第十五章 その4 おっさん、争いを止める
あり得ない光景だった。
反乱の熱に昂った人々の前に、敵の総大将とも呼ぶべき国王が堂々と姿を現している。さすがにこの展開は誰にも予想さえできなかったようで、人々は皆時間を奪われたように一様に言葉を失い、足を止めていた。
「お逃げください、ここは危険です!」
隣に立つ兵士が必死で叫ぶ。だが国王は群がる民衆を見下ろしたまま、城壁の上で毅然と立ち続けていた。
「憎き国王め、これでも喰らえ!」
我に返ったよう男のひとりがとっさに足元の小石を拾い上げると、全身の力を込めて放り投げる。
小石はまっすぐに国王に向かって軌跡を描くが、王は飛来する小石をじっと睨みつけたまま一歩も動こうとはしなかった。ついに小石は国王の額に命中し、額から赤い血の筋が流れ出る。
だが王は眉一つ動かさず、じっと民を見下ろしていたのだった。これには石を投げた本人でさえもぞっとおののいていた。
「王よ、なぜ逃げない!」
誰かがが声を上げる。直後、王は口を開き、その声を響き渡らせた。
「親愛なる民よ、まずは私の不徳を詫びたい」
そしてゆっくりと背中を折り、ゆっくりと深々と頭を下げる。
「王が……頭を下げた!?」
民衆も兵士も、その場にいた全員の時が再び止まる。誰しもが呼吸をすることさえ忘れ、風の吹く音だけが耳に残った。
「私は国を守るため尽力してきたつもりだった。だがそれは反対に皆を苦しめ、不満を増長させるものだった。国王としていかに私が未熟だったか、身にしみるほど理解している」
「だがその前に少し待ってほしい。この国を転覆させようとふたつの勢力が動き出している今、私は国王の責務を放棄することはできない」
一同にざわめきが起こる。反乱を起こしている自分たち以外にも現状動いている者たちがいるとは、まったく知らされていなかった。
国王の眼がちらりとハインに向けられる。ハインは来栗と頷くと、声高らかに話し出した。
「隣の共和国が今、山を越えて侵攻を進めている。そして王国と共和国が争っている間に、海を越えて北方帝国の本隊が攻め込む手筈を整えている。王国と共和国をまとめて落とすつもりだ」
「何だと!?」
まるで計算されたような衝撃的な事実。これを聞いて平静を保てる者はおらず、反乱軍も王国兵も、慌てふためきどよめくのだった。
だが直後、王の「だからこそだ!」という強い言葉に、またしても皆は静まり込むのだった。
「民よ、皆はこの国は好きか?」
王の問いかけに、人々は顔を見合わせる。
「そんなわけないだろ、だから俺たちはこうやって集まったのではないか!」
民のひとりが声を上げると、同調するように「そうだそうだ!」と反乱軍は声をそろえた。
「いいや、この国の大地が、山が、川が、海が、隣に立つ人々が。この国自体は好きか?」
王は再び問うた。統治する王国としてではなく、郷土としてのこの国を。
「当然だ! 俺も親父もそのまた親父も、ずっとずっと生まれ住んできたこの国だ。俺の血と骨はすべてこの国からもたらされたんだ」
反乱軍のひとりが声を上げる。周りの人々も頷きながら無言で賛同した。
人々の答えはひとつだった。誰しもがこの国を愛している。だからこそ反乱を起こしてでも今の統治を改めようと、ここに集まっていたのだ。
「皆が革命を起こしてでもこの国を守りたいのは、ひとえにこの国を愛しているからであろう」
王の言葉を聞き流す者は既にいなかった。先ほどまで争っていた人々全員が演説する王にじっと視線を注いでいる。
「私のことはいくらでも憎んでもかまわない。だが少しばかり待ってほしい、この国を守るため、我々は争っている場合ではないのだ!」
「そうだ、だからこそ私たち兄弟は戦う」
「この国を、そこに住まうすべての人々を守るために。この難局を乗り越えるためにも、皆力を貸してほしい!」
そして王とハインはそろって頭を下げた。
歓声は起こらなかった。だが聴衆の眼には熱い炎が宿っていた。
「建国以来大きな戦乱の起こらなかったこの都だ、俺たちの代で潰すことはできねえ」
「共和国の連中の好き勝手にさせてたまるか」
「兵士さん、うちに古いが頑丈な魔動車がある。人手が足りないなら輸送に使ってくれ」
そう口々に話し出す人々。共通の敵が見つかり王政派も反王政派も心を共有した。先ほどの小競り合いなどまるで嘘のようだ。
「良かった、この国の民を信じて」
ふっと笑みを漏らす国王に、ハインは優しく声をかける。
「当然だ、みんな兄さんの思っているほど薄情じゃない。この国はまだまだ終わらないよ」
しかしハインの胸のざわめきはまだまだ収まらなかった。この国の今後もそうだが、目下のところは他にある。
龍涎香を取りに行ったナディアはどこに消えてしまったのだろう?
いくらゼファーソンに尋ねても「先に脱出させましたが?」としか返ってこないのだ。
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