第十章 その4 おっさん、なぜか話題に引き出される
「奥様、お手紙です」
夕食前、陽が傾いてから突然届いた封筒を持って使用人の女がブルーナ伯爵夫人に声をかける。
別荘の自室で通信用水晶で伯爵領の屋敷と連絡をちょうど取り終えたエレンは、魔力を使った疲れからお茶で喉を潤していたが「珍しいわね。どこからかしら?」と首を回す。
伯爵夫人とジェローム公子他使用人たち一行は明日、王都を発つ。領地で待つ伯爵のためにも名残惜しいが王都とはもうおさらばだ。
「差出人は王宮となっていますが、どなたからとは書かれておりません」
「不思議な話ね。それじゃあ今読むわ、貸して」
「はい、どうぞ」
形式的に、王都を発つ貴族に王城から手紙でも送っているのだろうか。そんな風に考えながら軽い気持ちで受け取った封筒をペーパーナイフで切り開ける。
そして文面を広げ、末尾のサインが目に入るなりエレンは顔を青ざめさせたのだった。
「これは……王妃様の直筆!?」
翌日、伯爵夫人は王宮に出向いた。
「もうお帰りの予定と伺っておりましたのに、申し訳ありません。王妃様がどうしてもお会いしたいと仰いまして」
出迎えたのは申し訳なさそうに眉をしかめたトマス・ゼファーソン氏だった。彼はエレンを応接室に案内すると、使用人を呼んでお茶と菓子を振る舞っていた。この部屋には街に山並みに湖畔といった、国内各地を描いた何枚もの風景画が飾られている。
「お気になさらないでください。急いで帰る必要はありませんし、息子も王都が気に入っております。久しぶりの王都をもうしばらく楽しみたいと思っていたところ、良い口実ができたと思っております」
にこやかに返しつつも、エレンは内心神経を研ぎ澄ませていた。先日レフ・ヴィゴットがゼファーソンに気をつけろと念押ししてきた。あくまで噂である以上この人物を全面的に疑うのは早計だが、多くの領民の命を預かる身として注意するに超したことはない。
王妃との対談はこの応接室にて行われる。先日の国王との謁見は警備の関係、また一種の公的な儀式としての意味合いもあって、かなりの下準備がなされていた。だが今回は私的に出会うだけの非公式な対談だ。見守る使用人も少ない。
「奥様、記録には残らないとはいえ王妃様との対談は領地の印象にも直結します。絶対に失礼のありませぬよう」
生まれてからもう30年、ずっと付き従っている老齢の乳母が眼光を光らせる。この従者はエレンにとって実の母親以上に近しい存在だった。
「わかってるわよ、安心して。いつまでも子供じゃないわ」
母親になった今だからこそこの乳母の心配が分かる。乳母にとってのエレンは腹を痛めて生んでいないだけで、本物の娘と変わらない大切な我が子も同然なのだ。
そしてしばらく待っていると、従者に引き連れられて王妃が入室したのだった。
「お待たせしました。我がまま言ってごめんなさい」
王妃メアリーは今28歳。10年前、北方帝国から嫁いできた時はそれは美しい若い娘だった。
今でも当時の面影は残しているものの、より成熟した女の魅力を醸し出していた。美しく長い巻毛の金髪、丸みを帯びた眼と輪郭がどことなくあどけなさも残しているものの、フリルや宝石の煌めきに彩られた淡い桃色のドレス、そして衣装にも負けない均整の取れた体格が、王族としての品位を如何なく発揮している。
「初めまして、お目にかかれて光栄です王妃様。ブルーナ伯爵夫人エレンです」
口元を扇子で隠しながらにこりと微笑む王妃に、思わず見とれてしまうところだった。エレンは粛々と頭を下げて敬意を示す。
「ええ初めまして。気楽にメアリーと呼んでくださいまし」
そう返しながら王妃は扇子を閉じた。全天を照らす太陽のような笑顔がそこにあった。
誰が指示するまでもなく何人もの使用人が足音も立てず現れ、あっという間に王妃の分までお茶と菓子が準備される。
「ゼファーソン、ちょっと席を外してくれる? ここは女の園よ」
「はい、メアリー様」
渋々ながらゼファーソン氏が使用人たちとともに部屋を去る。その際、ちらりと伯爵夫人にまるで注意を促すような視線を向けて退出した。
応接室には王妃にエレン、そしてエレンの従者である乳母の3人が残され、
「あなたの話は聞いていますわ。何でも主人を大勢の前で堂々と問い詰めたと」
「出過ぎた真似をお許し下さい」
「いえいえ、むしろ逆、ありがとうって言いたい気分だわ。うちの人ったら本当に無愛想で全然外に出ないものだから、人の話なんて聞く耳持たないのですよ」
いくら王妃とは言え、一国の元首をこうも貶めてよいのだろうか。まあここは私的な場、普段は口にできないようなことも話して問題は無い時間なのだろう。
「私も主人にはほとほと呆れることばかりです。妻のことも考えてほしいと何度思ったことか」
「本当、やれ世間体だとか対外的にどう思われるかとか。家の長でもある以前に、ひとりの夫であり父親であることを理解してもらいたいものだわ」
ほほほと上品に笑いあう奥方ふたり。脇に立つ乳母はまばたきさえせずにじっと立ち尽くしている。
「ところでエレン、私は王妃という立場だから普段は愚痴も気軽に言えないの。ちょっと聞いてくれない?」
「はい、私でよければ」
「ありがとう。でね、うちのゼファーソンなんだけど……どうも最近怪しいの」
顔を近づけた王妃の眼が一瞬怪しく光った。
「怪しい、ですか?」
エレンは初耳だとばかりに首を傾げる。まさか王妃からも彼の名が出てくるとは。
「私たちに隠れてこそこそと、何か企んでいるのかしら? 国王にも詳しい話はしないでどこかに出かけたり、屋敷に使用人のほとんどを外出させたり。まるで誰にも聞かれたくない話をしているみたい」
ヴィゴットから聞かされたのとまるで同じような内容に、平静を取り繕いながらも心乱される。
「しかし王妃様、私は一領主の妻でしかありません。そういったお話はよりお心を許される従者になされた方が、ふさわしいのではありませんか?」
「そうね。ところでエレン、あなたもう王都にいる学生さんとはお会いになられたのかしら?」
「学生? 何のことでしょう」
「ほら、魔術師養成学園で回復術師科に通っているあの男性よ。あの人、前に伯爵領に住んでいたことがあったって小耳に挟んだんだけど……まあ同郷というだけで知り合いだとは限らないからね」
確信した。この人はハインを引き合いに自分を脅迫しているのだ。
自分がハインとただならぬ関係にあるのは既にある程度近しい者には知られているので、どう言われようがかまわない。だが問題は相手が最高権力者の妻、王妃であることだ。ハインのような平民のひとりくらい、指示ひとつで簡単に消すこともできる。
喉の奥が一瞬にして渇く。傍に立つ乳母も居心地悪そうに白い歯を見せている。
「それにしても本当、ゼファーソンってば何を考えているのかしら。あの人、秘密主義な上にいつも怒ったような顔してるから。もしゼファーソンが何かしてきたら、いつでも連絡ちょうだいね」
天真爛漫に振る舞う王妃だが、それに隠された狡猾さを感じ取ったエレンは必死で身震いを抑えていた。
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