第十五章 その3 おっさん、進言する

 王都よりはるか南東、ブルーナ伯爵領に広がる平原。その上空をいくつもの黒い影が横切っていた。


「魔力を全て注ぎ込め、全速前進だ!」


 細長いカヌーのような形の飛行魔道具にまたがり、先陣を突っ切っていた男が狂ったように叫ぶ。全身を黒のマントに包み、首に巻かれた赤いマフラーが風になびく。時おり覗かせる男の頬には魔封じの紋章が刻まれていた。


「そんなに焦らなくてもいいぞ。王都の混乱が収まるのはもっと先だ、急ぐ必要は無い」


 そんな彼をたしなめるように、後方で別の機体に乗っていた兵士が声をかける。


「いいや、そんな悠長なことは言ってられねえ」


 だが男は振り返ることもなく吐き捨てた。血走った目はまっすぐと地平線の先、さらにその向こうまで見透かしているようだった。


「牢屋の中でずっとうずいてたんだ。あいつだけは一秒でも早く殺してやりてえってな」




「面を上げよ、畏まる必要など無い」


 薄暗い部屋の中、ハインとアルフレドは国王陛下を前にひれ伏していた。


 当然だろう、平民はおろか貴族でさえも大半は一生言葉を交わすことさえできないほど身分のかけ離れた相手だ。王城に出入りしているアルフレドも、直接姿を目にしたのは今日が初めてだ。


「すべてはゼファーソンから聞いている、もっと気兼ねなく接してくれ」


「いえ、恐れ多くも国王陛下にそのような無礼は……」


 目を合わせることもできず、じっと床を見つめながらハインがぼそぼそと答える。そんな弟の様子を見てか、国王は軽くため息を吐くと途端、砕けたような口振りに一変した。


「ハイン、私とお前は兄弟だ。お前は王位継承権さえも保有しているのだぞ、私の身内以外の何物でもない。だからもっと兄の顔を見てくれ。国王としてでなく、兄として私を扱って欲しい」


 おそるおそる、ハインは顔を上げる。そしてはっと息を止めてしまった。


 言い知れぬ威厳を放っていたはずの国王陛下、その顔が優しく微笑んでいる。それは職人が仲間に向けるのと同質のものだった。


「陛下……いや、兄上」


「ああ弟よ、お前には散々苦労をかけさせてしまったな」


 そして国王はすっと手を伸ばす。何を求められているのか、理解したハインは強くその手を握り返した。


 こうして数奇な運命で38年の間隔たれていた兄弟は再会を果たしたのである。部屋にいた4人は誰もが涙を堪えながらこの想いを表現するにふさわしい言葉を探して沈黙していた。


 だが、運命とは皮肉なものでもある。どこからともなく再び爆発音が響き、床がわずかに震動する。兄弟が再び巡り合えたのも、この混乱が大元の原因なのだ。


 このまま感慨にふけっている場合ではないと断じ、国王はゼファーソンにちらりと目配せをするとハインの手を握ったまま話し始めた。


「再会できて私は嬉しい、話したいことは山のようにある。だが、時期にこの城は落ちる。ゼファーソンが抜け道を知っている、早く脱出してくれ」


「いえ、逃げても無駄です。この機に乗じて共和国から、そして北方帝国からも敵が攻め込んでいます。身を隠したところで解決にはなりません」


 ハインは握りしめた手にさらに力を込めて国王を制する。だが王は眉一つ動かさず淡々と答えた。


「それも聞いている。だからこそ私は生き残って両軍に降伏を願い出る。こうなってしまったのはすべて妻の企みさえ見抜けなかった私の至らなさが原因、せめてひとりでも多くの民の命だけでも守りながら、この国には最期を迎えさせたい」


 諦めたように話す兄を前に、ハインの手からはするすると力が抜けていく。彼は気付いたのだ、険しく逞しい王の顔の裏に隠されながらも、見え隠れする長年の苦悩に。


 暴虐、非道、独裁者。国王を罵る言葉は平民からも貴族からも絶え間なく上がっていた。だが実際のところ国王は誰よりも思い悩んでいたのだ。


 綱渡りのような状態にあったこの国を治めるには反乱分子をすべて駆逐するほど強権的な統治が必要だったのだ。ことあるごとに貴族の領地を没収し、王家の権限を強めていたのも自らが憎まれ役になることを踏まえての苦肉の策だったのだろう。


 そんな兄のいじらしさ、そして王としての重責を感じ取ったハインには返す言葉は無かった。たしかに、この国の人命の損失を最も減らしながら、実質的な権威を失った王にできる唯一の方法だろう。


 だがそれはハインにとっても受け入れがたい選択であることは事実。自分にもできることは無いか、あれこれと思考を巡らし、ハインはほとんど睨みつけるように強く兄を見つめ返した。


「わかった。だが兄さん、弟としてひとつだけ頼みがある。それだけは聞いてくれ」




 外敵の侵入を防ぐため、王城は庭園を含め相当な高さの城壁に取り囲まれている。寸分の隙間なく積み上げれた堅牢な石造りのその構造は並大抵の砲弾でも崩れることは無く、長きにわたって王城を守護してきた。


 だが蜂起に殺到した民衆はその守りさえも突破しようとしていた。誰かが持ち込んだ火薬により、すでに城壁の一部は破壊されて瓦礫と化している。そこに生まれたわずかな隙間を乗り越えんと、集まった人々が瓦礫をよじ登る。


 そんな民衆に向かって、兵士たちは城壁の上から殺傷能力を抑えた魔動銃を用いて侵攻を食い止めていた。金属ではなく皮革を加工した特製の弾丸は肉体を貫くほどの威力は無いものの、その痛みで暴徒を鎮圧できる効果はある。


 だが今日集まった人々の数はそんな武装さえも凌駕していた。降り注ぐ弾丸の雨にも負けず、必死で瓦礫の山を登り城内に侵入を試みる。剣や銃を持てない彼らにとっては手にした角材や工具は武器だった。


 無力ながらも大勢の民を相手に、兵士たちは皮革弾で応戦する。もしここで実弾を使い民衆を虐殺すれば王家の権威は完全に消失する。そのことを理解していた兵士たちは誰かが瓦礫を乗り越えて城内の土を踏むまでは実弾を使うまいと心に誓っていた。


 だが魔動銃はその発動に、火薬ではなく使用者の魔力を消費する。長時間絶え間ない乱射に城壁の兵士たちは心身ともに限界を超えていた。


「上り続けろ、こんなの皮革弾だ、死ぬことは無い!」


「ダメだ、もう俺の身体が持たない……」


 数で圧倒する民衆に、兵士たちが弱音を吐露していたその時だった。


「争いを止めよ!」


 その場にいた全員がぴしゃりと鞭で打たれたように動きを止めた。遠くにいても間近から聞こえてくるような鋭い男の声に、民も兵士もはっととび上がる。


 号令でもあったかのように、人々が皆一様に同じ方向を向く。そして城壁の上に並んだふたつの影を見て、再び驚嘆の声を上げるのだった。


「こ、国王陛下!」


「それにあれは、新王のハイン様!?」


 兵士も民衆も、誰もがあんぐりと口を開いて固まっていた。


 そこに肩を並んで立っていたのは現国王ジャン・コンドルセと、その弟ハイン・ぺスタロットだった。

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