第十五章 その5 おっさん、一方その頃

「さあ、急いで逃げるわよ」


 地下通路を通って城を抜け出した王妃は、城壁近くの小屋に隠していた魔動車に乗り込んだ。


「船の準備はできています。あとは港まで行くだけです」


 運転席には召使の娘が座り、操作用の水晶に魔力を送り込んで車を起動する。そして後方の座席に座り込んだ王妃の隣には、もうひとりローブをまとった虚ろな目の少女が座っていた。


「いい? ちゃんと指示したように話すのよ。私は魔術師養成学校の先生を見送りに来ましたって」


「はい、王妃様」


 そう答えたのはナディアだった。


 城から逃げ出す際に偶然にも王妃と遭遇したナディアは、その服装から魔術師養成学園の生徒であることがばれてしまった。そこに悪知恵をはたらかせた王妃が自分を学校の教師として、そしてナディアを教え子として演技させることで、身分を隠すためのカモフラージュに利用されたのだった。


「さあ、逃げましょう」


 得意の香を使った術による精神操作により言いなりになってしまったナディア。そんな彼女らを乗せた車は、小屋を出て車一台がギリギリ通れる路地をゆっくりと進む。混乱に乗じて略奪も横行しているのだろう、あちこちから怒号や叫びが聞こえ、所々黒い煙も上がっている。


「ふふふ、怪しまれず船に乗れるか不安だったけど、この女生徒のおかげでどうにかなりそうだわ」


 不気味に笑いながら窓の外を見つめる王妃。路地を抜け、車は大通りに差し掛かる。


 その時だった。運転席の召使が「ふげ!」と妙な声を上げると同時に、車が急カーブを描いて身体がふわりと席から浮き上がった。そして車体がぐらりと傾くと、王妃は叫ぶ間もなく窓ガラスに頭を打ち付けられる。


「な、何!?」


 痛みに立ち上がることもできず、ようやく声を上げる。気が付けば魔動車は横転し、自分が今しがた顔を近づけていた窓は下に、柔らかい座席は高い壁になっていた。


「王妃様、あなたの企みは全て筒抜けですよ」


 倒れ込んだ王妃の眼の前に、ローブの裾とブーツがゆっくりと舞い降りる。見上げると、先ほどまで正気を失った目をしたナディアが息を切らしながら王妃を見下ろしていた。


「あなた、私の術が効かなかったの!?」


 額からぽたぽたと血を滴らせながら吼える。ナディアも全身に擦り傷を作っているようだが、幸いにも立ち上がって動ける程度には無事らしい。


「王妃様の得意とする術がお香を使い、他人を操るものであることは聞いていました。そこで私はわざと操られたふりをしていたのです」


 そして油断し切っていたところに、運転していた召使の後頭部を全力で殴り飛ばしたのだ。不意を突かれた召使は車を横転させ、その衝撃で気を失ってしまった。一方で座席の取っ手をつかんでいたナディアは車が倒れ込んでも軽傷で済んだのだった。


「そんな、どうやって!?」


 王妃の叫びにナディアはすっと自分の足を指差す。スカートの腿の位置には血が滲みだしていた。


「手に隠し持っていたガラスを刺して、ずっと意識を保っていたのです。すごく痛かったけど」


「……ゼファーソンね!」


 こんなこと教えるのは奴しかいない。王妃はちっと舌打ちした。


「王妃様、この国を混乱に陥れたのはあなたですね。共和国と争わせて、その隙に北方帝国がすべてを奪い去ろうと図っているのもこちらは把握しています。このまま逃がすわけにはいきません」


「あなたみたいな魔術師にもなれていない学生さんに、何ができるのかしら?」


 こんな状況にあっても王妃は強気だった。ナディアはまだ魔術が使えない。一方の王妃は幼い頃より魔術の訓練を積んでおり、その腕も一流だ。一対一ならばこの程度の怪我、ハンデにもならない。


「おい、車が倒れたぞ、何があったんだ!?」


 王妃の顔がさっと青ざめる。突如横転した車を見て、街の人々が集まってきたのだ。


「おい、中にいるのは貴族じゃないか!?」


「本当だ、この支配階級め、捕まえろ!」


 助けに来るかと思ったら、王妃の煌びやかな姿を見た人々の眼が一変する。この暴動の大本の原因はお王侯貴族らによる民衆の強権的な支配、民の怒りが増幅した今、貴族が皆の前に姿を現すことは命の危機を意味していた。


 ドアを開けた人々は動けなくなった王妃をすぐさま引きずり出す。


「小娘、お前もか!?」


「いえ、私はこの通り魔術の使えぬ平民の学生です。脅されて無理矢理連れてこられたのです」


 尋ねられたナディアはローブをそっとめくり、右肩に刻まれた魔封じの紋章を見せつける。


「そうか、すまなかったな。おい女、こっちに来い!」


「な、何をするの!? 私は王妃よ」


「バカ言うな、王妃がこんな所にいるわけが無いだろ」


「どっちにしろ俺たちには好都合だ。貴族の女なんて最高の人質だぜ」


「は、離しなさいよ、ちょっと!」


 いくら魔術の達人といえど、この数を相手では何もできない。何人もの男たちに担ぎ上げられた王妃は、わめきながらもどうすることもできずいずこかへと連れ去られたのだった。


 残されたのは横転した魔動車と意識を失ったままの召使、そして痛みに耐えながらもゆっくりと車から脱出したナディアだった。


「ふう、早くお城に……帰らなきゃ」

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