第十三章 その3 おっさん、怪しい人物と話す
黒いマントの男に案内され、ハインが連れ込まれたのは古ぼけた空き家だった。ここは長い間持ち主がおらず、倒壊の危険もあるからと立ち入り禁止の看板も掛けられている。
だが室内は長年放置されていたとは思えないほど清潔だった。そして不思議なことに屋敷の奥、地下に続く階段からは少しばかり灯りが揺らめいているのも見える。
階段を降りたハインの通された小部屋には5人の、同じく全身を黒いマントとマスクで隠した男たちが机を取り囲んで座っていた。
「よく来たな」
入口からちょうど真正面に向かい合う位置に座っていた男が話しかける。マスクに覆い隠されてはいるが、少しにやりと笑っと気がした。おそらくはこのグループのリーダーだろう。
「あんたたちは何者だ?」
全員の視線を受けながら、ハインは尋ねる。
「私たちは現王政に対し憤りを覚えている集団でね。今の王国を変えようと思っているんだ」
「ダン・トゥーン一派の生き残りか?」
その時、男の組んだ指先がぴくりと動いた。声にも少しばかり苛立ちが混じる。
「あんな暴力だけに訴える連中とは違う。私たちは正当な手続きをもってこの国を変える」
「正当な手続き?」
ハインはじっと室内を見回す。マスクの隙間からぎろりと光る眼光。その光はいずれも強い意志と、聡明さを持っていた。
「なるほど、さしずめ僕を次期国王候補にでも祭り上げて、国王陛下と取って変わろうという魂胆だな」
「お見事、やはりお見通しですな」
これまでハインを案内していた男が大げさに驚く。この男はおそらくこのメンバーで最も格下なのだろう。
「そういう話なら他を当たってくれ。僕は王の器でなければ王家の一員に戻ろうなんてつもりもない。回復術師を目指す一介の学生に過ぎないよ」
そう言って踵を返そうとするハインだが、すかさず「お待ちください」と男が回り込んで行く手を阻む。
「他を当たれ、と言われましても他に頼るものはありませんからね。今あなたに動いてもらわねば、この国は衰退の一途を辿るでしょう。貴族を絞めつけて王家の権力を集中させる今の陛下のやり方は既に時代遅れです。既に多くの民が文字を読み、自ら考えて行動しつつあるこの時代、王国も共和国を見習い貴族と平民の代表による議会を設立し、民の意向に沿った政治を行うべきなのです」
「それが一番の狙いか」
ハインが吐き捨てると、ずっと座っていたリーダー格の男も背後から加勢する。
「民の不満はくすぶり続けている。かつて古代の都市国家は市民の議会によって統治を行っていた。民の総意をもって国を動かす、それこそが本来国家というものの在り方ではないかね」
なるほどもっともらしいことを言う。民にも政治の参加を促し、この国をより発展させようと言えば聞こえは良い。
だがハインは見抜いていた。民の総意という甘言は、単なる建前であることを。さしずめここにいるのは現王政では一番割を食っている下級貴族か軍人だろう。本当は自分たち下級貴族の権利を守るのが一番の目的だ。
「それは概ね同意します。ですがくれぐれも
「協力してはくださらないのですね?」
じろりと男が不気味な眼でハインの顔を覗き込む。
「少なくとも、今の僕は協力するつもりはない。ましてやこんな脅迫じみた誘いになど乗るものか」
迷う余地も見せず断るハイン。リーダーの男は「そうか」と小さく項垂れていたものの、すぐにくわっと頭を上げると突如声色を変えて命令したのだった。
「ならばかまわん、遠慮するな!」
ハインの前に立っていた男が懐から何かを取り出す。すかさず、ハインは殴りつけたものの男は見事なステップを踏んで横に逃れ、思い切り空振りしてしまった。
だがおかげで扉への道はがら空きだ。これはチャンスと、ハインは駆け出し、すぐに扉のドアノブに触れる。
しかし、様子がおかしい。ノブを握る手に、まったく力が入らないのだ。まるで鈍重な鉄の義手を肩からはめられているようで、指先ひとつ動かすにも身体が言うことを聞かない。
「な、なんだこれは……」
ついに体重を支える脚からも、力が抜けていった。ドアノブに手をかけたまま、倒れ込むハイン。なんとか眼球を動かしてわずかばかりに見えた背後には、先ほどの男が手に陶器の香炉を持って立っていた。
その後ろには、ずっと座っていた5人の男たちが並んでハインを見下ろしていた。
「魔術を仕込んだ香を焚いた。目覚めた時には我々にとって従順な駒となろう」
「ま、魔術を香に? そんな術、聞いたことが……」
そこまで口にしたところで、ハインは白目をむいて完全に倒れ込んだ。男たちは足で小突き、ハインが目を覚まさないのを確認すると一斉にマスクを外す。
「そりゃ当然だ。これは北方帝国にのみ伝わる秘術」
全員、鼻と口を布や包帯で覆っていた。息苦しいが、こうしないと香を吸い込んでしまう。そこにいたのは老齢から若手まで、様々な年代の男たちだった。
「本当に、一発逆転の大チャンスですよ」
ハインを連れて来た男はこの中でも特に若く、まだ20歳くらいだろう。燦々と輝く瞳は幼ささえ残している。
「まさかあなたが陛下の弱みを我々に売ってくださるなんてね」
そしてひとりの老齢の男を向いて、嬉しそうにはしゃぐのだった。ハインを迎えてからもずっと黙り込んでいたその男の顔はまさしく、王の側近のトマス・ゼファーソン氏だった。
「ベル、見えてきたよ。あれが王国だ」
朝日の昇る空の下、穏やかな波を掻き分けて突き進む大型の魔動外輪船。その船首に立つ男が、すぐ隣でもたれかかるようになんとか立っていた若い女をそっと抱き寄せる。
放浪の貴族レフ・ヴィゴットは北方帝国各地の周遊を終え、この日ようやく王国に戻ってきていた。それも今度はひとりではなく、最愛の女性まで連れて。
だが彼はふと隣の女の顔を覗き込むと、ぎょっと驚くのだった。
「どうしたんだ、なぜ泣いている?」
女の顔は涙に濡れていた。それも幸福そうに笑いながら。
「ええ、国を出ることは一生無いと思っていたから……ましてや海を越えるなんて生まれて初めてで、もう嬉しくてつい」
「そうか……でも泣くのはまだ早いよ。これからあの国の土を踏んで、色んな物を食べて、花と鳥を愛でなくちゃいけないのだから」
そう言って女の涙を指で拭い、ヴィゴットは改めて水平線の彼方に見える大地に目を移した。
ベル・ワトキンは現皇帝陛下の次女という身分に生まれながら、生来の身体の弱さゆえに自由に外出することさえ許されなかった。幾度も幾度も重病にかかりながら、その度に奇跡的な回復を果たして大人になったものの病弱なことは変わらず、政略結婚であっても嫁の貰い手は一向に現れなかった。
レフ・ヴィゴットが彼女と出会ったのは今から5年前のことだった。諸国を旅してまわっていた彼が北方帝国に立ち寄った際、皇帝陛下直々に部屋から出られない娘の話し相手になってくれるよう頼まれたのだ。
皇帝の頼みを断われるはずもなく、ヴィゴットは半ば仕方なしに彼女の元に向かった。
そして彼は一晩で恋に落ちた。ベットに横たわるベルの美しい姿にしてもそうだが、彼女の不憫な生い立ちに殊更に共感したのもあっただろう。
それはまるで幼少期の自分を見ているようだった。裕福な侯爵家の三男として生まれたものの、決して幸福とは言えなかった半生を嫌でも思い起こさせるようで。
それもそのはず、彼は父親であるヴィゴット候爵が、奉公に来ていたメイドに生ませた子だったのだ。
まだ若かった実母は彼を生んですぐに亡くなり、紆余曲折あって本家に迎え入れられたものの、公爵夫人からも兄弟からも、さらには使用人からも虐待同然の扱いを受け、不遇な幼少期を送らざるを得なかった。
彼は家族で囲んで食事をしたことが無い。いつも家族の食事が終わった後、食べ残した硬くなったパンや冷め切ったスープを与えられていた。勉強を少しでも間違えれば問答無用の鉄拳制裁が飛び、年下の弟には鞭で叩かれ馬の真似をさせられていた。そんな彼の姿を見て、家族も使用人も誰ひとり止めようとはしなかった。
家督を継ぐ権利も与えられなかった彼の想いはただひとつ。いつか必ず家を出て自由に生きる、ただそれだけを夢見て彼は耐え忍んだ。
その後、父親から与えられた屋敷を売り払い、その資金を基に放浪の旅に出た彼は、渇望していた愛情を求めあちこちを渡り歩いた。旅行記を書き、金を作り、そしてまた別の地へと旅に出る。結果として一所に留まらず、各地を放浪しては多くの人々と繋がりを築くこととなったものの、やはり家族からの愛という心の大きな穴を満たすことはできなかった。
そんな人生を送ってきた彼が、ついに初めて心から愛していると思える女性と出会う。それがベル・ワトキンだった。
「ついに私にも……幸福が訪れるのか」
徐々に近づく王国の陸地。寄り添ったふたりは互いに優しく抱きしめ合う。
船はすぐ上を並んで飛ぶカモメに導かれるように、まっすぐと港を目指していた。
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