第九章 その4 おっさん、学園に戻る
「ハインさん、お元気なさそうですけど……大丈夫ですか?」
女子生徒のひとりがハインに尋ねる。いつもなら強く地面を踏みしめる2本の太い大樹のような脚は、この日ばかりはふらふらと揺れ、時折無意味に前に踏み込んだりして非常に危なっかしかった。
「ああ、ちょっと疲れただけだよ。ぐっすり眠ればすぐ良くなるさ」
そう笑いながら答えるものの、その目の下には青黒いクマが浮かび上がり、とても良くなるようには見えなかった。
「心配だわ、昨日は急用ができたって休まれていたし」
昼休憩、学園近くのカフェ『赤の魔術師の館』にて集まった女子生徒たちはコーヒーとパン、それにザワークラウトにソーセージという簡単な昼食をかき込みながらテーブルを囲っていた。なお当のハインは休憩時間になるや否やふらふらとどこかに消えてしまったため、現在この場にはいない。
「あまり深く聞かない方がいいわよ。聞いた話では昨日、親代わりの方の葬儀だったみたいよ。孤児院を運営していた司祭様って」
「あ、それ聞いたことあるわ。教会が傾いてもなお、ずっと孤児院を守り続けてきた方の話」
他の女子生徒たちが思い思いに口を開く。
「そういう事情ならこれ以上私たちが気を病んでも仕方ないわね。普段通りに接しましょう」
こうして一同は共通認識を得られたようで、食後にコーヒーをもう一杯頼むと満足げに店を出たのだった。
その日の午後、明るい日差しが雪に反射して美しく輝いている学園の庭に、回復術師科の生徒はローブを着て並んでいた。
「学校が病院代わりに使われている状況なんで屋内は使えないが、野外での実践授業ならまあできるだろう。ちとばかり寒いが、まあ我慢してくれ」
毛皮の外套を着込んだヘルバール先生が、白い息を吐きながら豪快に笑い飛ばす。
こんな時に授業なんてと思うかもしれないが、このまま授業の中断が続けば履修すべきカリキュラムが間に合わないという学校側の事情もあったのだ。いやいやながら、生徒たちはこの寒空の下実践授業に励まざるを得ない。
「今日は念力で浮かべた鉄球をあの的に当てる訓練だ。腕輪を受け取った生徒は各自練習を始めてくれ」
助手の軍事魔術師科の男子生徒が解呪の腕輪と訓練用の鉄球を各自に配る。その的というのは20メートルほど離れた樹木に立てかけられた木製の板で、その表面にはダーツの的のような同心円が色分けされて描かれていた。
それが40人の生徒に対して合計8枚。ヘルバールたちがこの雪の積もる中必死で運び出して準備したのだろう。
こんな授業、さっさと終わらせよう。そんな邪念が影響したのか、生徒たちの魔術はいつも以上にうまく使いこなされていなかった。
「あ、またダメだ!」
手に置いた鉄球は確かに飛ぶ。しかしその多くが的よりも手前、大半は半分の距離さえも届かない地面の上に落下していた。中には勢いよく飛び出したものの、斜め上はるか彼方の方向へとふっとんでいってしまうものもあり、力の調節の難しさを改めて生徒たちに突きつけるのだった。
「ああん、全然飛ばないわ」
十回以上連続で足元にぼてぼてと落としているナディアはすっかり落胆した。学業は優秀だが、こと実践に関してはクラスでも下から数えた方が早いのが彼女だ。
そんなナディアのすぐ隣に立ったマリーナが、すうっと息を吸い込む。そして掌の上の鉄球と遠くの的をじっと見据え、「はっ!」と口を開いて強く念じる。
直後、銃弾のように掌から放たれた鉄球はまっすぐに空気を切り裂くと、そのまま的の中心をえぐるように突き刺したのだった。
正確で、かつ力強い射撃に生徒たちから歓声が上がる。軍事魔術師科の生徒たちも拍手するほどだ。
「ナディア、あんたいつも雑念が多すぎるんじゃない?」
マリーナがにやりと勝ち誇った笑顔を級友に向けた。いつもはやられてばかり、ここぞとばかりに仕返しする。
「そりゃあねえ。どこかの誰かさんみたいに恋愛だけにエネルギー燃やしているわけじゃないから」
