第十章 その3 おっさん、クラスメイトに挨拶する

 雪も融け、生命の躍動を迎える春。庭園に植えられた花々のつぼみも膨らみを増し、赤や黄など豊かな色彩を覗かせている。


 そして王立魔術師養成学園の3年生にとっては魔術師として認められるための最後の試験を終え、次の秋まで長期の休暇を謳歌する季節だ。


「やったあ、通ったわ!」


 朝、学舎前に貼りだされた最終試験合格者一覧の前に集う3年生の生徒たちが喜びの声を上げる。今年も受験者は全員、無事に通過したようだ。元々の素養は十分に備えている生徒ばかりのこの学園では不合格者はまず現れないのが実情だが、やはり回復術師としての将来が確約されれば実感が違う。


「私たちも再来年にはああなっているかしら」


 そんな彼女たちを遠目に眺めながら、ちょうど通りがかった1年生の女子生徒たちの中でマリーナがぼそっと呟いた。


「私たちももうすぐで休暇よ。まずは進級試験、頑張りましょ!」


 心ここにあらずなマリーナの背中を小突きながら、ナディアがにへらと笑う。


 無事に合格した3年生はこれから長い休暇の後、秋前の卒業式で晴れて回復術師になる。そんな生徒たちが楽しみにしているのは恒例行事となっている卒業式での国王の来訪である。


 滅多に人前に姿を見せない国王陛下だが、王立魔術師養成学園と王立大学の卒業式だけは別だ。王家の叡智の象徴である教育機関として、国家の首領である当人が出向かないわけにはいかない。


 王立魔術師養成学園はその名の通り国王を頂点とする機構であり、例年卒業式には国王が出席している。本人は壇上に立つためほとんどの生徒は間近でその顔を拝むことはできないものの、授与される卒業証書と回復術師の認定証には1枚ずつ国王の押印がなされている。


「おめでとう、首席なんてすごいわ!」


 そんな3年生たちが取り囲んで拍手を贈るのは、照れ笑いを浮かべる女子生徒。今年の卒業式でこの上なく名誉な役割をこなすのは彼女のようだ。


 最後の試験において首席の成績を獲得した生徒は、学科代表として卒業証書を直接国王から手渡しにされることになる。当然ながら一生に一度と無い晴れ舞台、家系にとっては数代先まで語り草となるレベルだ。


「あの先輩、1年生の時は下から数えた方が早かったそうよ。でも入学後も必死で勉強して、それから主席競争に加わったみたい」


「へえ、すごいなぁ。私、入学してから勉強時間一気に減っちゃったよ。もう必死で詰め込んだ数学とか、だいぶ忘れてる」


 あんな風になりたいなと、1年の女子たちが盛り上がる。同じ学科で助け合いながらも競い合うこの関係は、彼女たちの間に実に強い結束を生んでいた。


「まあ、うちには絶対女王がいるから下々の者は手の出しようが無いけどね」


 そう言ってマリーナはちらりと隣のナディアを一瞥した。友人の視線を感じ取り、ナディアはむっと頬を膨らませる。


「そんなこと言わないでよ、まだ2年あるんだからわからないわよ」


 そう楽しそうに盛り上がる女子生徒たち。ちょうどその脇をひとりの小柄な少女が通り抜けたが、そんなことなど誰も意に介さなかった。いや、そもそも気付いてすらいなかったのか、女子生徒たちは相変わらず仲間同士での会話に夢中だった。


