第十二章 その4 おっさん、試験を受ける

「へ、陛下の……弟君?」


 女の顔が引きつり、声も上ずる。


 しんと黙り込む女子生徒に、じっと女を見据えたままのハイン。ただひとり、ヘルバールだけがきょろきょろと皆の顔を忙しなく覗き込んでいた。


「ハイン、何を冗談言ってる。嘘を吐くならもっとましなのを……」


 わざとらしく笑うヘルバールは、後ろ手に女を捕まえたまま女子生徒たちをちらりと見る。だが黙り込んだまま俯く女子生徒たちに、彼の顔もぴくぴくと引きつっていくのだった。


「……おい、まさか、本当……なのか?」


 震える声のヘルバールに、ハインはゆっくりと大きく頷いた。


「ああ、最初に気付いたのはゼファーソンさんだ。陛下が双子だったのは長年秘匿され続けた事実で、当時のことを知っている人ももうゼファーソンさんだけだったそうだ」


「そ、そんな……」


 ヘルバールの日に焼けた顔からさっと血の気が引く。当然だろう、まさか飲み仲間が自分とは縁も無いほどかけ離れた高貴な身分だったなど、想像さえしたことがが無い。


「ああああああああ!」


 突如、女が叫び出した。あまりに突然のことだったのでその場に居た一同はびくりと飛び上がる。


「取り返しのつかないことをしてしまった。私は、王家に対して何という非礼を!」


 女の眼からは決壊したように涙が溢れ、大口を開く顔はぐしゃぐしゃになっていた。何もかにも絶望した人間の顔が、そこにあった。


「う、うわ!」


 女は凄まじい力でヘルバールの拘束を解くと、目にも止まらぬ速さで少し離れた石畳まで移動し、座り込んだ。そして腕を高く上げ、手にはめられた金属製の手枷を自分の脳天に叩き付けたのだ。


「きゃ、きゃあああああ!」


 女子生徒の絶叫が学園に響く。だが女はべっとりと血の着いた手枷を再び高く掲げ、既に血の流れ出る頭をまたしても打ち付けた。


 何度も何度も、メキメキと何かがへこむような音とともに血飛沫が上がる。だがそれでも彼女は自らを痛めつける手を止めなかった。


「何をしている、やめないか!」


 慌てて駆けつけたヘルバールが手枷をつかみ、女を取り押さえる。だが女は焦点の定まらぬ目をあちこちに向け、取り乱したようにまくしたてるのだった。


「お離しください、私は王家のために仕えてきたというのに……知らなかったとはいえ王家の方を傷つけたことに変わりはありません、この命をもって償いましょう」


 既に頭を支える体力さえ残っていないのか、フラフラと不安定な頭からはどくどくと血が流れ、涙と混じってさらに石畳を染め上げる。だがそれでも女はヘルバールの拘束を解かんと、腕に力を込めていたのだった。


 彼女は常日頃ゼファーソンの命令を遵守し、同時に心の支えとしている。だがそれは単なる複縦ではなく、究極的には王家を守るための手段のひとつであると、強い自覚と誇りを持っているからこその行動だ。そうでなければ汚れ仕事を引き受けるだけの強靱な精神を保つことはできない。


 だが本来守るべき王家の人間を傷つけてしまった行為は、その前提を根底から覆してしまう。ゼファーソンを慕うのは当然だが、それは王家への忠誠あってのもの。主人には何かしら考えがあっての命令だと推察されるといえど、彼女にとっては反逆も同義だった。


「やめろ、そんな必要は全くない!」


 だがその時、ハインの一喝が女の腕から力を奪い去る。ハインはずんずんと女に近付くと、一旦流れ出ていた涙の収まった女の瞳をじっと見つめ返した。


 そしてしゃがみ込み、女の肩にやさしくそっと手を置いたのだった。


「僕は君の行いを咎めるつもりは無い。誰が悪いとか憎いとか、そういったのとは違うんだ」


 ハインがじっと女の顔を見つめる。予想さえしていなかった行動に、女はぽかんと口を開けたまま行先を失った視線をぼうっと遠くに向けている。


「僕は孤児だった。でも幸い、良き司祭様の下で育てられたおかげで今の僕がある。でもあの時、もしも司祭様ではなく別の場所に預けられていたら、どうなっていただろう」


 しっかりと声も届いているのか、そもそも正気はまだ保てているのか、それらさえもわからぬ相手にハインはなおも穏やかに話しかけ続ける。


「幼い頃から特殊な訓練を受けて今の君があるとしたら、きっと恵まれた出自ではなかったはずだ。もしかしたら君は、僕が歩んでいた可能性のひとつなのかもしれない」


 その時、女の眼から再び涙がぶわっと溢れ出した。そして女は俯くと「うう……」と初めて年相応の女らしい嗚咽を漏らし始めたのだった。


「だから君も……そう言えば、まだ名前も聞いていなかったな」


「キーマ……キーマと申します」


「キーマ、だから君は気にする必要なんてない。王家の人間としてでなく、ハイン・ぺスタロットとしても、僕は君を責める気なんてさらさら無い。僕が君と同じ立場なら、同じように行動していたと思うし……いや、王家の人間だとか関係なく殺していただろう。君のように王家とゼファーソンさんに対しての忠誠を両立させることなんて、とてもできない。僕は君は本当に立派だと思う、だからもう自分を責めるのをやめてくれ」


 泣きじゃくる女に、ハインはふふっと優しく微笑む。


「でも……僕が王の弟だってことは、秘密にしておいてほしいな」


 そして最後に冗談ぽく付け足すと、マリーナはじめその場にいた全員が「もちろんですよ」と力強く返答する。


 幸いなことに、ここにいるのは見知った顔ばかりだ。誰かが聴き耳でも立てていない限り、流布するような人物はいないとハイン自身も確信していた。


 血まみれですすり泣く女を見つめながら、ようやく事は収まったと察したヘルバールは女の手枷を外し、背中から優しく支えて立たせる。


「さあ、まずはその怪我を治そう。今ならまだ傷跡も残らないはずだ」


 女の傷口を庇いながら医務室へと向かうヘルバール。そんな彼に連れられてとぼとぼと歩きゆく女を見送りながら、回復術師科の1年生4人は無言で立ち尽くしていた。


 ふたりの背中が見えなくなっても、しばらくの間しんと黙り込んで佇んでいた4人だったが、全員の顔をじっと見まわしたイヴが真っ先に口を開く。


「さあ、今日の試験を受けに行きましょう」


 一行はふっと笑うと「ええ!」と声を揃えて試験会場に向かったのだった。




 その日の午後、王妃の私室にひとりの奉公人の娘が駆け込んだ。


「王妃様、ハイン・ぺスタロットは試験を受けたそうです」


 すぐさま王妃の傍らに跪いて報告する彼女だが、当の王妃は鏡の前で晩餐会でのドレス姿をつぶさにチェックしながら「あらそう」と素っ気なく返すだけだった。


「良かったのですか? これではゼファーソン氏を拘束していた意味が無くなってしまったのでは」


「ええ、彼が回復術師になろうがそうでなかろうが、そこはどうでもいいの」


 自分の姿に満足し、王妃は机の上に置いた扇子を手に取った。


「王家の血を引く者がいる、この国を乱すにはその事実だけで十分よ」


 そして今しがた手にした扇子を開き、にやりと不敵に笑う顔を隠しながら目を光らせたのだった。


「早速ヴィゴットに伝えなさい。反王政派も共和国の連中も、何もかも焚きつけるのよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る