第一章 (7) 実地調査

 講義室を出ようとしたところで、窓際の方でざわりとどよめきの声があがっていた。


 少女は開きかけた扉を一旦閉め、何事だろうかと首を傾げた。そもそも寄宿校というかなり特殊な閉鎖空間だから、生徒たちは外の話題に興味津々なのだ。きっとそういう、野次馬根性丸だしなのだろうと、少女は結論付けた。


「やっぱり、あれって本物だよね」

「学長が連れて歩いているのって……ひとり、子供が混ざってるし」

「子供って神父になれるの?」


 少女はそのたったひとつの言葉に身体を震わせた。神父、の一言に。


 いやまさか、と彼女は思う。そんなはずはない、だって私は、『あのひと』の言う通りにやっただけだ。これでは話が違うではないか。『あのひと』は確かに、決して誰にも気づかれることなどない、と言っていた。


 彼女はさりげなく窓辺に近づいて、外の様子を探った。もう大分遠くにいるためかろうじて見える程度だが、確かに四辻学長と二人の神父が歩いている。どちらも汚い身なりをしており、大人と子供というかなり妙な組み合わせだ。


 その中で、少女はふと思い出す。


 初めの頃、『あのひと』が言っていた。白と黒の二色を用いた聖職者に気をつけろ、と。奴らは君の願いをぶち壊しに来た「悪魔」なのだから。


 微かに見える二人組の出で立ちは、――確かに、二色の聖職衣だ。途端に、彼女の血の気はさあっと引いていった。動揺して、思わず口元に手を当ててしまう。


「どうしたの? 顔色悪いよ」


 別の生徒に話しかけられ、彼女は慌てて表情を取り繕う。そうだ、他の誰にも知られてはなるまい。これは『あのひと』との、血の盟約なのだから。


 ――だから絶対、私のせいなんかじゃない。


***


 三善・ケファ両名は、宿泊場所として男子寮である『大鷲寮』の空き部屋を借りることとなった。そこで一旦着替えを済ませ、食事の前に昨夜火災があったとされる納屋に向かう。


「で、ここが問題の納屋か」


 それは体育棟の側に建てられた小さな鉄筋小屋で、四辻曰く体育倉庫にしまいきれない外での部活に用いる備品や掃除用具が収納されていたそうだ。だが、今はその原型を留めていなかった。壁は黒く焦げ落ち、備品もすっかり瓦礫に混ざり他のものと区別がつかなくなっている。話によると、先程まで警察の実地検分がなされていたそうだ。その名残として、立入り禁止を示す黄色のテープが張られていた。


「こりゃあまた、随分派手に燃えたんだなぁ」


 ケファが呆れた様子でテープの周りを歩き出した。長さは、燃え残った骨組みと己の歩数で換算する。一つの壁につき十三歩。ケファの歩幅がおおよそ五十センチメートルなので、六メートル半程度の長さがあるようだ。


 この納屋は比較的見晴らしのいいところにあり、それこそ体育棟に面した部分を覗けば、学生寮からも、高等部本館からも、校庭側からもはっきりとその所在を把握できる。


 歩きながらじっと観察してみたが、特段変わった形跡はない。少なくとも、“七つの大罪”が関わったような気配は微塵も感じられなかった。


「どうよ、ヒメ」


 三善は曖昧に首を縦に動かした。


「僕には、ただ燃えたようにしか見えないんだけど……。ねぇ、ケファ。あれって普通なの?」


 彼が指差した方向に、ケファは「ん?」と目をやる。そちらには、辛うじて残った蛇口があった。本来は校庭の水撒きのために使われるだろうその蛇口、どうも三善はそれが気になって仕方がないらしい。


「うーん……位置は微妙だが、まあ普通じゃないか? 日本の学校の標準装備と言っていいだろうな」


「じゃあやっぱり、これも水辺の火災なんだね」


 三善の言葉に、ケファはひとつ頷いた。確かに、先に報告があった通りだ。しかし彼らが実際に現場を見たのは「これ」だけだ。見方によっては本当にただの放火で、蛇口はたまたま近くにあっただけとも考えられる。


「これだけじゃあ、分からないな。昨夜の話となると、“七つの大罪DeadlySins”独特の気配も消えてしまっているのが普通だ。もしかしたら、同業者かもしれないけどさ」

「同業者?」


 三善がきょとんとして首を傾げたが、それについてケファはむやみに返答しようとはしなかった。ただひとつだけ、

「勉強不足」

 と言ったきり、かたく口を閉ざしてしまったのだった。


「むぅ」


 彼のそんな態度に、三善はすっかり機嫌を損ねてしまったらしい。ただでさえ、数時間前の神学ショックが後をひいているのだ。露骨に眉間に皺をよせ、「もういいよ」とそっぽを向いてしまった。これから食事を兼ねて、生徒たちに姿をお披露目だというのに。そんな不機嫌丸出しの顔のまま出席されても困る。


 ケファはほんの少し考えて、


「あー、悪かったよ。うん、ごめんごめん」

「ごめんで済むなら警察も神様も必要ないもん」

「ごもっともです、ハイ」


 なんでこんなにご機嫌取りをしなくてはならないのか甚だ疑問だが、まあいい。ここに、最終兵器があるのだ。腰辺りについているポケットから、ケファは一つだけなにかを取り出し、三善の目の前にちらつかせてみた。


 紛うことなき、飴(棒付き)。先程警備員室からかっぱらってきたものだ。

 それが視界に入るや否や、三善の紅い瞳がきらっと輝いた。しかも、彼が一番好きなイチゴ味だ。


「やるよ」

「お、おおう……」


 もらっていいんですか、と三善はいかにも「畏れ多い」と言わんばかりの反応を見せたが、突然我に返り、


「い、いや! こんな手に騙されないぞっ」

「あーそう。じゃあ俺が食っちゃお」


 ちらりと横目で観察すると、本人は眉を下げ、非常に残念そうな素振りを見せていた。がっかり、の一言が顔にはっきりと書いてある。……そんなに欲しいなら無理するんじゃねぇよ。


 可笑しさ半分呆れ半分で、飴を三善の手に握らせた。それでようやく機嫌を直してもらえたようなので、内心ほっとしながらケファは宙を仰いだ。視線の先には、礼拝堂の頂上につりさげられたベル。次第にそれが揺れ始め、重厚な音色を奏で始めた。


 ――七回の鐘の音。

 時刻は、十九時を回っていた。

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