第4部

第十三章 その1 おっさん、合格を祝う

「ハーマニー、おめでとう!」


 この日、『赤の魔術師の館』に集まっていたハイン他回復術師科の仲良しグループは、秋よりめでたく下級生となる顔見知りの少女を祝福していた。


 一緒に勉強したハイン、ナディア、マリーナ、イヴだけでなく、他にも10人近くの顔見知りの少女たちが集った店内は一種の誕生日パーティーのように盛り上がっていた。真ん中の机に座る小柄なハーマニーは、頭に生徒お手製の花飾りを置かれて「えへへ」と照れ臭そうに笑う。


 失礼な話だが、まさか合格するとはハインたちも思っていなかった。しかも通知された結果によると、受験者422人、合格者40人中27位とまずまずの順位だ。


「あんなに勉強したんだものね」


「はい、皆さんが親身になって勉強を見てくださったおかげです」


 直前まで粘ったもののいまひとつ成果の出せなかったハインたちだったが、イヴを迎え入れた途端ハーマニーの物覚えが格段に良くなったのは一目でわかった。生まれ持った才覚だけでなく、努力で首席をもぎ取るタイプの彼女の教え方はハーマニーの思考に合致したらしい。最後の最後、凄まじい追い上げを見せたハーマニーは見事王国最難関の魔術師養成学校に合格したのである。


「良かったなハーマニー、これからもよろしくな」


 そんなハーマニーの隣に座って彼女の頭を鷲掴みにするのはヘルマンだ。最近まで軍事魔術師に所属していた彼も、再受験で危なげなく魔術工学技師科に合格している。また1年生からやり直しにはなるが、本当に自分のやりたいことを見つけたヘルマンは実に爽やかな表情だった。


「ふっふっふ、これからはヘルマンさんも私に先輩風吹かすことはできませんよ。ひとりの淑女レディとして労わってください」


 ハーマニーが不敵に笑うも、ヘルマンは「なーにがレディだ、このチンチクリンが」とデコピンをかます。


「でもこれから先輩のこと、何て呼んだらいいのかしら?」


 いつも通り掴み合って言い争うハーマニーとヘルマンを見つめながら、ナディアが頭をひねる。彼女たちにとっても先輩だったヘルマンが後輩になってしまったのだから、どういう立場を取るべきか悩ましいところだ。


