第十五章 その2 おっさん、再会を果たす

「急がなきゃ!」


 王城内のいくつもの部屋や廊下を、ナディアは全力で走り抜けていた。その手には龍涎香の収められた木箱がしっかりと抱えられている。


 やはり先ほどの爆発音に城内の人々は騒然としていた。何人もの貴族や使用人とすれ違うが、皆逃げ惑ったり慌てて荷物をまとめたりと自分のことに精一杯で、見慣れぬナディアのことなど気にする余裕はなかった。


 さあ、ここを曲がればいよいよ最後の廊下だ。迷いそうなほど広大な城内をようやく脱出できるとにたっと笑いながらさらに足を速める。


 だがその時、曲がり角からふっと現れた人影に驚きながらも足を止めることはできず、なすすべもなくぶつかってしまったのだった。


「いで!」


 跳ね返され、絨毯の上に尻もちをつく。相手はナディアの不意の突進にも関わらず、立ち続けているようだ。


「す、すみません……」


「無礼者!」


 打ち付けた腰をさするナディアに女の罵声が浴びせられる。


 目を開くと立っていたのは身体を淡く緑に発光させた自分よりも少し年下くらいのメイドの少女だった。咄嗟に防御魔術を展開したおかげでナディアだけが弾き飛ばされた形になったのだろう。


 この歳で魔術の使用が許されているのなら貴族の娘かしらと、ナディアは頭の片隅で思っていた。


「いいのよ……と、見ない顔ね。奉公人にこんな娘いたかしら?」


 そんなメイドの後ろから艶っぽい声とともに現れたのは、そこらの男性よりも背が高く白い肌に抜群の体型を誇る美女だった。


 そして最も目を惹いたのは、金糸や銀糸が惜しみなく織り込まれ、さらに細かいダイヤモンドの装飾が散りばめられた桜色のドレス。ブルーナ伯爵夫人エレンでさえ着たことのないほど、この世の贅を尽くした豪華な衣服。


「どうしたの、怪我は無い?」


 にこりと向けられた優しいほほえみの裏に、氷のような冷徹さを感じてナディアは返事をすることができなかった。


 勘の良いナディアにとって、この人物こそ王妃であると見抜くには一目で十分だった。




「ナディアにゼファーソンさん、戻ってきませんね」


 庭園の隠し地下通路、そこから外に顔を覗かせながらマリーナは呟いた。


 いくら広大な王城とはいえ、時間がかかり過ぎている。このままでは城壁を突破した民衆が押し寄せ、混乱に巻き込まれてしまう。


 外で待っていたハインとアルフレドはしばしじっと王城に目を遣っていたものの、ついにふたりで顔を合わせると互いに無言のまま頷き、そっとしゃがんでマリーナに話しかけるのだった。


「マリーナ、キミは先に戻るんだ!」


「へ?」


 いつになく真剣な顔のハインに、マリーナは言葉を変えそうにも口が開かなかった。


「僕はナディアを探しに行く。ここはもう危ない、早く戻って『天馬のたてがみ』だけでも届けてくれ」


「ま、待ってください! それなら私も!」


「ダメだ、戻ったらパーカース先生の指示に従うんだ」


 すがるように頼むマリーナだが、ハインは強く拒む。そのハインの後ろに立っていたアルフレドもわざとらしく笑いかけて言った。


「俺も行く。王城の構造はある程度知っているからね」


 マリーナは再び言葉を失い、そして察知した。一見勇敢なふたりも、内心は不安と恐怖で堪らないはずだ。だがそれでも周囲のことを真っ先に考え、自分がどれほど危険な目に遭っても最善を尽くして困難を乗り越えてきた。


 今までだってそうだ、ハインがいたからこそ自分はどれほど救われてきたのだろう。今さらハインのことを信じるなと誰かに言われても、逆にそっちの方が信じられない。


 そうなると自分にできることはただひとつ。ふたりを信じ、全員が帰ってくるのを待つことだけ。


「わかりました……ハインさん、アルフレドさん、必ず帰ってきてください! 約束ですよ!」


「ああ、もちろんだ」


 そう言ってにこりと微笑むハインの顔を目に焼き付け、マリーナは頭を引っ込めた。直後、ハインは石の蓋を持ち上げて通路の入り口にはめ込むと、ただでさえ薄暗い地下道は完全なる暗闇に覆われたのだった。




「城の中は王族や貴族が逃げるため混乱しているでしょう。ナディアちゃんがゴタゴタに巻き込まれていなければいいのですが」


 マリーナを先に返したハインとアルフレドは木々と色彩豊かな季節の花生い茂る庭園を駆けていた。いつもなら王族が散策し、野外パーティーでは貴族や富豪を招いてダンスに興じる俗世とは隔離された空間だ。だが遠くから銃声や爆発音の響く今となっては、そんな優雅な出来事も嘘にしか思えない。


