第九章 その5 おっさん、旧孤児院を訪ねる
ぺスタロット司祭の葬儀が終わって迎えた最初の休日の昼間、ハインとペーター孤児院育ちのふたりはかつて孤児院だった場所を訪ねていた。
「もうすっかり様変わりしちまったな」
幼少のハインが住んでいた教会運営の孤児院は土地も建物も既に別人の手に渡っていた。久々に訪ねたそこは外国との貿易で財を成した大商人に買い取られ、異国の料理を提供するレストランとして再利用されていたのだ。建物自体は頑丈で大きいため、大勢の人間を収容するには適していたが、まさかあの古めかしい孤児院が立派に模様替えされているのを見てふたりとも腰を抜かした。
メニューはいずれも珍しい食材を使ったものばかりで席を取るために普段の食事の何倍もの値を払わねばならなかったが、自分たちの育った家がどうなったか知る機会と思えば安いものだった。ふたりはせっかくだからと普段なら絶対に食べない料理を注文し、豪華な食事を満喫していた。
明日、ペーターは店を構える町に帰るため王都を発つ。もしかしたらこの昼食会がふたりの今生の別れになるかもしれない。
「覚えてるか? あそこ、祭壇が置かれてたよな」
「ああ、それにあそこには聖人画がかけられていた。パン屋の爺さんによくに似た顔してたから、勝手にパンおじさんって呼んでたな」
ふたりがあちこちを指差して在りし日を懐かしむ。今の目の前の光景からは全く想像もつかないだろうが、ふたりの目には確かに子供の頃から慣れ親しんだ孤児院の姿が映し出されているのだ。
かつての礼拝堂にはテーブルが並べられ、貴族や商人などハイソな身なりの客で席が埋められている。部屋のあちこちにも異国の白磁や変わった動物のはく製などが飾られ、仕切りにも黒い墨で見たことの無い文字がでかでかと書かれた屏風が使われていた。机の上にも、赤い漆塗りの象や虎といった珍しい動物の人形がちょこんと置かれて存在感を醸し出している。学校近くのカフェも同じように東洋の工芸品が展示されているが、そこよりもはるかに多くのコレクションが活用されていた。
しばらくして貴族の屋敷にいそうな身なりの男性店員が運んできた料理を見て、ふたりはさらに驚いだ。よくわからないが東洋の珍しい香辛料をふんだんに使ったスープに、フーティウという米粉から作った麺を入れた料理だ。
「ほら、あそこのテラス。お前よく上って司祭様に叱られていたろ」
その麺料理をスプーンとフォークで器用に食べながら、ペーターがからかうようにハインに話しかける。
「ああ、今でも昨日のように感じるよ。王立孤児院ができてから、俺たちよりも下の子はほとんど入ってこなかったな」
ハインも慣れない手つきで麺をちゅるちゅるとすすっていた。他の客を見てもやはり異国の料理は食べ方さえわからないようすで、皆思い思いの方法で食べにくい麺を口に運んでいる。
「教会の担っていた福祉を国が負担するようになって、聞いた話では商人からの税を引き上げたり、教会への寄付金を減らすような働きかけがあったらしい。元々金はなかったが、あの頃から教会は一気に失墜したな」
「昔じゃ考えられなかっただろうな、教会が身売りするなんて」
ハインもペーターも落胆する。かつて国家は教会と持ちつ持たれつの関係、いわば共依存の関係を保っていた。王位の継承も神に認められた存在として高位の僧侶が立ち会うことが絶対だった。
しかし王国が魔術啓蒙主義を前面に打ち出して以降、魔術と神学を分離して考える学派が主流となり、やがて大多数の魔術師たちが旧来の神の存在を前提とした学術論に異論を唱え始める。ついには長い過程を経て、政治面でも教会と国家は分断されたのだった。
当然ながら王家はもちろん貴族や商人からの寄付も激減し、教会の財政は縮小する一方となった。それは現在でも変わらず、もはやかつて諸王をも掌握していた教会の姿は、もはや過去のものとなってしまった。
「ご自分の私財を全て売り払って、貴族や商人に俺たちの身元引受人を頼み込んで、あれだけ粉骨砕身してきたのに……こんな最後なんて司祭様も報われないな」
ペーターの言葉に肯定も否定も示さず、ハインは黙ってスープを口に運んでいた。
「ところでハイン、こんな場所でしか言えないので申し訳ないんだが……お前、嫁をもらう気はないか?」
突如口調を変えてずいっと身を乗り出すペーター。
「どういうことだ?」
思わずスプーンを落としそうになったハインは周囲をちらちらと見ながら尋ね返す。
「俺の妻には妹がいる。美人で器量も良いんだが、子供のできる前に夫に先立たれてな。それ以降愛する人をまた亡くすのは辛いからと、縁談があっても断り続けているんだ。でもお前のような穏やかな性格の奴なら、きっとあの子の心も開けるはずだ、だから――」
「すまない、その話は受け入れられない」
ハインは太い腕を突き出し、首を横に振った。
「そうか……すまなかったな、お前の都合も考えねえで」
ペーターは残念そうだが安心したような口ぶりで、再びスプーンを手にして料理に手を付ける。だがハインは「いや、違うんだ」と断わりを入れた。
「そういう意味じゃない。僕みたいな浮気者じゃ……誰も幸せにできないよ」
「お前、まだ伯爵夫人に未練があるのか?」
