第十六章 その4 おっさん、勝利をもたらす
「イヴァンが……やられた」
石畳の上に叩き付けられたまま動かなくなったイヴァン。それを飛行魔道具から見下ろす共和国の兵たちは完全に士気を喪失していた。
この王城に近付くまでも王国軍の軍勢の上を飛んできたおかげで、既に多くの仲間がやられている。その上に最強の隠し玉まで失ってしまったのでは、最早勝ち目は残されていない。
そもそもが軍備を整える暇も無いと見越したうえで王都を奇襲するために編成された部隊だ。機動力には長けるものの、長期戦を想定した装備は持ち合わせていない。物量で持久戦に持ち込まれた場合、圧倒的不利になるのは明白だった。
「撤退、撤退だ!」
隊長が叫びながら一気に上昇する。それを聞くなり他の兵士たちも攻撃のことなど完全に忘れ、持てる魔力のすべてを注ぎ込んで王国軍の射程から離れたのだった。
「くそ、僕は諦めないぞ……絶対に!」
まだ火を点していない筒状の爆弾を強く握りしめながら、フレイも操縦者によりはるか上空へと消えていく。
そして安全な高さまで昇りきった共和国兵たちは、今度は180度向きを変えて全速力で引き返し始めたのだった。
飛行魔道具部隊が空のはるか彼方で小さな点になっていく。王国兵はそれらが完全に見えなくなるまで、じっと砲口を向け続けていた。
そして王都付近の山頂に設けられた見張り台からも敵兵が逃げ去っていった内容の連絡が通信用水晶に入ったことを確認すると、大軍を率いていた将校が声を張り上げたのだった。
「敵は敗走した。我々は勝利したのだ!」
勝利の喜びと安堵に、王国兵たちの歓声が沸き上がる。兵士だけではない、聖堂や地下に避難していた住民や使用人とともに屋敷に隠れていた貴族も皆、一様に手を取り抱き合い、国の無事を祝ったのだった。
飛行魔動車のハインも同じだった。乗り合わせた兵士たちと強く握手を交わし、静かに勝利を噛みしめる。まだ喜ぶに喜べない状況にあることは重々理解していたが、とりあえずの最大の危機は免れたということだろう。
そこに兵士のひとりがハインに水晶玉を差し出す。
「ハイン、怪我は無いか!?」
水晶玉を通して聞こえてきたのは国王である兄のものだった。
「安心してくれ兄さん、飛行兵団は全員無事だ」
兵士が魔力を注ぎ込んで起動させ続けているのを気遣いながら、ハインは水晶玉に語り掛ける。
「お前のおかげでこの国は守られた……感謝する」
「感謝したいのはこっちの方だ、これだけの大軍勢をまとめ上げて作戦を実行できたのは兄さんのおかげだからね。ところで……」
「ああ、ゼファーソンに通信が入ったみたいだ。今代わろう」
会話が中断されごそごそと物音が入る。直後、聞こえてきたのはしわがれた老人の声だった。
「ハイン様、おめでとうございます」
国王の側近のゼファーソン氏だ。彼は自宅のメイドと連絡を取りながら、国王の傍らで輔佐に務めていた。
「ゼファーソン様、ナディアは」
「ええご安心ください。メイドからの通信ですが、ナディア様も王城よりお帰りになられたそうです」
「良かった……」
ハインはようやく心底ほっとした。戦いには勝っても、依然ナディアが行方不明のままでは気が休まらなかった。
「それだけにございません。皆さんが知恵を出し合い、ベル様のために薬の調合を始めたそうです。材料も全部そろっているようで、もう少しで完成するとのこと」
「そうなのですか!? じゃあ……」
すぐに私も向かいます。そう言いかけたハインだったが、そこから言葉が続かなかった。
ここには王国飛行兵団はじめ、多くの兵士たちがまだ王城に配備されている。戦いは終わったものの王都の混乱がまだ完全には沈静化していない現状、王の弟たる自分が兵士や民よりも私情を優先させることになると気が引けた。
だがそんなハインの心中を察したのか、ゼファーソンは優しく提案したのだった。
「どうぞお急ぎください。あとは我々がなんとかしておきますので」
ハインが「へ?」と返事に詰まっていると、兄も加わる。
「お前は私の弟である前に回復術師を目指す一人の学生だ。学友に手を貸しに行くのも務めであろう。用があったらすぐに使いの者を送る、安心して向かってくれ」
申し訳ない気もしたが、ふたりの図らいにハインは「ありがとうございます」と見えるはずもないのに頭を下げていた。
周りの兵士たちもすぐさま推し量ったのだろう。まだ会話は続いているというのに、隊長が手と指で魔力の出力を下げるように指示すると、機体はゆっくりと降下を始めたのだった。
「じゃあハインさん、着陸しますから衝撃に備えてくださいね。おおい、ゆっくり、ゆっくりなー」
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