第十章 その2 おっさん、貴族の屋敷でお茶を飲む

「おお、回復術師科の子たちか。今日はオフの日かな?」


 店内の女子生徒たちに気付いた先代学園長ことデュイン公爵は目をぱちくりとさせながら手を振る。こんな気さくな振る舞いだが、これでも国王の遠戚という平民とはかけ離れた身分である。


「ええ、そうなのですが……学園長、いえ、公爵もよくここに?」


「ああ、昔からここのトルテは気に入っておってな。よく従者と一緒に変装して食べに来ておったぞ」


 屈託なく話す好々爺にカウンターのヘルマンも加わる。


「そうだよ、バイト先探してた俺にここの人手が足りてないってのも公爵が教えてくださったんだからな。ええと、チョコレートトルテのお持ち帰りですね。すぐに準備いたします」


「ついでにベリィトルテとコーヒーも頼む。ここで食べてから帰るよ」


 カウンターでしゃがみ込んだヘルマンが「はい畏まりました」と威勢よく返す。


「お持ち帰りだなんて、お客様が来られているのですか?」


 ナディアがいたずらっぽく尋ねると、公爵は照れくさそうに答えた。


「ああ、姪が……エレンが久しぶりに来ているんだ」


「伯爵夫人が王都に!?」


 にわかに生徒たちが沸き立つ。同じ女性として、上品で美しい伯爵夫人は彼女たちにとって憧れの存在だった。


「今日は私の家で一泊するそうだ。夕食前にジェロームも来るみたいだから、それまでに土産を用意しておかないとな。エレンは昔からこの店の菓子を気に入ってたから」


 公爵家と言ってもこの店ほどの菓子職人を抱えることはできなかったのだろうか。いや、このような公爵のこと、きっと本当に腕の良い料理人は自分たちだけで独占せず、街の人々にも楽しんでもらえるようこんな風に客の一人として店を訪れているのかもしれない。


 そんな風に想像するマリーナの隣で、ナディアが「ハインさんにはお会いになられたのですか?」と遠慮なく訊く。


「一応手紙は出してみたそうだが、互いに今は忙しい時期だから難しそうだ」


 ああ、葬儀が終わったばかりだから。女子生徒たちは誰も口にせず、そっと思った。




 その頃、ハインは注文を受けた品の配達に出向いていた。魔動車があれば便利だが、今日は品も少なくハインひとりでも持って歩ける量なので彼は書物の詰まった木箱を片手で抱えながら歩いていた。


 いや、正しくはハインでなければ持てないと言った方がふさわしいだろうか。最新の軍事魔術全書12巻はずっしりと重く、腕力に自信のあるハインであるからこその芸当だった。


「随分と立派な屋敷だな」


 注文主の屋敷の前に佇むハインは、ぐるりと取り囲む鉄柵の向こうに聳える巨大な邸宅に圧倒されていた。王宮勤めの貴族の屋敷のようだが、それにしても随分と豪華だ。


 ブルーナ伯爵のように領地を所有する貴族はその地方を治める領主であるため、大きな屋敷に住むのは至って当然のことだ。中には王城にも劣らない大規模な屋敷に住む領主もいる。


 だが王宮で執務を行う貴族の場合、領地は所有していないのがほとんどで、その多くは王都内の貴族の邸宅の建ち並ぶ一角に屋敷を構えている。都市では広大な土地の確保は難しく、それほど大きな屋敷を建造することはできない。


 だがこの屋敷はそんな貴族の屋敷の数倍の大きさはあった。きっと王宮でも要職に就く人物なのだろうと、ハインは思いながら警備の兵士にあいさつをして敷地に入った。


 そして立派な木製の扉に備え付けられた金属輪をつかんでドアを鳴らす。


「失礼します、本を届けに参りました」


 しばらくして扉がゆっくりと開かれる。出迎えたのは年老いた執事の男だった。


「おお、これはこれは。よくぞ来てくださいました」


「こちらが頼まれていた軍事魔術全書です。全部で12巻あります、どうぞご確認ください」


 そう言ってハインは木箱を足元に置き、その蓋を少しだけ外す。老人は分厚い書物の背表紙に振られた巻数を一つ一つ見て、しっかりと12冊あることを確認した。


「ええと……はい、確かに」


「では、こちらにサインをお願いします」


 木箱の蓋を閉めたハインは懐から紙を取り出し、老人に広げて見せる。老人は玄関先の引き出しからペンを取り出すと、受取人の箇所にサラサラと名を記した。


「それでは、私はこれにて」


 サインを受け取り、その場を去ろうとする身軽になったハイン。


「ふう、よっこいしょ!」


 だが彼は立ち止まる。老人はその老いた身体を酷使して木箱を持ち上げようとしていたのだ。健康な大人の男でもためらう重さなのに、この線の細い老体ではさぞ辛かろう。


 時間が経っても若い使用人が出てくる様子はない。ハインは引き返し、老人に声をかけた。


「あの、お持ちしましょうか?」




「すいませんなぁ、歳は取りたくないものです」


 木箱を抱えたハインは老人に先導され、塵ひとつ落ちていない絨毯張りの廊下を歩いていた。


「今日は旦那様と奥様が連れだってお出かけで、使用人もほとんど出払っているのです。私のような老いぼれは外に出るのも体に障りますので、留守を任されているのですよ」


「こんな大きなお屋敷なのに、仕事を執事さんに押し付けるなんて困った話ですね」


「ええ、本人の前では口が裂けても言えませんが、本当に人使いの荒い旦那様です」


 ハインの案内された先は書斎だった。使い古した執務机を中心に、壁一面古今東西の書物が並べられている。応接室も兼ねているのだろう、革張りのソファも置かれていた。


「こちらですか?」


 書棚の前に木箱を下ろしながらハインが尋ねると、老人は「ええ、ご苦労おかけします」としきりに頭を下げる。


「お疲れでしょう、ちょうど淹れたばかりのお茶がありますのでよろしかったらどうぞ」


「よろしいのですか? では、遠慮なく」


 まだまだ寒い季節、暖炉の焚かれた室内は居心地の良いもので、ハインはつい顔をほころばせてしまった。


「では今準備しますので、しばらくそちらにお座りになってお待ちください」


 そう言って老人は扉を開け、近くの厨房へ向かった。


 厨房には食器や調理器具が溢れんばかりに並べられていたが、中央の調理台だけはコップひとつ置かれておらず整理されていた。そして既にポットにカップ、そしてケーキが準備され、ワゴンに載せられていた。


