第十二章 その5 おっさん、進級試験に合格する

「おめでとうございます、今年の進級試験は40人全員が合格ですよ」


 校舎前の掲示板に紙を貼りながらほほ笑むパーカース先生に、緊張で黙り込んでいた回復術師科1年生の40人が一斉に気の抜けたような声をあげる。最早掲示する意味も無い。


「あああ、よかったー」


「私、ギリギリだったから本当良かったわ」


「これで落ちるならあんた入学の時より学力下がってるわね。真面目に授業受けてた?」


 普段の力を発揮できれば彼女たちなら十分に合格できる試験だが、やはり採点されるのは緊張するもので口々に安堵を漏らす。


 だが合格者名とともに発表された順位を見るなり、生徒たちは今度は「ええ!?」と驚きに声をそろえたのだった。


「ちょっと! ナディアとイヴ、同点1位よ!」


「凄いわイヴ、ナディアに並ぶなんて」


「ずっと勉強してたものね! ねえ、今度私にも勉強教えてよ」


 イヴの周りに生徒たちが集まり、賛辞の言葉を贈る。不動の首席ナディア、その絶対女王にただ一人対抗できる人物として、イヴはにわかにシンデレラガールとなった。


「え、ええ」


 普段これほど注目を浴びることの無いイヴは少しばかり赤面していた。だが、人垣の向こうで39位で沈み込んでいるマリーナの背中を慰めるようにさすっているナディアを目にすると、眼鏡をかけ直して「ナディア!」と呼びかけたのだった。


「次は単独で1位取るからね!」


 振り返ったナディアが状況はよく呑み込めていないようで「ほえ?」と頭にハテナマークを浮かべる。だがイヴの見事な啖呵の切り方に、他の女子生徒たちは「やっちゃえ!」と大いに盛り上がったのだった。


 前はあんな顔見せなかったのに。イヴの様子が変わったのを感じながら、ハインは女子生徒とは少し離れた場所で掲示板を眺めていた。


「じゃあ打ち上げ行くわよ打ち上げ! 場所は『赤の魔術師の館』でいいわよね」


 女子生徒のひとりが腕を上げて号令をかける。直後、全員が「おおー!」とまるで訓練されていたかのように呼応した。ハインもその太い腕を上げ、無事進級の叶った喜びを共有する。


 40人全員、ひとつの塊になってぞろぞろと学校の敷地を出る。目的地はすぐ近く、生徒御用達の喫茶店だ。


「あの、ハイン様……」


 学校を出てしばらく歩いた時だった。最後尾を歩いていたハインに、ひとりの女性が声をかけたのだ。


「キーマ、怪我はもう治ったかい?」


「はい、傷痕も残らないそうです。本当にご迷惑をおかけしました」


 ゼファーソン家のメイドのキーマだった。今も頭に包帯は巻いているが、もう誰の手を借りずとも歩いてかまわないようだ。


 そしてその表情は以前よりも活き活きとしていた。ゼファーソンにただ従う虚ろな人形が、まるで生命を持ったように。


「もう謝る必要は無いよ。ところで……まだゼファーソンさんは帰ってこないのかい?」


「はい、王城にいくら尋ねてもわからないと返ってくるばかりで」


 キーマがしゅんと俯く。あの事件以降、まだゼファーソン氏は屋敷に戻ってきていない。伯爵夫人から王妃に尋ねてもらっても、返答は「もう帰ってもらったわよ」といった内容で行方は分からないままだった。


 貴族の失踪とあって見回りの兵士たちも懸命に捜査しているが、手掛かりは一向につかめないそうだ。


「そうか、早く帰ってきてもらいたいね。僕としても、ゼファーソンさんには一度会いたいんだ」


 自分を生かしてくれたことを感謝するために。心の中でハインはそう続けた。


「ハインさーん、遅れたら罰として全員のケーキ奢ってもらいますよ」


 いつの間にか先を行く生徒たちと随分と距離が開いてしまっていたようで、ナディアが手を振りながら大声で呼ぶ。


「こら、年長者の財布にタカるんじゃない! じゃあキーマ、またね!」


 そう言い残し、ハインはずかずかと同級生の方へと駆け出す。その後ろ姿を、キーマはじっと見送っていた。




 その夜、今なお雪融けぬ北方帝国の森の中、放浪の貴族レフ・ヴィゴットは雪積もる夜道をただ一人魔動車を走らせていた。


 運転手さえ引き連れないのは彼のような身分としては異常なことだ。それもこんな月も出ていない夜の時間、鬱蒼と茂る森の中を。


 しばらく車で闇の中を突き進んでいると、やがて木々に囲まれた古い屋敷が見えてくる。所々屋根瓦がはがれ、塗装も剥げて壁のレンガがむき出しになっている。まだ使えなくはないが、ここに住みたいかと言えば首を横に振ってしまいそうな見た目だった。


 ヴィゴットは無言で屋敷の前に車を停めると、運転席から飛び降りて重厚な玄関扉を強くノックする。


 しばらくして顔を出したのは、エプロンを着た老婆だった。


「ヴィゴット様、ようこそおいでくださいました」


「ああ、様子は?」


 家具も調度品も何も無い玄関だった。屋内に入るなり、ヴィゴットは外套を老婆に渡しながら尋ねる。


「正直な話、そう長くはありません。回復術師によると、皇女様は持ってあと1年……」


 すっと顔を背ける老婆。だが口を固く噤み、握った拳をぶるぶると震わせるヴィゴットの姿を見て、老婆は慌てて頭を下げるのだった。


「も、申し訳ありません!」


「いや、いい。ずっと世話をしてくれて、ありがとう」


 そう言ってヴィゴットはずんずんと屋敷の奥、カーペット一枚さえ敷かれていない廊下を進む。そしてある部屋の前に着くと、一旦襟を整えて息を吐き、はやる気持ちを抑えるようにドアノブに手をかける。


「ベル!」


 そして勢いよく扉を開ける。彼の眼に飛び込んできたのは窓際にひとつだけ置かれた簡素なベッド、そこに横たわる女性だった。


「いらっしゃい、ヴィゴット様。久しぶりに会えて嬉しく思いますわ」


 雪に反射された星明り、窓から入り込んだそのわずかな光を浴びる女性は、美しく長い金髪を輝かせていた。


 その姿を見るなりレフ・ヴィゴットは「うう」と泣き出しそうな気分を必死で殺し、誤魔化すようにわざと荒っぽく床を踏んで彼女に近付いた。


「僕だって嬉しいよ。君と会えない日々、どれだけ辛かったことか。君と一緒に過ごせるこの時をどれほど待ち望んだことか」


「私もですよ。あなたと会える日が近づくとお聞きして、ほら身体だってこんなに元気に」


 女性はぷるぷると震えながら、細く美しい手を差し出す。その手をヴィゴットは優しく握り返すと、繊細なガラス細工を扱うように彼女の身体を起こしたのだった。


「ベル、いきなりですまないけど、今日はとても大切な話があるんだ」


「大切なお話、ですか?」


「ああ、僕は決めたんだ」


 このまま一生、抱きしめていたい。だが、それはできない。


 そんな衝動を必死で抑え込みながらも、ヴィゴットは彼女の骨ばった指をこれまでより強く握り返して言った。


「ベル、一緒にこの国を出よう。そしてどこか、誰も知らない遠い国でふたりで暮らそう」

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