第三章 (8) 再戦

***


 そう遠くない過去においても、この歌は惨劇を引き起こした。涼やかなる音色が生み出すのは、全てを破壊する力だ。それをよく知っているからこそ、“傲慢Superbia”はホセの歌声に身をこわばらせたのだった。小さく舌打ちすると、彼はこの歌がどういった作用をもたらすのか、慎重に気配を探る。


 しかし、それらしいものは一切感じられなかった。代わりにホセのものではない、何か別の『釈義』に気が付いた。その気配は徐々にこちらに近づいてくる。


「――どうやらお迎えが来たようだ。司教ファーザー


 『釈義』が放つ、独特の聖気の匂い。それでおおよその人物は特定できる。これは間違いなく、プロフェットの中でも特別に任命を受けた者――“十二使徒”のものだ。


 そうですか、とホセが囁くような細い声を投げかける。白い息が同時に唇から洩れ出した。


「随分遅かったですねぇ、あの子は……」


 穏やかな表情とは裏腹に、時折喘鳴を吐き出しながら呟いたその声には疲労感が垣間見える。


 刹那、閃光を纏う鋭い光の矢が一面に降り注いだ!


「『深層significance発動』!」


 その矢は雷の如く、二人めがけて落ちてきた。無差別極まりない手法。容赦という概念そのものが欠如した力技だ。


 “傲慢Superbia”もホセもこればかりはさすがにまずいと判断した。“傲慢”は右へ、ホセは屋根の下へと転がり込む。一拍遅れて豪快に爆ぜる音がし、白い閃光が全ての視界を奪っていった。


 ホセの体躯が重力に引き寄せられる。右のワイヤーフックを飛ばし、何とか地面と衝突するのを防ごうと考えたが――先程の光の矢を思い出し、諦めた。この雨の中、下手にワイヤーばかり使用すると、感電する可能性も充分考えられる。ならばこのまま黙って落ちた方が無難というものだ。


 ふと、ホセは真下に何かがあるのに気がついた。否、『ある』ではない。『居る』のか。


 そう気づいた時には、既に遅かった。何かにぶち当たった感触。内臓を打ったのか、冷や汗が出る。


 ホセとしてはぎりぎり避けたつもりだが、どうだろう。ちゃんと避けたのか自信がない。


「っ……、す、すみませ……、」


 さすがに痛かったのでしばらく悶えていたが、事態が事態だけに無理やり起き上がる。あれだけの高さから落下しておいてほぼ無傷とは。つい自分でも「もしかして己は人外なんじゃあ……」と思ったが、それについてはまた後で考えることにした。


 顔を上げると、独特のアイボリーの双眸がこの学校の十字をモチーフにしたエンブレムを捉えた。


 雨に濡れた紺色のブレザー、黒のまっすぐな髪。それはまさしく、先程出会った少女……土岐野雨だった。まさか頭上から人が降ってくるとは思っていなかったらしく、彼女は尻もちをついた状態で目を剥いたまま暫し固まっていた。


 怪我はないか、どうしてここに、ここは危ないから逃げたほうがいい。色々言いたいことはあるのだが、とりあえずホセが言ったのは、


「あの、大変申し上げにくいのですがスカート捲れていま――」

「ひっ!」

「この変態!」


 彼女の平手打ちと同時に別の人物から回し蹴りを食らい、彼の身体は地面に再び突っ込んでしまった。摩擦する派手な音がその勢いをよく表している。


 慌てて飛び起きると、その背後に立っていたのは、超絶お怒りモードにシフトされたケファである。背中に泥まみれでぐったりとしている三善を背負い、ぜえぜえと息切れしながらホセを見下ろす。土岐野はその横で顔を真っ赤にしながらスカートを押さえている。完全に怯えた目をしていた。


 さて、とケファは右足でわざとらしくホセを突いてやった。


「おい、そこの薄汚いカークランド君。実戦から離れたおっさんがここまでよくやってくれたとは思うけど、うちのヒメちゃんほっぽって何やっているのかな? それと、セクハラ反対」


 この時点で、彼の腹を突いていた足は本格的な蹴りへと動作変更されてゆく。それこそ容赦のない扱いである。


「ケファ、ちょ、痛い。この愛は相当痛いんですけど」

「えぇ? 聞こえないなぁ!」

「君はもう難聴気味なんじゃないかな? そもそもねぇ、君がこんな雨の中雷なんか出すからいけないんじゃないか! おかげで僕はワイヤー使えなくて、こんなかっこ悪い着地しちゃったの!」

「雨の日に通電ワイヤーなんか持ち歩く方が悪い! つーか助けてもらっておきながら礼の一言もねぇのか? ああ?」

「そんなこと言ったら君は迎えに来るのが遅いんだよ! 僕がワイヤー使う前に来てくれればよかったじゃないか!」

「お前のトイレに付き合ってられっかバーカ! いい加減自立という言葉を覚えろ、じ・り・つ!」

「お狐様はいつものことながら言葉尻が汚いようで。礼は言うけど相変わらず配慮というものが欠如しているよね! そんなに僕をいじめたいの? それで満足? 随分器の小さい人間だなぁ君は!」

「別に楽しかねぇよッ! 隣人愛嘗めんな!」


「あ、あの」


「大人の会話に子供が口を出すんじゃない!」


 土岐野の声に反応し、最後の一言だけが一字一句違わずに、そして同時に発せられる。妙なところで息の合うケファとホセだった。仲がいいのか悪いのかさっぱり分からない。


 土岐野は「でも」と彼らの後ろを指差した。思わずギラリとした鋭い目つきのままふたりはその方向に首を動かした。


 彼らの視線の先に、すとん、と降り立った“傲慢Superbia”がいた。先程の光線である程度体力を奪えたかと思っていたが、見る限り彼はぴんぴんしている。翻った黒い上着の裾は焦げてすらいない。


 彼が何かを囁いた。すると、彼が一心に纏う影がずるずると剥離してゆき、その右手に渦を巻くように集約されていくではないか。すらりと伸びる黒影は、鈍く光る刃に。柄は彼の身長ほどに長く伸びた。そうして出来た巨大な鎌は、雨に濡れつるつると磨かれた御影石のように冴えた光沢を放つ。


「……一時休戦」

「賛成」


 二人は囁くような声で休戦協定を結んだ。


 ケファは左耳のイヤー・カフをそっと取り、手の中に転がす。耳には、乳白色の石が付いた小さなピアスだけが残っていた。それはよくよく見なければ気が付かないくらいに小さい。


 “傲慢Superbia”が鎌を振りかぶると同時に、ケファは愉しげに嗤った。


「――『発動』。やっと正体現したか、“傲慢Superbia”第一階層」

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