第十六章 その1 おっさん、戦いに赴く

「ハインさん、ゼファーソンさん、どこですか?」


 痛みをこらえ、来た道を戻ってきたナディアはようやく王城にたどり着いたものの、城の中はすっかり人気が無くなっていた。使用人はおろか兵士さえほとんどいない。これでは賊が入って盗みを働いても誰も気が付かないだろう。


 時間がかかり過ぎたので先に帰ったのかしら?


 そう考えたナディアは足を引きずりながら外庭の地下通路へと向かった。この城を出るならば必ずあそこを通る、きっと何か手掛かりを残しているだろう。


「急いで運び出せ!」


 聞こえてきた声にふと目を向けると、そこにあった光景にナディアは固まってしまった。


 外に出ると兵士たちが魔術大砲や魔動車、その他さまざまな兵器を倉庫から運び出している。その中には兵士ではない民間人も混じり、木箱や物資をリレーしていた。


 ついさっきまで反乱を起こしていた民と、それを鎮圧しようとしていた兵士が手を取り合っている?


 しかし勘の鋭いナディアはすぐさま理解した。きっとハインたちのおかげだろう。


 何があったかはわからない、だがハインと国王、双子の兄弟が出会い、そして奇跡が起こった。偶然でありながら必然である結果として、民も兵士も迫りくる国難に立ち向かわんと協力し合っているのだ。


 目の奥がじわっと熱くなる。こうしちゃいられない、私も自分のできることをやらなくちゃ。


 足の痛みも忘れてしまった。早足で元来た地下通路へと急いだナディアは庭の一角に置かれた石の蓋を外した。


「あ」


 そしてその裏をちらりと見て気付いたのだった。蓋の裏に、誰かが小石でひっかいて書いたような文字が残されていた。


「ゼファーソンさんの屋敷で待っている……か」


 この字はきっとマリーナだ。不意にくすりと笑みが漏れ、ナディアは手に包み込んだままの龍涎香をより一層強く握った。




「ナディア……お帰り!」


 ゼファーソンの屋敷に戻ってきたナディアを出迎えたのは、泣きたいのをじっと我慢していた顔のマリーナだった。


「遅くなってごめんね。ほら、持って来たわよ」


 がっしと抱き着いてひっくひっくと漏らすマリーナの頭をさすりながらナディアが戦利品の龍涎香を掲げる。


「よかった、これでベルさんを助けられますね!」


 屋敷の中からハーマニーも飛び出す。


「ベルさんの様子は?」


「パーカース先生とイヴさんがついているおかげで、一応は持っています。ですが長くはありません、急いでください!」


 そう言いながらナディアを屋敷の奥に案内しながら、思い出したようにハーマニーは振り返った。


「それとハインさんとゼファーソンさんから伝言があります。共和国の進軍を止めるため、国王陛下といっしょに平原で大隊を組んで迎え撃つそうです。そのために薬の調合は私たちに任せると」


「そんな、作り方なんて知らないのに」


「いや、心強い味方がいるよ」


 ダンスパーティーでも開けそうな広い床の上に乳鉢や石臼を並べながら、鍛冶屋のアルフレドが口をはさむ。その隣では初老の男がいっしょになって道具を準備していた。


 調合のための道具を借りにアルフレドが知り合いの火薬職人を訪ねたところ、そのまま手伝おうとついてきたらしい。この火薬職人は生薬の心得もあるようで、ハインのいない今は唯一の調合経験者だ。


「調合の方法についてレフ・ヴィゴットから聞き出しました」


 メイドのキーマが足音も立てずホールに現れる。その手には一枚の紙をはさんでいた。


「資料は残っていないのでうろ覚えですが、天馬のたてがみとクラーケンの涙の配分はこの通りです」


 すぐさま駆けつけたのは火薬職人の男だった。男は紙を受け取ってしげしげと眺めると、「なるほどね」と何度も頷く。


「さあ、早速調合を始めましょう」


 そう言ってマリーナが先ほど取ってきた天馬のたてがみこと天馬草の根と、龍涎香を火薬職人の前に置く。


 だが男はそれを見た途端、ぎょっと目を剥いたのだった。


「おいおい、これじゃダメだよ」


 あまりにも意外な返答に一同は言葉を失う。


 ナディアも顔を真っ青にして「どういうことです?」と強く訊いた。


「天馬草の根は乾燥させて初めて薬効が生まれる。取ったばかりで水分も含んだままのものは使えないんだ」


「そんな、ここまでそろえたというのに」


 ハーマニーが崩れた。アルフレドも床を殴りつけ、キーマも頭を押さえる。


 だがただひとり、目の奥に炎をたぎらせる少女がいた。


「乾燥させればいいのよね?」


 一同が「え?」と頭を上げる。全員が諦めに陥る中、マリーナだけはなおも強く立ち尽くしていた。


 強く貫く眼差しに、火薬職人も「ああ」と弱く返す。


 直後、マリーナは天馬草の根を手に取った。そして息を整え、その手の先に力を込める。


「ふん!」


 マリーナの手が淡い緑に発光した。一同はぎょっと飛び上がり、慌てて駆けつける。


「マリーナさん、何をするのです!?」


「乾燥させているの、ちょっと待ってて」


 ハーマニーたちの言葉を突っぱね返しながら、マリーナはただまっすぐ目の前の天馬草に魔力を注ぎ込んでいた。


 ハインに追いつかんがため、必死で早めに身に着けようと特訓していた回復魔術。植物相手に何度も何度も繰り返し、そしてまだ一度も成功させたことが無い。試みては若い株を大量に枯らしてしまった苦い経験。


 だが今なら、この不完全な自分が役に立つ。


「乾燥してる……!?」


 ナディアが目を開きながら呟いた。


 マリーナの持った天馬草の根は、生命力に満ちた張りのある状態から徐々に徐々にしわしわと力を失い、やがて茶に変色していく。時計をわざと早く進めたように、強引ながら水分を飛ばしているのだった。


 そしてある程度まで乾燥させ、あんなに活き活きしていた根がすっかりひょろひょろと軽くなってしまうと、マリーナは滴り落ちる汗を拭いながらにこりと微笑んだのだった。


「これで使えるでしょ?」


 呆気にとられる一同。だが最初に正気を取り戻したナディアが「どうです?」と尋ねると、火薬職人も慌てて「ああ」と頷いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る