呆れたようにペーターが尋ねる。ハインはしばし俯いたまま固まっていたが、しばらくして声も出さず
小さく頷いたのだった。
同時刻、コメニス書店前をひとりの男が通りかかっていた。積雪の取り除かれたこの通りは、つい先日の事件などまるで無関係のように大勢の買い物客が行き来している。
「ハイン・ぺスタロット……届けによるとここに住んでいるのか」
男は作業用の帽子を深くかぶり、ちらりと店内を覗き込む。この男が王の付き人を長年務めてきたトマス・ゼファーソンだと言われて、一体どれほどの人間が信じてくれるだろうか。
彼はいつもの宮廷に相応しい煌びやかな服装ではなく、この日は街を練り歩く労働者に扮していた。わざと汚れた外套を準備し、わずかに残った髪をくしゃくしゃに乱してボロボロの革靴を履く。それでも立ち居振る舞いから溢れ出る気品までは隠し切れず、まるで身分は低くとも誇り高い貴族のような印象を周囲に与えていた。
そんな彼が見たのは、カウンターで突っ伏しながら楽しそうに談笑する少女と少年だった。
「それでですね、お父さんが自信満々で仕入れてきた本が一冊も売れなくて。で、飲み代全部お母さんに取られて酒場で泣きながら商人仲間たちが飲んでいるのを眺めていたそうですよ」
「あはははは、親父さん可哀想」
少女はこの書店の娘だろう。だが少年の方はどこかのお偉いさんの息子だろうか、ぱりっと糊付けした良い素材の服を着ている。
しかし微笑ましいものだ。最近めっきり会う機会も減ってしまった10歳と6歳の孫の姉弟ふたりも、もうしばらくすればあんな感じになるのだろうか。
思わずじっと眺めてしまっていたせいか、こちらに気付いた店番の女の子が席を離れて歩いてきたのだ。
「お客様、本をお探しですか?」
ガラスのはめこまれた扉を開けて尋ねる少女は可愛らしく笑っているが、その目は明らかに不審がっているようすだった。
「いやいや、人を待っているだけだよ。すまんねお嬢ちゃん」
ゼファーソン氏は慌てて帽子をまたもかぶりなおし、そそくさとこの場を去る。
「姉ちゃん、なんだかぴりぴりしてるね」
「前に似たようなシチュエーションでひどい目に遭いましたからね」
店先まで出てきた少女と少年から見えないところまで急ぎ足で離れ、ほっと息を吐く。
「ふう、危ないところだった」
暑くもないのに滲み出した汗を拭うため、ゼファーソン氏は帽子を取る。
ハイン・ぺスタロットの住居は役所の資料を見てすぐにわかった。もっと調べたいところだが、これ以上の詮索はさすがに怪しまれる、今日は諦めて引き下がろう。
そう思っていた時、彼は「おや、ゼファーソン殿ではありませんか?」という男の声に呼び止められた。
聞き覚えのある声に意表を突かれて顔を向けると、そこには自分と同じように安物の外套を着込んだ男が立っていた。
「ヴィゴット殿、これは偶然ですね」
この人なら大丈夫だと、ゼファーソン氏は安堵する。さすらいの貴族レフ・ヴィゴットは王宮にもよく出入りし、国内外の情勢を面白おかしく報告してくれる。
国王とも面識があり、出不精な王の代わりに各地を見て回り、半ばスパイのように活動していた。当然、これは貴族にも知られていない事項である。元々各地の貴族と交流のある彼の交友関係に目を付けた国王が呼び寄せたのが始まりだ。
「どうしたんです、そんな格好して。庶民の生活を体験して、政治に活かそうというあれですか?」
「まあそんなところかな。王国の礎はまず人間、民こそが国力の根源ですからな。ところで、ヴィゴット殿こそここで何を?」
「私は放浪の旅行者、どこに現れるも自由ですよ……と言いたいところですが、先日の事件で愛用の魔動車を焼かれてしまいましてね、しばらくの間王都で足止めなんですよ。で、せっかくですし庶民のグルメを体験しようとこうやって自分の足で歩きまわっているわけです」
普段からそこまで高価な服を着ているわけではないヴィゴットだが、今日の彼は質素を通り越して貧相にさえ思える外見だった。庶民に扮してもどことなく品位を感じられるゼファーソン氏とは違い、ヴィゴットの場合は仕草まで庶民のそれだ。
「最近は魔動外輪船の性能も向上して、異国の食材も簡単に手に入るようになりましたからな。そこらの貴族よりも美味な食事を手頃な価格で楽しめるのも王都の魅力ですよ」
実際にゼファーソン自体こうやって庶民に扮して街を練り歩くのは楽しんでいる。城から一歩も外に出ない王に代わり、自らの目で見て耳で聞いて民の生活を身近に感じた上で、施政の助言を行っている。
「それは良い事をお聞きました。ゼファーソン殿おすすめのお店はどこです?」
「そうですな……少し歩いた場所に北方帝国より来た料理人が開いた店があります。蜂蜜酒ミードといっしょに食べるニシンの燻製は最高ですよ。どうです、今からひっかけていきませんか?」
「北方帝国ですか……すみません、実は北方には私用で頻繁に訪ねすぎて、あまり異国という気分がしないのですよ。どうでしょう、最近できたばかりの東方の料理を出す店があるのですが、そこで昼食を済ませませんか?」
「そんなものができているのですか。おもしろそうですね、是非行ってみましょう」
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