「だ……誰よ、そんなことに現を抜かしているのは」
かっと顔を真っ赤にするマリーナ。やはり実践の授業中であっても、ナディア相手では敵わないようだ。
そんな彼女たちのすぐ近くを、これまた一発の弾丸が凄まじい勢いで通り抜ける。
放たれた鉄球はマリーナのものと同様、勢いを殺すことなくまっすぐに飛んでいった。しかしコントロールに関してはまだ完ぺきではなく、看板に描かれた的の隅っこにガツンと音を立てて着弾する。
だがマリーナを除き魔術を使い始めて1年も経っていない生徒しかいないはずのこのクラス、ここまでの芸当ができるのは例年1人か2人だけだ。
「ハイン、前から思っていたが、お前やっぱりセンスいいな」
ヘルバールが腕を組み、たった今放たれた鉄球が看板に弾かれて雪の上にどさりと落ちるのを見届けた。その射手であるハインは「そうかな?」と照れながら頭を掻く。
「すごいですよハインさん、私まだあそこまで飛ばすことさえできないのに!」
「どうやったらそんなにうまくいくのです? やっぱり筋肉ですか?」
そして群がる女子生徒たち。困惑するハインだが、その様子を見ていたヘルバールはじっと深く考え込んでいた。
初めてハインが魔術を使ったとき、手にした鉄球を空高くへと打ち上げてしまった。その時はハインの職業経験が精神のコントロールにうまく作用したためと思っていたが、数ヶ月実践授業を進める中で、どうもそれだけでは説明しきれないように感じてきたのだった。
当然、魔術の腕は努力によりいくらでも向上の余地はあるが、生まれ持っての才能も多分に作用する。もしかしたら顔も知らぬハインの親は優れた魔術師なのかもしれない。そうヘルバールは思うようになっていた。
ふと隣に視線を移す。そしてヘルバールはぎょっと固まった。
そこでは立ち尽くしたマリーナが、なんともいえぬ複雑な面持ちでぼうっとハインと女子生徒たちを眺めていたのだった。
その夜、下宿先のコメニス書店に帰ったハインはようやく伯爵夫人からの手紙を開くことができた。昨日は葬儀が終わったばかりで心もすっかり消耗していたので、手紙を読むだけの気力がわかなかったのだ。
「ハインさん、お茶飲みます?」
ハインを気遣い書店の娘のハーマニーが3階のハインの部屋にポットとカップを運ぶ。
だが当の本人は「ああ、ありがとう」と少しだけ顔を向けると、再び文面に目を戻す。
ハーマニーはその手紙を読んではいないものの、内容についてはおおよそ知り得ていた。伯爵家に奉公に来ている少年をあの手この手で問い詰め、聞き出していたのだ。
そして驚いたことに、その内容は伯爵夫人が王都にいる間にハインに会いたいというだけのものではなかった。王と謁見するに当たって、最悪その場で殺されるかもしれない。そのことをハインにだけは知っていてもらいたいと。文面は優しく綴られているものの、まるで遺書ともとれる強い覚悟をひしひしと感じるものだった。
「伯爵夫人も随分と思いきったことをされますね。私には恐くて思い付きもしません」
カップに温かい紅茶を注ぎながら、ハーマニーが口を開く。
「エレン……伯爵夫人は見た目はおしとやかだけど、やる時はやる人だから」
「ですが、今日も奉公人の子が来て特にお城からお咎めも無かったと話していました。その点では安心ですね」
「そうなのか。なら良かった……本当に、無茶はやめてもらいたいよ」
そう言ってハーマニーの差し出す紅茶を受け取るハイン。
ハーマニーは小さく「どの口が言ってんだか」と呟いたが、彼の耳には届いていないようだ。
「あとそれから。私もそろそろ受験に本腰をいれなくてはなりませんのでハインさん、勉強ちゃんと教えてくださいね!」
「ああ、わかってるよ」
ハインは苦笑いを浮かべる。だがハーマニーが本当に学園に合格できるまで学力を高められるかは、いささか不安が残った。