「旦那様、お茶をどうぞ」


 かまどの近くに立っていた眼鏡をかけた若いキッチンメイドがそっとワゴンを手で差し伸べる。


「すまない」


 執事に変装した男――この屋敷の主であるトマス・ゼファーソン氏――は先ほどの弱々しい老爺の顔とはまるで違っていた。鋭い眼光は敵も味方もあらゆる人間を恐れおののきさせる迫力に満ちていた。


 ゼファーソン氏自身、先日ハインとレストランで出会って偽名を名乗り会話を交わしている。だが今日はあの時以上に入念に変装したおかげで、あの時のホレスという男であることはまるで気付かれていないようだ。


「しかしどうされたのですか、使用人の真似事なんて」


「少し調べたいことがあってな」


 メイドにそう言い残してゼファーソン氏はワゴンを押しながら厨房を出る。そして書斎の扉の前に立った時には、既に腰の低い執事の顔に戻っていた。


「お待たせしました。アイアシェッケ(チーズケーキ)とご一緒にどうぞ」


「わあ、ありがとうございます」


 待っていましたとばかりに浮かれるハインに、ゼファーソン氏は貼り付けた笑顔を向けていた。


 数十年来の王の付き人として身に付けた作法は完璧だった。手早くお茶を淹れ、音も立てずケーキ皿とフォークを準備する。


 ふたりはソファに腰かけ、斜めで対面する形で並んで座りながらお茶とケーキを楽しんだ。


「ハイン殿は書店を開かれてどれほどになられるのです?」


「いえ、私は店員ではありません。店の一室を借りて下宿させてもらっている身なのですよ」


 嬉しそうにケーキのビスケット生地をつつくハインはまるで子供のようだった。


「そうだったのですか。では、普段のお仕事は?」


「前までは石工をしておりましたが、今は何もしておりません。蓄えを元手に魔術師養成学園の回復術師科に通っております」


「なんと、その歳で学校に通われているのですか。驚きですね」


「ええ、よく言われます」


 そして舌の上に広がるチーズの風味を堪能した後、お茶を流し込む。一見大柄で武骨そうな外見だが、中身は至って無邪気のようだ。


「いえいえ、私も40を迎えるまで、自分はまだまだ若いと思っていました。ですがその頃腰を痛めまして、ようやく歳を重ねたことを実感しましたよ。ハイン殿もいつまでも若く、逞しくいてくだされ」


「そうですね、35くらいまで30代という実感も湧かなかったものですよ。いざ学校に入ってみんなからおっさん扱いされて、初めて自分もおっさんになったんだと痛感するものです」


 おっさんふたりの笑い声が書斎にこだまする。


「しかし石工から回復術師とはずいぶんと思い切った転身ですな。何かきっかけでもおありで?」


 フォークでケーキを口に運んでいたハインの手がピタリと止まる。そして彼は切ったケーキを皿に戻すと、ゆっくりと話し始めたのだった。


「ええ、大切な人の……子供が亡くなりまして」


「それはさぞ辛かったでしょう。申し訳ありません」


「いえ、お気になさらず。今になってわかったのです、いくら回復術を身に付けても、命はいつか潰えるのだと。先日、私の育ての親が亡くなりました。回復術師ももう手の施しようがないと話していましたが、それでも72年の天寿を全うしました」


 ゼファーソン氏の手もピタリと止まる。自分も若い頃世話になったぺスタロット司祭のことであるとはわかっていたが、それでもやはり司祭の訃報を耳にするのは堪え難いものがあった。


「清貧な人で、満ち足りた人生とは言えませんでした。ですがその死に顔は安らかで、もう思い残すことは無いと言いながら眠るように亡くなりました。それを見て思ったのです、回復術は決して万能ではありませんが、それでも不幸な最期を変える力はあると。皆に看取られながら穏やかに最期を迎える人がいれば、病や事故で思わぬ死を遂げる人がいる。命をどうこうできるような身分でないことは承知していますが、それでも私は多くの人が安らかな人生を送るための助力をしたいのです」


 そう語るハインは悲しみを浮かべながらも、清々しく澄み渡っていた。この男に雑念は無い、誰が見てもそう思えるほど。


 ゼファーソン氏は目にじわりと熱いものがこみ上げてきたのを感じ、「実に立派な心掛けですな」と言ってケーキを口に放り込んだ。




 ケーキとお茶を堪能したハインは何度も礼を言いながら屋敷を出ていった。まさか目の前の老人がこの屋敷の主であるとは、露ほども思っていないだろう。


「旦那様、何かお分かりになられましたか?」


 ハインを見送って玄関を締めた後、眼鏡をかけたキッチンメイドが静かに駆け寄って尋ねる。


 ゼファーソン氏は「うむ」と頷き、つかつかと歩き出した。間近で顔を見て改めて確認した、そしてやはり自分の思った通りだった。


 あのハインという男、決して回復術師にさせてはならない。

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