最終章 おっさん、進級する
夏の暑さも和らぎ小麦の穂が重く垂れ下がる頃、王国には秋の気配が運ばれる。
涼しい爽やかな風が王国を吹き抜けるこの季節、王立魔術師養成学園も新たな顔ぶれを迎え入れていた。
「ハーマニー・コメニス」
石造りの講堂にずらりと並んだ少年少女たち。だれもが初々しく緊張にピンと背を伸ばす中、名前を呼ばれたハーマニーが「はい!」と元気よく返事して立ち上がる。
彼女は学園の生徒のみ着用を許されるローブをまとっていた。
「まさかハーマニーが合格してしまうなんてな」
新入生の席の後方、集まって座る在校生たちの中、ひときわ大柄な男が苦笑いを漏らす。
2年生を迎えたハイン・ぺスタロットだ。周囲には同じく進級したマリーナとナディアら同級生たちも座っていた。
「一発で合格なんてすごいわ。私は最初箸にも棒にもかからなかったのに」
感心しながらも複雑な面持ちでマリーナが呟く。あまり話題にはしないが、彼女は一度受験を失敗している。とはいえ一発合格は学年全体でも半数ほどなので1、2年のダブりは何も珍しい話ではないが、優秀な回復術師を父に持つマリーナにとっては一種のコンプレックスになっているのだろう。
「そりゃ私とイヴでみっちりしごいたんだもん。今じゃ私たちの一番弟子みたいなもんよ」
ナディアがえへんと胸を張る。だが隣のイヴは気まずそうに俯いていた。
「あのスパルタ授業は凄惨だったよ。何度止めようと思ったことか」
思わず笑い声が漏れそうになって、ハインが口元を押さえる。ふたりの鬼コーチのおかげでハーマニーが日々使い古した雑巾のようになっていくのを間近で見ていた時は肝を冷やしていたが、今では良い思い出だ。
だが来賓席にちらりと目を移すと、堪えていた笑いもどこかへと吹き飛んでしまう。
そこに居並ぶのは大学のお偉いさんや高官といった上流貴族たち。そんな錚々たる顔ぶれの中、一輪の白ユリのように佇むのはブルーナ伯爵夫人エレンだった。
式典が終了した後、在校生は解散となる。だがハインは学園の庭園に設けられた四阿にエレンと並んで座っていた。
ちょうど長く咲き誇っていたバラが最も美しく映える季節だ。庭園は豊かなバラの色彩に包まれていた。
「ハインってば、式典の最中私の方を何度も見てたでしょ?」
「それはその……君のドレス姿があまりにも美しすぎたから」
らしくもないことを言って、しゅんと小さくなるハイン。来賓にエレンが来ることは一切聞かされておらず、最初見た時は式場でずっこけそうになっていた。
どうやら現在、王国議会に女性を加えようという風潮が起こっているらしい。その動きを受けて見識に富むエレンがアドバイザーとして招かれたそうだ。来賓に呼ばれたのも回復術師をはじめとする多くの女性魔術師を勇気付けるためだろう。
「ふふ、いつまでもそういうこと言ってくれるのね、嬉しいわ」
いたずらっぽく笑うエレンは年齢を感じさせないあどけなさに溢れていた。だが彼女はその切れ長な目をふと逸らすと、冷たく突き放すように言ったのだった。
「でもねハイン、もうこういう関係はよしましょう」
ハインは返事すらできなかった。なぜ、と言いたくとも口が動かなかった。
すっかり錯乱して固まってしまったハインに、伯爵夫人は再び笑いかける。しかしそれは憂うような悲しさをたたえていた。
「あなたといっしょにいるべきは私じゃないわ。あなたにはともに学び、高め合える仲間がいる。年齢はちょっと離れているけれど、心の距離は他の誰よりも近い、そんな友人たちが。私、たまに思うの。私の存在はハインにとって、ひとつの足かせになっているんじゃないかって」
「そんなわけあるものか! 僕は君のためになりたいと思って回復術師科に入学したんだ!」
ようやく正気に戻ったハインがエレンの手を乱暴につかむ。
「ほら、言ってる傍から!」
すぐさま強く指摘され黙り込んでしまうハイン。だが伯爵夫人はハインの大きくごつごつとした手をそっと優しく包み返すと、母が息子に語り掛けるように優しい口調で続けた。
「イマヌエルを亡くして、あなたに勇気づけられて、今度は私がハインを支える番だって思うようになった。試験に合格したと聞いて、まるで自分のことのように嬉しかった。これで天国のイマヌエルも浮かばれるって。でも違う、私は回復術師を目指すあなたにある種依存していた。自分をあなたに委ね過ぎたおかげで、あなたの幸せと自分の幸せとの違いがわからなくなってきたの。私は今の状態が何よりも幸せで、このままだといつまでも踏ん切りのつかないままあなたと不安定な関係を続けてしまいそうで」
「それならこのままでいいじゃないか! 僕にとって君ほど心の底から愛していると思っている人は他にいない!」
「いいえ、それはダメよ。私もあなたを愛している。でも、束縛したいとは思わない」
エレンの言葉には何者にも勝る力がこもっていた。再び黙り込んでしまったハインは言い返す言葉も浮かばず、すっかり萎んでしまう。
だがそんなハインの手にエレンはそっと額を当てると、慈しむように告げたのだった。
「過去に何があったかは重要じゃない、努力次第でいくらでも未来は変えられる。これからはしがらみに縛られず、自らの意思で未来を創り上げていくのよ」
ハインがごしごしと目頭をこする。そして無言のまま、ゆっくりと頷き返した。
「ハインさん、どこですかー!?」
静かな庭園が途端に騒々しくなる。ナディアの声だ。
「ほら、呼ばれてるわよ」
エレンがそっと手を離すと、ハインが四阿から駆け出す。だが3歩進んだところで振り返ると、照れ臭そうに「また伯爵領にお邪魔してもいいかい?」と尋ねた。
「もちろんよ、待ってるわ!」
快活に返すエレンにハインは微笑み返した。そしてその大きな背を向けると、バラ咲き誇る庭園を駆け抜けていったのだった。
「あ、いたいた!」
「ハーマニーの入学祝です。早速『赤の魔術師の館』に行きましょう!」
ナディアとマリーナがハインに駆け寄る。少し遅れて他の回復術師科の生徒たちも集まった。
「おいおい、俺も祝ってくれよ」
その中にはヘルマンもいた。彼が入学したのは魔術工学技士科だが、こっちの方が女子生徒も多いのでくっついてきたのだろう。
「ヘルマン先輩は入学二度目なんでダメです。むしろ他の子を祝う側ですよ」
「なんだよケチくせぇな!」
「先輩、ゴチになります」
「何でお前らにまで奢ることになってんだ!」
憤慨するヘルマンに女子生徒の笑い声。
「ハインさんもどうです? マスターが新作ブレンドをメニューに加えたみたいですよ」
呑気に訊くナディアに、思わずハインも「ああ」と頷き返す。
「そう来たら早く行きましょう。ほら、他の学科の生徒もすぐ押し掛けてくるわ」
途端マリーナがハインの手をつかみ、巨体をずるずると引っ張りだす。不意に足を取られそうになったハインだったが、なんとか堪えて小走りでマリーナに続く。
「あー、マリーナってば大胆!」
すかさずナディアが茶々を入れると、他の生徒たちも一様に沸き立つ。
「うるさいわね、早くしないとお店に入れないでしょ!」
やいのやいのと言いあいながらも生徒たちはカフェに向かって走り去る。彼女らにとっては庭園のバラは二の次三の次、美味しいコーヒーとケーキには敵わないのだ。
~あとがき~
ここまでお読みくださった皆様、本当にありがとうございます。
これにて『おっさんが回復術師を目指したっていいじゃないか!』は完結とさせていただきます。
この小説を最初に思いついたきっかけは単純で「おっさん主人公のファンタジー流行ってんのか……よっしゃ、ワイもなんか書いたろ!」という単純なものでした。しかしせっかくのおっさん主人公、少年少女を主人公とした成長憚よりは、人間的に成熟した大人が少年少女の成長を促すようなストーリーを描きたいなとふと思いました。
また、私の通っていた大学には働きながら通い直すような方が多数おられ、共同でゼミを開けば若輩者には考えもつかないような深い洞察を展開され、学生や教授をも唸らせていました。そういった経験と講義で習ったポール・ラングランの『生涯教育』の理念とを結びつけ、おっさんが若者だらけの学園に入学するというストーリーが浮かび、併せて教育機会の不均等ながら変革の予兆の見える社会を描こうとプロイセン王国をモチーフとした王国の設定が固まりました。
こういった経緯もあって、この小説の登場人物は全員何らかの教育学者や思想家から名前を拝借しています。たとえば主人公のハイン・ぺスタロットは現代小学校教育の祖であるヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチから取ってきました。
途中で他に何作か短い連載作品を挟んでいたこともあって、完結までかなりの時間を費やしてしまいましたが、自分の思い描いた箱庭世界をあれこれと考察するのは非常に面白かったですし、貴重な経験になりました。今まであまり意識してこなかった『萌え要素』についても考える機会が多く、大変勉強になる創作だったと思います。
とりあえずは連載中の『サッカー・リベリオン 弱小地域クラブはJリーグに挑む』を完結させることが当面の目標となりますが、今まであまり触れてこなかったジャンルにも挑戦していきたいと思っています。
現在プロットを組んでいるのは
・IF歴史戦国ファンタジーもの
・現世と夢世界を行き来する冒険もの
・スタイリッシュさ重視の現代バトルもの
・少女同士の友情を描いたジュブナイルもの
だいたいこんな感じですが、どれから書き出すかは気分次第です。上ふたつは完結までかなりの長編になるだろうと思われますので本腰入れなくてはなりませんが。
兎も角もここまで読了くださりありがとうございました。
おっさんが回復術師を目指したっていいじゃないか! 悠聡 @yuso0525
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