はそれでいいと思い直し、ふっと息を吐き出した。
首を傾けると、三善の大きな瞳に土岐野の姿が映り込んだ。ときのさん、と三善の唇が動く。
名を呼ばれたことにとても驚いたようだ。そっと土岐野は三善の元に近づき、優しい声色で尋ねた。
「大丈夫……?」
うん、と三善は頷く。
「意外と平気」
「ごめんなさい、私のせいで……そんな姿に、」
「そんな姿って、どんな姿? 確かに身体のあちこちが痛いけれど、そんなにひどいのかな、僕は」
ひどいよ、かなりひどいと彼女は付け加えた。彼女はきっと嘘は言わないだろうから、その通りなのだろう。頭も腹部も時折鈍痛が走る。困った事態ではあるけれど、ある意味いつも通りだ。そこまで気にすることではない。三善は何とか彼女を安心させようと、にこりと微笑んだ。
「これくらいの怪我ならいつものことだから。でもちょっと、身体を使いすぎた、かな。……いずれにせよ、僕はあなたのせいだとは思っていないよ」
「でも、現にあなたは怪我をしたじゃない」
なかなかに頑固だ。ふ、と三善は思わず息をついた。どう言ったら彼女は理解してくれるだろうか。うまく回らない思考を無理やり巡らせ、思いついたことを口にしてみる。
「土岐野さん。あなたは『ローマの信徒への手紙』、読んだこと、ある? 新約の」
土岐野は静かに首を横に振った。
「じゃあ、一度開いてみるといい。罪の話が載っているから。土岐野さんが言う『私のせい』のは、多分ニュアンスとしては“
まだ彼女は納得していない表情ではあったが、これ以上三善は何かを言おうという気にはならなかった。それよりも、もっと重大なことを言っておかなければならない。
三善がケファの名を呼んだ。
「『
囁くようにそう言うと、ケファの紫の瞳に動揺の色が浮かんだ。まさか、あの“
「ごめんなさい。でも――」
「ばか。そんなことをしたら、お前が」
「いいんだ。これは僕の判断だから……、でもちょっと、頭の中がパンクしそう。吐き出していい?」
「待て」
おい、とケファがホセを呼んだ。「ちょっとその頭貸せ」
「天才の頭脳を持ってしても無理ですか? そもそも、人の記憶力をまるで物みたいに言わないでくださいな。……まあ、いいでしょう。後半だけ請け負います」
そんな三人の会話を聞き、土岐野はきょとんとした表情でホセを見上げる。
「とれーす?」
「ああ、ブラザー・ミヨシの能力です。彼はプロフェットですので、勿論釈義使いではあります。しかし、その他にも特異能力がいくつかありまして。“
そのようにホセは説明し、にこりと笑った。
「しかし、困りましたね。これは
そして、唇の前に指を一本立てた。「秘密、ですよ」
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