追憶

藤道文

第1話

「卒業したい、か」

 いつもと変わらない学校の帰り道、咲がぼそっと呟いた。

「いきなりどうした、そんなこと言って」

「いや、実際私たち明日卒業するわけだし。でも……ううん、やっぱりなんでもない」

 そう言って咲はふいっと反対の方を向いた。

「へんな咲」

 俺の言葉の後に続く音はなく、ローファーが地面を蹴る音だけが耳に伝わる。

 卒業か。その日が近づくにつれてクラスもそういう空気にもなってたし、みんな新しい生活に向けて準備もしているようだった。だけど、俺はいまいち実感がわかない。幼稚園も、小学校も、中学校も。卒業っていうのは経験してきたつもりだった。だけど、高校のそれは今までのとは同じに考えちゃいけない気がした。

「じゃ、駅着いたから」

 咲に声をかけられる。気づけば学校の最寄の駅に着いていた。

「ああ、じゃあ、また明日」

「また明日」

 俺は咲の後姿を見送ると、自分も反対の改札口へ向かう。いろんな路線が通っているからか、相変わらず通る人も少なくはなかった。

 それから家に着くまでの間、俺は卒業の二文字にいまだ引っ掛かりを覚えていた。

 人と話していない時、どうもこういうどうでもいい考えが頭をめぐって困る。もう少し快適に思考を巡らせられればいいのだろうけど、あいにく、馬鹿な俺には無理な相談だと思った。

 家に着いても、出迎える人はいない。両親は共働きで夕方なんてめったに帰ってこない。俺は二階に上がり部屋の電気をつける。制服は着替えず、そのままベッドに寝転んだ。

 白い天井を眺めてぼーっとしているのは、何か考え事をするとき非常にリラックスできて気に入っている。

「卒業したい、か」

 先ほど咲が言っていた言葉を口に出してみた。咲は何を思ってこの言葉を呟いたのだろう。

 俺の実感がわかないっていう考えはずっと変わらない。無責任とかそういうのじゃなくて、ただ実感がわかないのだ。

 そんなあやふやな気持ちに、多分、環境が変わらなかったからじゃないか。そう自分で結論付けた。

 小学校も中学校も、地元だったからつるんでる顔ぶれも特に変わらなかった。それがざっと九年間だ。その時仲が良かった友達とは今でも交流が合続いている。

 それに比べて高校はたったの三年間だった。だけど、それ以上に濃密な三年間だった。地元の友達とも違う、大切なつながりができた。昔の自分じゃ想像もつかないけど、咲っていう彼女ができたのも高校が初めてだ。

 卒業するってことは、咲の後姿を見送るのも明日が最後なのだろうか。住んでる地域も合格した大学も違う咲と、大学生になっても変わらず付き合ってるビジョンがあまり想像できなかった。そう考えて少しなさけなくなる。

「咲は、どう思ってるのかなぁ」

 狙いすましたかのようにスマホのバイブレーションが鳴った。画面を見ると咲からのLINEだった。


『いきなりどうしたんだ』

『いきなり連絡しちゃだめなの?』

『いや、そういうわけじゃない。で、何か用だったか?』

『特に用ってわけじゃなかったんだけど。明日卒業するんだなーって思ったら、なんだか誰かと話したい気分になちゃって』

『そういうことか。俺もちょうど卒業について考えてたところだ』

『へえ、卒業について、か。なんだか哲学的ですな』

『哲学ともちょっと違うけど。なんていうか、卒業したら俺たちどうなるのかなーって』

『俺たちって、私たちの恋人関係がってこと?』

『改めて言われるとはずい……』

『そろそろ慣れてよ!ううん。特にそういうの考えてこなかったからなー。でも確かに、卒業したら毎日顔を合わせるのも難しくなっちゃうのかもね』

『だよなぁ』

『でも』

『でも?』

『うまく言葉にできないけど、このまま、はい終わり!みたいにはならないと思うな』

『それは良い意味で?』

『良い意味で』

『なるほど、咲はそう思ってるんだ』

『なに、別れようとでも思ってたわけ?』

『いやいや、それはない』

『それを聞いて安心した』

『安心してくれてなによりだ』

『あ、ごめん。ママがご飯呼んでるから行ってくるね』

『おう、いってらっしゃい』

『じゃじゃ、また明日……ってこれさっき駅でも言ったか』

『そうだな。うん、また明日』


 スタンプを押しあって咲との会話は終了した。

 安心した。少なくとも、咲は別れるとかそういうことは考えていなかったみたいだ。

 スマホを枕元に置いて静かに目を閉じる。いつの間にか、さっきまで心に引っかかっていたものはすっと消えていた。

 明日はついに卒業だ。実感がない今の想いに、何か新しい色が映えてほしい。

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追憶 藤道文 @taritaru_620

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