第十五章 その1 おっさん、王城に潜り込む
「まさかこんな抜け道があったなんて」
湿気に満ちた狭い通路の中、先頭を歩くゼファーソンに続きながら、ハインはぼそっと漏らした。照明魔術による指先の光で照らされた通路は古い石材とコンクリートで隙間なく埋められており、足元は泥がカチコチに固まっている。
「この通路はかつて城に水を送り込むための水路でした。非常時には国王陛下をここから脱出させるのが私の務めです。この道を知るのはごく少数の人間だけですから、城の者もほとんど知りません」
そう説明する案内役のゼファーソンの後ろには、順にハインにアルフレド、マリーナ、そしてナディアの4人が連なって歩いていた。
パーカース先生とイヴはベルの看病のため、ヘルバール先生はヴィゴットの監視のために屋敷に残っている。またハーマニーも料理やお茶を作るため屋敷に残り、メイドのキーマは家事に加えもしもの時には全員を屋敷から逃がすための用心棒も兼ねていた。
しばらく地下の通路を歩ていた一行だが、やがて石の壁に行き当たる。その天井の石材をゼファーソンがコツコツと叩くと、パラパラと砂が落ちた。
「ここです」
ゼファーソンがちらりと後ろのハインを振り向くと、ハインは無言でこくりと頷いて拳に布を巻く。そして渾身のゲンコツを天井に叩き込むと、石の隙間から大量の砂埃が流れ落ち、そこから外の光が差し込み始めたのだった。
あとは持ち前の腕力で石材を上に押し上げると、人ひとりなら通れそうなほどの穴が穿たれ、青空が口を開ける。
ハインを踏み台に昇った一行が出たのは庭園の一角だった。宮殿からはやや離れているものの、季節の花や木々に彩られた優雅な庭園、その芝生の裏に敷かれた石の蓋が秘密の通路を隠していたのだ。
じめじめとした空間から解放され、外の爽やかな空気を肺いっぱいに吸い込みたいところだが、そんな暇はない。庭園を含めこの王城を囲んでいる城壁の外には、多くの民が殺到している。ここからは見えないが、城壁警備の兵士たちは戦々恐々としながら集まった民衆を見下ろしているところだろう。
「龍涎香の収められている部屋には私とナディアが行きます。皆さんは植物園に早く」
ハインたちがアルフレドの導きで植物園に向かう一方で、ゼファーソンとナディアが城内に向かう。
「ええ、後で会いましょう」
「こっちだ、急いで!」
アルフレドに続いてハインとマリーナが庭園を横切る。目指すは世界各地の植物を集めた植物園だ。植物に詳しいハインがいなくては、『天馬のたてがみ』は持ち帰れない。
丁寧に切りそろえられた木々を抜けた先に見えたのは、大きなレンガの建物の壁面に沿うように作られたガラス張りの温室だった。厳冬でも雪を避け、陽の光で温度の保たれるこの施設は異国の植物を育てるのに最適だ。
庭師たちも慌てて避難したのだろう、温室には鍵もかけられていなかった。密閉されたガラス張りの部屋の扉を開けた途端、むわっと熱い空気が漏れ出すも、ハインたちは臆せず中へと急ぎ足で飛び込んだ。
所狭しと並んだ植木鉢や足元の地面から生えるは多種多様色とりどりの見たことも無い世界中の植物。地面の一角に人工の池が作られ、作水生植物も栽培されていた。じっくりと鑑賞したいところだがそれは別の機会に、ハインは目当ての植物を探すため目を凝らした。
「ハインさん、どれかわかります?」
不安げに尋ねるマリーナだが、その声は今のハインには届いていないようだ。しばらくの間植物の葉や茎、花をひとつひとつ確認していたがハインだが、やがてその内の一種を見るとすぐさま嬉しそうに声をあげる。
「あった、これだ!」
ハインが選び出したのは大人が抱えて持つような大きな鉢から挿し込まれた支柱に蔓を伸ばし、その所々に薄紫色の六枚の花弁をつけた植物だった。
「クレマチスのことだったのですか」
マリーナが意外そうに目を開く。天馬草と言うから珍しいものかと思っていたら、意外にも貴族の屋敷では園芸にも使われる植物であることに驚きを隠せなかった。
「植物の呼び方は地域によって大きく違うからね。それにこれは交配を重ねた園芸種よりも、野生種の方が良いんだ」
そう話しながらハインは手に持ったナイフで茎を途中で切断すると、その株を根ごと引っこ抜く。黒土をバラバラと落とすと、そこには複雑に絡まった長く太いひげ根が現れたのだった。
「ほら、まるで馬のたてがみみたいだろ。これが薬に使われるんだ」
ちなみに補足だが、実際にテッセンやカザグルマなどキンポウゲ科の一部の植物の根は
「さあ、目当ての物は見つけました。急いで戻りますよ」
アルフレドが言い放ったその時だった。
遠くから地響きが伝わりガラス張りの小屋が揺れ、その直後に大砲のような爆発音が届いたのだ。
「何ですか!?」
全員が反射的に身を屈める。
直後、何百もの人々が一斉に叫んだような歓声が聞こえ、遅れて止めどなく銃を発砲する音も続く。だがいくら銃声が鳴り続けようとも、人々の歓声は一向に収まる気配は無い。
「まさか、城壁が突破されたか!?」
ハインの声に一行は顔を青ざめさせた。
想定していた中で最悪の事態が起こってしまった。王国が亡ぶのはもう時間の問題だ。
「この部屋だったかな」
ナディアとともに城内に潜り込んだゼファーソンは、一部の者にのみ渡されているマスターキーを使い収蔵庫の扉を開ける。何十何百という城の中の一室だが、日光の入らないよう窓は無く、また熱での劣化を避けるため燭台さえ置かれていない。ここに入った者は自分で発光魔術を使わなくては、目当ての物さえ見つけられないのだ。
ゼファーソンの指先に照らされた室内は木製の古い棚が並べられ、小さな木箱や古い羊皮紙が大切に保管されていた。その間をふたりは声を潜めて歩き、収蔵された品々をひとつひとつ見て回る。
「龍涎香、龍涎香……と、あったあった!」
棚からゼファーソンが抜き出したのはのは小さな木箱、それを開けた中に綿に包まれて収められていたのは、やや黄色のかかった片手で収まるほどの小石のような丸い物体だった。
「私、本物の龍涎香って初めて見ました」
ゼファーソンの手に取った物体をしげしげと眺めながらナディアが呟く。
「希少価値が高い上に金よりも高価だからね。王家でもなかなか手に入れられないよ」
かつてこの龍涎香は正体が不明であったが、現在ではマッコウクジラの体内で作られる結石であると結論付けられている。だがなぜこのような物質を作るのか、その意義は学術的にも見解は一致せず、今なお謎に包まれている。
「これであとは戻るだけですね」
そう言い終えた途端、遠くから爆発音が響きナディアとゼファーソンははっと言葉を失い固まった。
城壁が爆破されたことを、ふたりは瞬時に理解したのだ。
「国王陛下が危ない!」
ゼファーソンは言い放つと同時に、手にした龍涎香をナディアに押し付ける。
前触れなく貴重な物を手渡され「え?」と混乱するナディアだが、ゼファーソンはそんな彼女の肩に優しく手をのせると丁寧に話しかけたのだった。
「お嬢さん、私は陛下の下に急ぎます。あなたはこれを持って、ハイン殿たちと合流してください」
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