彼女もハインの所属する回復術師科を目指す身だが、競争率は例年10倍前後。入学までに3浪ほどなら珍しくもない過酷な戦いだ。
だがお世辞にもハーマニーの頭脳が合格するだけの学力を有しているとは、親しき仲からでも言えるほどのものではなかった。
その夜遅く、貴族の屋敷の建ち並ぶ王都の高級住宅街。先日の反乱で最も甚大な被害を被ったのは貴族の邸宅だが、幸いにもこの屋敷はテロリストの飛行したコースから外れて被害を免れていた。
屋敷の居間、暖炉の前にはいくつもの鉢植えが並べられていた。そしてひとりの寝間着姿の少女がそのひとつを胸元に抱えて床に座り込み、じっと強く目を瞑っている。その背後にはガウン姿の父親も立っていた。
だがしばらく黙り込んでいた少女はやがてだらんと肩を落とし、鉢植えを床の上にぞんざいに置いたのだった。
「ああもう、うまくいかない!」
鉢に植えたのは小さな草。冬の間も雪の下でじっと耐え忍んで春を待つ逞しい名もなき植物だ。とはいえ春になったところで美しい花を咲かせるわけでもなく、また同じく人間に踏み潰されるような雑草でしかないのだが。
「マリーナ、もっと心を研ぎ澄ませるんだ。この植物がより大きくなった姿を思い描いて」
「そんなの、ずっとやってる!」
父の叱責に少女は憤慨気味に応える。
「今度こそ、ふん!」
ムキになり、マリーナは再び強く念じた。
植物がちょろっと起き上がる。雪の寒さにうっすらと茶のかかった植物の緑が、ほんの少しだけ青みを帯びる。
やった!? マリーナの顔も思わず緩む。
だが次の瞬間、植物の全体が焦げ茶色に染まり始める。そしてあっという間にそのまましおれ、完全に枯れ果ててしまったのだった。
「どうしてなの!?」
「最初はこんなものだ、繰り返し鍛錬を積めばいつか成功する」
「でも、でも! ハインさんは授業でしか魔術を使っていないのに何もかもうまくこなしているじゃないの! どうしてなの!?」
マリーナは今にも泣き出しそうだった。
彼女がハインに対し恋愛感情を抱いているのは事実だ。だが同時に、魔術を遣える身分である自分にさえも追いつかんばかりに、実践においても優秀な成績を残す彼に憧れにも似た嫉妬の感情さえも覚え始めたのだ。
たしかにマリーナはクラスの中で最も魔術を使いこなすのが得意な生徒である。だがそれはいわば男爵家の生まれという環境の賜物であり、幼い頃から勉学とともに積み上げた努力の日々がなせる業だ。実際に農民出身のナディアは学術での成績はぶっちぎりで一番なものの、実践においては芳しくない。
だがハインはどうだろう。彼はこれまでの38年の人生、魔術とは無縁の身分だった。それが学園に入学し、さらに才能まで開花させている。
彼から受けた恩は言い表し切れないほどの大きなものであることはマリーナ自身十分に理解している。しかしそうであっても、湧き上がる感情までは抑え切ることはできない。まだ一日の長のおかげでマリーナの方が分はあるものの、このまま追い抜かれるのは時間の問題だった。
「それは彼の前職が高度に精神を高める必要がったからだろう。彼の動きには無駄なものが無い」
何度同じことを聞かされたと思っているの! こっちは本当に魔術を使ってきたのよ、このまま追い抜かれるのは私のプライドが許さない!
あまり口にはしないが、マリーナは1回、入学試験に失敗している。さらに1年間、必死で勉強を積み、2回目の挑戦でようやく入学できた憧れの学園だ。同じ年頃の女の子が社交界で男と舞踏会を楽しんでいる中勉学に打ち込んできたのに、ここで何もかもが中途半端になってしまうのは彼女にとって自分の存在を否定されたように思えたのだった。
「マリーナ、生体への魔術は2年に入ってから習う単元だ。植物であっても命は命、粗末にするなよ」
男爵は釘を刺すものの、真剣な表情の娘はそのまま聞き流して次の鉢植えに手を伸ばしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます