第十三章 その2 おっさん、連れ出される
夏。暖かさとともに偏西風の運んできた雲がこの土地に雨をもたらす。それだけではない、高緯度のこの地域は夏は陽の出る時間が非常に長く、陽が沈んだ後もうっすらと闇に包まれる程度で灯火無しでも外を歩くことができるのだ。
農家や職人にとっては太陽の恵みをその身に浴びながら精一杯働く季節だろう。だが学生にとっては待ちに待った長い長い休暇のシーズンだ。
「ようハーマニー」
コメニス書店にひとりの若い男が顔を出す。
「ヘルマンさん、いらっしゃいませ」
店番のためカウンターに座っていたハーマニーは読んでいた本から顔を上げ、今しがた来店したヘルマンににこりと微笑んだ。
「教科書届いたんだってな。早速買いに来たぜ」
「はいはい、もうセットでそろえていますよ」
そう言ってハーマニーは足元の木箱から、紐でくくられた大小さまざまな書物の束を取り出して机の上に置いた。
ヘルマンはこの秋から魔術工学技師科に再入学する。軍事魔術師科とは学科もまったく異なるため、ほぼすべての教科書を買い直す必要があった。そうなると古今東西あらゆる書物を、をモットーとするコメニス書店は教科書をそろえるための絶好の店だった。
「やあヘルマン」
ちょうど店の奥から入荷したばかりの書籍の詰め込まれた木箱を担ぎ上げて運び出してきたハインが見知った少年に爽やかに挨拶する。声をかけられたヘルマンも「ハインさん、どうもっす」とスポーツ少年らしく答えた。
「今までハインさんが後輩だったのがしっくりこなかったのですが、先輩になったのでこれで違和感消えましたね」
「私と同じ学年ですけどね」
そう言って笑い合う3人。
「おい、そこの若い男」
突如、外から聞こえた鋭い声に、つい全員がびくっと跳ね上がる。
「その荷物は何だ、見せなさい」
見ると店のちょうど正面で、兵士が通行人の男を呼び止めていた。男が押していた荷車、そこに積まれた大きな木箱は確かに古ぼけ、多少怪しい見た目ではある。だが、以前はこの程度の荷物なら警備の兵士の目の前を通過しても中身を調べられることは無かった。
「最近警戒が厳しくなったね」
渋々といった顔で木箱の中身を兵士に見せる男を眺めながら、ハインがぼそっと呟く。聞くなりヘルマンが振り向き、小さく答えた。
「父からこっそり聞いたのですが、どうも国内外で反王政派が暗躍しているみたいで、一気に反王国感情が高まっていると。そのせいで兵士たちもピリピリしているそうです」
さすがはベーギンラート大佐の息子、一般市民の知り得ない情報も得る機会があるようだ。
「原因は分かるのかい?」
「それが……詳しくは話してくれないのですよ」
そこまではさすがに聞かされていないか。期待に応えられず、ばつが悪そうにヘルマンは顔を背けた。
その夜のことだった。
まだ本格的な夏も到来していないというのに、陽が沈んでからも嫌な蒸し暑さが王都を覆っている。比較的冷涼なこの土地では、人々は冬の寒さよりも夏の暑さに参ることの方が多かった。
ハインもそんな一人だった。ベッドの上で繰り返し寝返りを打っても、どうも落ち着かない。すっかり夜も更け、虫の鳴き声さえも聞こえなくなるほどの真夜中になってもハインは寝付けなかった。
だがその原因は暑さだけではない。今日一日中、誰かに見られている妙な気配がずっと付きまとっていた。そして目を瞑り意識を研ぎ澄ませ、ようやく確信した。窓の外、屋根の上に何かがいる。
ベッドからそっと抜け出し、足音を立てずゆっくりと窓を開けたハインは静かに、だがはっきりと口にした。
「誰かいるな、姿を見せろ」
帰ってきたのは妙に甲高い「ばれてしまっては仕方ありません」という男の声だった。
直後、窓から手を伸ばせば触れられる程度の瓦屋根の上に、ふっと人影が現れる。かつてフレイも披露していた、透明化魔術を解除したのだろう。
「ハイン・ぺスタロット殿ですね?」
現れたのは夏なのに黒一色のマント、そして目以外すべてを覆った黒い頭巾の男だった。背が高くやせ型であること以外、身体の特徴はわからない。
「何が目的だ、場合によっては痛い目を見るぞ」
今日一日中付きまとっていた違和感はやはりこの男か。ハインは腕をまくり、わざとその逞しい二の腕を見せつける。
「おっと、ここであなたが私に手を出せばこの店のお嬢さんたちはどうなるか、おわかりですね?」
男が人差し指を立て、ハインはむっと口を尖らせた。これほどの男だ、バレた時の対処法も既に準備している。それもハイン本人ではなく、それ以上に襲いやすい人質という作戦で。
「お前たち、反王政派だな?」
さらけ出した腕を袖で隠しながらも、男をギロリとにらみつけてハインは尋ねた。
「察しがよろしいですね、さすがは国王陛下の弟君」
男はホホホと不気味な声とともに、両手を広げて全身で笑う。
だがハインは驚きでしばし固まると、目をぱちりと開いたまま「なぜそのことを?」と訊いたのだった。
自分の出自を知っているのはごく限られた人間だけだ。しかしマリーナやエレン、ヘルバールが面白がって話すとは思えない。一体こいつらは、どこから情報を手に入れたのだろう?
「私の口からはお伝え出来ません。ともかくこちらへ」
疑問は尽きないが、ハーマニー一家を人質に取られてしまってはハインは従うほかなかった。
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