第一〇〇九三回目の試行 (2) 最後の切り札
***
ケファが本部に到着すると、入口に白い聖職衣を身に纏った男が待ちかまえていた。髪は黒く、肌の色もやや褐色がかっている。彼のアイボリーの瞳がケファの姿を捉えると、にこにこと笑いながら片手を挙げた。
「ああ、お待ちしておりました。ブラザー・ケファ」
「申し訳ありません、ブラザー・ホセ。思わず妨害が入ったもので」
ケファも丁寧語混じりに挨拶を返すと、一瞬の沈黙の後二人は互いに鼻で笑い合った。そもそも彼らの付き合いはエクレシア所属前から続くもので、いい加減気心の知れる相手ではあるのだ。よって、妙な敬語はやめようということであっさりと合意してしまった。
「災難でしたね。相手は?」
そう尋ねられ、ケファはああ、とさも当たり前のような口調で返答した。
「“
「そうですか、よかった」
二人はこのほかにもいくつか事務的な会話を繰り広げながら、やたら長大な建物へと入って行く。
この縦にも横にも長いエクレシア本部は非常に入り組んだ構造をしており、あちこちに案内掲示板が設けられている。初めて施設を訪れた者の大半が道に迷うというこの建物、密かに迷宮扱いされているのもまた事実である。
必要最低限の会話を済ませると、途端に二人は無言になった。しばらくはそれでよかったのでじっと押し黙ったまま歩いていたが、なかなか本題を切り出さないホセにとうとうケファが痺れを切らせた。あまり話したくない相手だとは思いつつも、この場合、どちらかが切り出さなければ話が進展しないのではないか。
熟考した結果、今回はケファが譲歩して口を開く。
「ところで、俺に一体何の用? 本気で異動させる気か。それとも、噂の『A-P』でも完成したのか?」
「『マリア』のことですか? 残念ながら違います。まあ、あの子ももうすぐ完成するけれど――」
こちらです、とホセはケファを奥へ奥へと案内していく。位階の高い者でなければ入ることのできない特殊領域のドアをカードキーで次々と開けていき、二人はさらに奥へと足を踏み入れた。
司祭とはいえ、ケファはここまで奥地に入ったことがない。半ば動揺しながら先を行くホセの背中を追う。
しばらく歩いて、今まで速足で歩いていたホセの足が突然ぴたりと止まった。あまりに突然止まったものだから、思い切りぶつかりそうになった。それは持ち前の反射神経で避けたけれど、止まるときは止まると事前に言ってほしいものだ。文句の一つでも、とケファが口を開こうとしたとき、彼がゆっくりと振り返った。
彼は、寒気のするほど優しい表情をしていた。慈悲深き、とでもいうべきか。真意の掴めない表情である。
「ここまで来たらもう大丈夫でしょう。ケファ、突然で申し訳ありませんが、来週から異動を命じます。――あなたに、ある方の教育指導を任せようと思うのです」
やはり異動だったか。来週から、という猶予期間のなさが気になったが、ケファはそれ以上に気になることがあった。おそらく優先事項はこちらだろう。わざわざこんな奥地に連れてきてまで話す理由が、「それ」にはあるのだ。
「ある方?」
「ええ。我々にとって、重要且つ最大機密というべき、…… とくべつな方の」
そしてホセは最後の扉を開ける。
刹那、ケファは言葉を失った。
その部屋は、たとえば机や椅子など、そういったものは一切排除された無駄のない簡素すぎる部屋だった。窓はひとつもなく、壁についているダウンライトが唯一の明かりらしい。本部の中とは思えない打ちっぱなしのコンクリートの壁は、とにかく寒々しかった。ひんやりとした冷気が足元を這う。
その中で、突然、じゃらりと妙な音が聞こえた。重い金属が擦れるような、いやに冷たい音である。
「――ケファ。あなたに新しい仲間を紹介します」
その音の正体は、鎖だった。太い鎖が壁に二本繋がれており、その末端は白く細い腕にきつく絡みついていた。
あまりに腕が白いので、初めはよくできた人形だと思った。しかし、こちらの物音に気付いてか、人形の閉じられた瞼がぴくりと動く。
そう、それは『生きていた』。
「おい、……おい、ホセ。これは」
長い睫毛が震えるように揺れ動き、ふ、と鎖につながれた人間は瞼をけだるそうに開く。
薄いグレーのくせ毛は顔の大部分を隠していたが、そこから覗く瞳の色だけはやたら印象的だった。
火の粉を纏いながら勢いをあげる紅蓮の炎のような、真紅の瞳。
「彼の名前は “
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