「本当、腹が立つ……」


 わいわいと賑やかな回復術師科1年生の面々、そんな彼女たちにちらりと目だけ向けながら少女は毒づいた。


 輝くような金髪を肩まで伸ばし、両目にはめ込まれたのは宝石のような青い瞳、そして同年代の女子生徒らと比べても一回り小さな身体。


 人形のような見事な造形だった。だがその姿はあまりに整い過ぎて、逆に淡白な印象さえ与えていた。


「あ、おはようイヴ」


 そんな彼女に気付いて声をかけたのは、クロッカスとスイセン咲き誇る庭園のベンチに腰かけて本を読んでいた大男だった。


「おはようございますハイン・ぺスタロット様」


 イヴと呼ばれた小柄な少女はローブの裾を摘み上げてぺこりと一礼する。その一挙手一投足は徹底的に作法を叩き込まれた、育ちの良さを匂わせていた。


「同じクラスメイトなんだから、そんな堅苦しい挨拶なんていらないのに」


「いえ、たとえクラスメイトであってもぺスタロット様は年長の男性です。無礼な振る舞いはできません」


 回復術師科1年生のイヴ・セドリウスは起伏なく、淡々とした口調で返す。冷たい機械のように振る舞う少女を相手に、ハインは苦笑いを浮かべるしかなかった。


「凝り性だなぁ、まあいっか。進級試験が近付いているけど、調子はどうだい?」


「普段と変わりません。これまでの積み重ねを、本番で発揮するだけです」


「イヴは努力家だからなぁ、誰よりも一番勉強している。本当、感服するよ」


 その時、イヴの指先がぴくりと震える。


「他者に評価されるのは結果だけです。いくら重ねても努力は……目に見えません」


 抑揚の無い声がわずかに上ずっていた。そして言い放つと彼女はハインの顔から目を逸らし、つかつかと歩き去ってしまったのだった。


 土の隙間のあちこちから頭を覗かせる雑草の芽を踏みしめて歩くイヴ。


 そして同時に思い浮かべるのだ。クラスメイトであるナディア・クルフーズの、腹を抱えて笑う何も考えてなさそうな姿を。


「なんであんなのが……首席なのよ」


 入学試験以来ずっと次席に収まり続けている自分への当てつけか。カバンを握る手に力がこもり、その痛みで沸き立つ衝動を抑え込みながら彼女は教室へと向かった。




 その日、ブルーナ伯爵夫人エレンの滞在する王都の別荘には、随分と賑やかな男のしゃべり口が響いていた。


「いやいや、旦那がいないのに伯爵夫人とお会いできるなんて光栄極まりない、いやこれホント」


「ヴィゴット様ったら、本当に口が達者ですね。よく知った仲ではありませんか、どうぞおくつろぎください」


 訪れていたのは放浪の貴族レフ・ヴィゴットだった。ふたりは応接室のソファに座り、従者も伴わず茶を交わしていた。


 先日の事件で屋敷が壊れ、一時的に住まわせていた親戚もすでに他所に移っている。住まう程度には屋敷の修繕が完了したり、新居への引っ越しの準備が整って人のいなくなった別荘は一気に寂しくなってしまった。


 そんな折に訪ねてきたレフ・ヴィゴットはこの別荘に元の喧騒を取り戻してくれたようだった。


「ところでヴィゴット様、出発は明日とお聞きしているのですが」


「はい、壊れた魔動車も修理が終わりましたので、明日の昼には北方帝国行きの船に乗ります。あそこには親しい友人がおりまして、定期的に顔を見せているのです」


「北方帝国は今の季節も雪に覆われているのでしょうね。寒がりの私にはちょっと厳しいですわ」


「いえいえ、奥様の美しさと雪の美しさ、あわされば一枚の絵画のような華やかさ。是非とも雪上の奥様もこの目で見てみたいものですな」


 相変わらず調子の良い男だ。


「お世辞は聞き飽きましたわ、浮気性のヴィゴット様も早く嫁を迎え入れて腰を落ち着けてはどうかしら?」


 こういう話は聞き飽きている。伯爵夫人が軽くあしらうと、ヴィゴットはむむむと顔をしかめた。


「それは難しい提案ですな。良い女性を見ればすぐになびいてしまいますので、妻には毎晩折檻を食らうことになります」


 ふふふと上品に笑う伯爵夫人。そんな彼女をちらりと見たヴィゴットは、しきりに周囲を気にするようなそぶりを見せる。


 そして身を乗り出し、小声で尋ねてきたのだった。


「ところで奥様、トマス・ゼファーソン殿はご存知ですか?」


「ええ、国王陛下のお付きをしておられる御方ですね。以前国王陛下と謁見した時、お会いしました」


 神妙な面持ちのヴィゴットに、エレンはひっかかるものを感じながら正直に答えた。


「はい、そのゼファーソン殿なのですが……どうも最近、きな臭い噂が王宮にはびこっているそうなのですよ」


「噂?」


 首を傾げるエレン。ヴィゴットはさらに顔を近づけ、普段は聞かせない声色で話し始めた。


「ゼファーソン氏は長年王に仕えていますが、家格は決して高くはありません。そこで下級貴族にもより権限を持たせるよう王に何度も進言しているそうですが……陛下はどうも了承されない。そこで他の下級貴族や辺境の領主と結託して、王を失墜させて自らの言いなりになる別の王を新たに立てようと画策しているのではと」


「まさかそんなこと!」


 思わず叫ぶような声を上げ、慌てて口を塞ぐ。そんな情報、どこかに漏れればたとえ嘘であっても重大な事件になる。


「ええ、噂は噂です。ですが火の無い所に煙は立ちません。近い内に伯爵家にも話が持ち込まれるやもしれません。もしそうなれば、反乱分子に関わったと言うだけで処分される可能性もあります」


「……あくまでその噂が本当であったと仮定します。私は伯爵夫人、私自身に決定権はありません。夫であるブルーナ伯爵の決断に従うまでですわ」


 お茶のカップを手に取り、ゆっくりと口に運びながら話すエレンは優雅でありながら、決して自分の立場を曲げないという意志の強さも醸し出していた。


「それがよろしいかと思います。決して御心を乱されませんように」


 ヴィゴットがため息を吐く。安堵なのか落胆なのか、それは伯爵夫人にも推し量れなかった。




 その後、宿に帰ったヴィゴットは暖炉脇の椅子に座ると、またも通信用水晶を手に取り魔道具を起動させた。


「王妃様、こちらヴィゴットです。先ほど伯爵夫人にお会いしました」


 返ってきたのは艶っぽい女性の声だった。


「よくやったわヴィゴット。で、どう? 伯爵夫人はうまく動いてくれそうかしら?」


「まだわかりません。単なる箱入り娘ではなく聡明なお方ですから、領主の妻として身の振り方は常に心がけておられます。下手なことを話してはこちらが墓穴を掘ってしまいます」


「そうなの。まあいいわ、明日北方帝国に行くのでしょう? 父の……皇帝の様子も聞かせてほしいわ。家臣は対外的なことを気にして、身体が悪いとかそういう話は絶対に教えてくれないから」


「承知しました。ところで……」


「ええ、手筈は整えているわ。北方帝国に渡った次の新月の夜、いつもの屋敷に行きなさい。一晩だけなら自由にしてかまわないわ」


 ヴィゴットが言葉に詰まる。そして空いた手で目頭を押さえつけると、姿も見えぬ相手に頭を下げたのだった。


「……ありがとうございます」


 震えるヴィゴットの声は、まるで涙を必死に堪えているようだった。

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