「ふつーにヘルマンでいいよ」


 ハーマニーに髪の毛を掴まれながら、当のヘルマンはあっけらかんと答える。ふたりの喧嘩はあまりに見慣れた光景なので、誰も止めようとはしなかった。


「それにしてもハーマニーとヘルマンさんが同じ学年って、なんだか不思議な気分ね」


 内面のレベルはともかく、見た目なら同学年にはとても見えないふたりだ。マリーナが苦笑いしていると、髪の毛をくしゃくしゃにしたハーマニーがくるりと振り返った。


「そりゃ私は受験可能年齢ギリギリですが、ヘルマンさんは3つも上ですからね」


「いや、ハーマニーの見た目がガキっぽすぎるってことだろ」


「な、何を言うのですか!」


 ヘルマンの余計な一言にお約束の第二ラウンドが始まる。そんな時、マスターが「届きましたよ」と両手に大きな皿を持って歩いてきたのだ。


「あ、きたきた!」


 小さく拍手するマリーナたちに、ハーマニーは喧嘩をストップして「何です?」と眼を向ける。


「おめでとうハーマニー、これは私たちからのお祝いよ」


 そして受け取った皿を机の上に置く。そこに盛られた物を見るなり、ハーマニーは身を乗り出し目を輝かせた。


「シュトレンじゃないですか!」


 じゅるりとハーマニーの口の端から涎がこぼれる。


 レーズンやナッツを混ぜ込んだパン生地、その周りを粉砂糖でカチカチに固めた甘いお菓子。この地域では祭りの時にだけ食べられる特別なケーキだ。


「ええ、ハインさんから聞いたんだけど、ハーマニーこれ好きなんでしょ? いつも仲良くしてくれてありがとう、せっかくの機会だからみんなからお礼させてちょうだい」


 ハーマニーの笑顔は最高潮になった。


「ありがとうございます! ……でもこのケーキ、どこかで見たような」


「そうよ、ヘルマンさんってばバイトしてるお菓子屋さんの親方に頼み込んで、特別に用意してもらったのよ」


 プイっと顔を背けるヘルマン。その姿を見てハーマニーもつい頬を緩める。


「皆さん、本当にありがとうございます。私、回復術師目指して頑張りますね!」


 そして改めてみんなを向き直り、決意を新たにする。先輩たちは拍手で後輩の誕生を祝ったのだった。


「そうそう、ブルーナ伯爵家の使用人の子からも手紙が届いたのですよ」


 そう言ってハーマニーは懐から今朝届いたばかりの封筒を取り出す。


 伯爵夫人エレンは進級試験が終わった後、すぐに伯爵領に戻っている。その時親しくなったあの男の子が、ハーマニーが試験に合格したと通信用魔道具を介して聞いて、すぐさま手紙をしたためたのだ。


「あの子ってば自分のことでもないのにこんなに嬉しそうに。ほら見てくださいよ、『いつか僕が父の後を継いで領主になった時、回復術師になったハーマニーさんを屋敷に迎え入れたいです』って」


 嬉しそうに紙を広げるハーマニー。そこに綴られた文字はまだまだ子供らしく形も歪だったが、強い熱意が込められていた。


 だがその文面を見て、女子生徒たちは皆一様に黙って顔を赤らめていることに彼女は気付いていなかった。


「ねえ、これってもしかして」


 恋? マリーナが隣のナディアの脇腹をつつきながら、口だけを動かす。


「うん、そんな気がする」


 尋ねられたナディアは、なおも嬉しそうに文面を読み上げるハーマニーを見つめながら苦笑いを浮かべるのだった。




「王妃様、レフ・ヴィゴット様から通信です」


 その頃、王妃の私室には従者の女が駆け込んだ。


「ええ、準備して」


 ちょうど椅子に座っていた王妃は、読んでいた本をぱたんと閉じながら指示を出す。従者はすぐさま通信用魔道具を携え、王妃の傍に跪いた。従者が魔術を注ぎ込み、通信が開始される。


「王妃様、ありがとうございます」


 魔道具を通して聞こえるレフ・ヴィゴットの声はどことなく疲れている様子だった。


「久しぶりね。帝国は変わりなかった?」


「はい、相変わらず皇家の皆様は制海権の奪還を目指してぎらついておられます。軍備はますます整いつつあるようで、あとは王国と共和国の共倒れを待つだけですよ」


 聞くなり王妃はその美しい顔を歪ませ、不気味な笑いを浮かべた。


「ふふふ、準備は最終段階に入ったようね。こっちもちょうど良い口実を見つけたわ、あとはあなたが戻ってきてあちこちに吹聴して回れば、勝手に争い始めるでしょうね」


「はい……あの、王妃様、今別の部屋にベル……いえ、妹君がおられるのですが、お話はなされますか?」


 しばし王妃が黙り込む。まるで不意を突かれたように、むっと口を閉ざしていたものの、次に口を開いたときには妙に優しく語りかけるのだった。


「いいえ、それはいいわ。あの子は無知なお嬢様でいてないと、後々面倒なのよ」


「……了解しました。では、明日王国に向けて出発しますね」


「ええ、また会いましょう」


 そう言い終えると従者は魔力の注入を止め、通信は終了したのだった。


「さてと、手筈は整ったわ。ゼファーソンを解放しなさい、もう効き目は出ているでしょう」


 王妃の指示に従者の女は「はっ」と言ってその場を離れる。だがすぐに部屋に戻ってきた時には、傍らにひとりの老人を連れていたのだった。


「お久しぶりね。身体の調子はどう?」


 王妃はその老人の顔を覗き込み、穏やかに尋ねる。その老人、トマス・ゼファーソンの眼はすっかり輝きを失い、心をまるでどこかに置き忘れてしまったように俯いていた。王妃が語り掛けた途端、突如光を取り戻し、饒舌に話し始めたのだった。


「すこぶる好調にございます、王妃様。王の側近として仕えてから、これほど長きにわたる休暇をいただいたのは初めてですので」

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