 この広い城内だ、自分達の通った以外にも隠し通路が存在してもおかしくはない。既に多くの群集が集っている正門からでなくとも、城の人間は逃げる術を知っているはずだ。


 ナディアが機転を利かせてそこから抜け出していれば幸いだが、もし取り残されていたら……。我を忘れて押し寄せた民衆にひどい目に遭わされるかもしれない。


「僕もそれは考えている。早く見つけ出して逃げ帰ろう」


 最悪の事態を想定しながらも、その不安をかき消すようにハインは走り続けた。


「待って!」


 突如、アルフレドが立ち止まる。ハインもすぐさま足を止めると、彼の意図を即座に理解し、ふたりそろって植木の陰に隠れたのだった。


「全員遅れるな、城壁守備の加勢に向かうぞ!」


 聞こえてきたのは兵士の声だ。木々の隙間からじっと覗くと、銃を携えた何十もの兵士たちが建物から飛び出していた。そして一塊のまま、足元の草花のことなどまるで気にせず走っていたのだった。


「絶対に王城には潜入させるな!」


 城を守るため、昂った兵士たちは我先にと向かう。おかげですぐ近くのハインたちのことには気付かなかったようで、兵士たちの背中を見送ったアルフレドはハインに耳打ちしたのだった。


「行きましょう、使用人が通るための勝手口があるのです」


 そしてふたりは植木に身を隠しながらも素早く宮殿まで近付く。アルフレドが案内したのはまるで建物の死角に隠れ、わざと目立たないように設置された小さな扉だった。他の扉と違い、頑丈そうだが相当古い木材がここだけずっと使われ続けている。


 そして中に入って狭い通路を抜けた先、ようやく王城らしく明るく絨毯の敷かれた廊下に出る。置かれている物はどれをとっても伯爵家のそれよりもさらに上質な品ばかりだ。机ひとつ椅子ひとつでも平民にとっては一財産にあたるだろう。


 だが今はそんな物に目を奪われている場合ではない。ハインとアルフレドはナディアとゼファーソンを探した。


「王家への献上品の収められた収蔵庫は確かこっちのはずですが……ん?」


 廊下の向こうからどたどたと誰かが走ってくる。それは貴族の男、女、使用人たち。いつもの粛々とした態度など面影も無く、全員が全員血相を変えて逃げ道を求めていたのだった。スカートがめくれても、靴が脱げてもおかまいなしだ。この危険な王城から早く抜け出さんと、ただそれだけを考えていた。


「すみません、魔術師養成学園のローブを着た茶髪の女の子を見ませんでしたか?」


 逃げ惑う使用人の男にハインが話しかける。だがその男は「知るわけねえだろ、早く逃げるぞ!」と怒鳴り散らすと一目散に走り去ってしまったのだった。


 直後、またしても爆発音が聞こえ遅れて地面が揺れる。人々のどよめきとともに「もうこの城はおしまいだわ!」と貴族の女が泣き叫び、呼応するようにその場にいた使用人たちも「ああ、奉公になんか来なければよかった」などと口にし始めたのだった。


「これじゃもうナディアもどこにいるのか……」


 不満を漏らしながらもパニックで逃げ回る人々。彼らから情報を聞き出すのは不可能だと、ハインが頭を掻いていたその時だった。


「もし、そこのお方」


 突如目の前でふたりの男が立ち止まり、ハインに声をかける。庭師だろうか、ふたりとも薄汚れた身なりに深く帽子をかぶり、ひとりは皺だらけの老人、もうひとりはハインにも匹敵する身長とほど良く筋肉の逞しい体格の男だった。


「すみません、魔術師養成学園のローブを着た茶髪の女の子を……」


「こっちです!」


 すべて尋ね終わるよりも前に、老人はハインの太い腕を強くつかむ。


「え、あの!?」


 突然の事態に戸惑いを隠せないハインだが、ふたりの庭師が逃げ惑う人々を掻き分けて廊下の向こう側の部屋を目指すので、ハインとアルフレドはそのままついていくしかなかった。


 そして背の高い男が部屋の前に立つとすぐさま鍵を取り出して扉を開け、4人は素早く薄暗い部屋の中に飛び込んだ。舞踏会の際に控室にでも使うのだろうか、中央に革張りの椅子が置かれているだけで他はこれといった家財の置かれていない部屋だ。


 全員が入ったのを確認した老人が素早く部屋の扉と鍵を閉める。そして何事か思考の追いついていないハインとアルフレドを振り向くと驚いたように声をかけるのだった。


「ハインさん、どうしてここに? ナディアさんはまだ戻っておられないのですか?」


 老人が帽子を外す。そして現れたよく知る顔に、ハインとアルフレドはぎょっと飛び上がったのだった。


「え、ゼファーソン様!?」


 ハインを部屋に招いた老人はゼファーソンだった。下級貴族に使用人にと、今まで何度もゼファーソン氏が変装しているのを見てきたハインだが、まさか今回も騙されるとは思ってもいなかった。


「ということは、まさか……」


 ハインが恐る恐ると首を回す。見つめていたのは当然、部屋に置かれた椅子に深く腰掛ける庭師の男。だがそのたたずまいには庭師とは思えないほどの落ち着きと、底の見えぬ懐の深さが感じられた。


「勘が良いな」


 男が帽子を脱ぐ。その下から現れた顔を見て、ハインとアルフレドはしばし呼吸さえも止めてしまった。


 きりっと整った黒い眉に、強い意志を感じさせる眼光。そして柔和とも厳格ともとれる、堅く閉ざされた口元。少々痩せてはいるものの、男の顔はハインのそれと非常によく似ていた。


「久しいな我が弟よ。こんな時だが会えて嬉しいぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る