第3部

第九章 その1 おっさん、懐かしの人と再会する

「奥様、王都が見えてきました」


 白雪のじゅうたんに覆われた平原を突っ切りながら、黒塗りの高級魔動車の運転手が言う。すぐさまその後ろの革張りの椅子の備え付けられた客席から、一組の母子が窓に顔を貼り付けた。


「ジェローム、あれが王城の尖塔ですよ」


 母親のブルーナ伯爵夫人エレンは6歳になる息子ジェローム公子の頭をそっと撫でながら、窓の外に聳え立つ城の尖塔を指差した。前に見た時、公子はまだ3歳だった。さすがに覚えていないだろう。


「大きいですお母様! きっと王様もすっごく大きな方なのですね!」


 興奮しながら窓に手をべったりと貼り付ける公子にエレンはふふっと笑うも、じっと王城とその下に広がる王都に目を移すと、途端に表情を曇らせるのだった。


 かつてこの位置からも見えていた王立図書館がその姿を消している。話に聞いていた以上に、事件の被害は甚大なようだ。


 3年ぶりに伯爵領を離れたエレンは、備蓄していた食糧や衣類など大量の物資を合計20台の魔動車に積み込み、同時に信頼のおける使用人やメイドも引き連れて王都を目指していた。厳寒の冬場、家や財産を失い避難所や病院に押し掛けた人々を一人でも多く助けるため、自分にできる最善のことを実行していた。


 城塞をくぐり、王都の内部に入る。王城より離れた地域は普段通りの穏やかな生活が続いているが、貴族の屋敷や高級商店の建ち並ぶ王城近くの区画は特に被害が大きく、未だ崩れた家は撤去されず瓦礫のまま残されており、道路の舗装もめくれあがっているために魔動車では通行ができない場所もあった。


「王都はまだまだ混乱の最中にあります。これに乗じて強盗も増えているそうなので、どうかお気をつけて」


 避難民の溢れかえる病院前の広場で召使たちが魔動車から荷物をせっせと下ろす傍ら、魔動車の運転手は心配そうに母子に声をかけた。


「ええ、心配ありがとう。疲れたでしょう、あなたは休んでいていいわ」


 そんな彼に伯爵夫人は美しい立ち姿のままにこりと笑顔を向けて労をねぎらう。そして一通り荷物を下ろし終えた使用人たちを向き直り、寒さの中まったく震えることも無く指示を飛ばす。


「メイドたちは私と一緒に別荘の準備を、男たちは避難所に物資を運びなさい。回復術師は王立病院に応援へ向かいなさい。あと、それから……」


 並ぶ使用人の端っこに、ちょこんとくっつくように立つ男の子。まだ10歳を迎えたばかりの彼は伯爵家の奉公人であり、此度の王都訪問に同行したのだった。


 そんな少年の前まで歩いた伯爵夫人は、一枚の封筒を彼に手渡した。


「学園の近くにコメニス書店という店があるわ。その店主にこの手紙を渡しておきなさい」


 優しく微笑む伯爵夫人に顔を赤く染めながらも、少年は「はい、奥様」と凛々しく返事する。


「じゃあ、よろしくね」


 エレンが少年の背中を押すと、少年は雪積もる王都を小走りで駆け抜け、やがて建物の陰に消えてしまった。他の男たちも物資の入った木箱を担ぎ上げると、病院の中へと搬入を始める。


「奥様、おいでなさいましたか!」


 その時、広場の向こうから中年の女が伯爵夫人の姿を見るなり駆けつけた。伯爵家の所有する王都の別荘を任されていたこの使用人は、久しぶりの主人の訪問に喜びに泣いていた。


「ええ、留守の間お勤めありがとう。でもこれから忙しくなるわ、私も協力するから、何かあったらすぐに言ってね」


「奥様のお手を煩わせるようなことはいたしません、避難されてきた方々もお待ちです、さあこちらへ」


 そう言って中年の女はエレンとメイドたちを先導する。


 ダン・トゥーンの事件から3日。王都では今なお復旧の目途が立たず、封鎖されたままの道路や積まれたままの瓦礫が残されていた。




 一次的に病院として開放されている魔術師養成学園には多くの怪我人が運び込まれ、回復術師科の生徒たちは介抱に忙しく走り回っていた。降って湧いた災難に生徒たちは忙殺されていたのものの、彼らのモチベーションは極めて高かった。


「この患者は火傷がひどい、皮膚の深いところまでダメージを受けています。これでは一度に治そうとしても、表面を取り繕うだけで根本的な回復はできません」


 普段は病院に勤めている回復術師の女性が、ベッドに寝かされた男を前にずらりと取り囲む生徒たちに講釈する。その男の腕は爆弾の炎により、痛々しくも焼けただれていた。


 そんな彼の腕にそっと手を添え、回復術師の女性は魔力を込める。手がわずか緑色に発酵する。怪我の程度に比べて、明らかに弱い治療魔術だ。だが彼女は傷口も塞ぎきらない内に術を中断すると、すかさず水で塗れた布でそっと拭いたのだった。


「こういうときは焦らず気を長く、冷やしながら何度かに分けて術を施すのが最適です。生きている組織をつなぎ合わせる骨折や創傷とはアプローチが異なります」


 本や講義で知識を得るのと、実際に目で見て経験するのはまた違う。回復術師科の生徒たちは忙しいながらも有意義な経験を享受していた。当然、ハインもプロの仕事を間近で見られて他の女子生徒に混ざり興味津々でその施術を観察している。


 そんな彼女らのすぐ後ろを、ぶつぶつと文句を垂れながら何者かが通り過ぎる。


「ああもう、このまま学園再開の日程が決まらなくてはカリキュラムの編成が……」


 ピリピリとした雰囲気を漂わせていたフレベル学科長だった。何十枚もの書類の束とにらめっこし、せかせかと歩き去る。


「あっちはあっちで大変みたいね」


「授業ストップしてるんだしね」


 女子生徒がひそひそと声を交わしていると、回復術師は「そこ、真面目に聞く!」と瞬時に鬼のような顔を向けた。


「は、はひぃ!」


 たちまち背筋を伸ばすふたりに、他の生徒たちもぷっと吹き出す。


「食糧が届いたぞー。手の空いてる者は運び込みを手伝ってくれ」


 力仕事を任されている軍事魔術師科の男子生徒たちの声に、室内はにわかに沸き立つ。


「おお、ありがたい。どこからだ?」


 患者の世話をしていた教員のひとりが尋ねると、男子生徒は「ブルーナ伯爵領からです」と答えた。


 その名を聞いた途端、ハインの隣にいたマリーナが耳をぴくりと動く。


 それにめざとく気付いたのはナディアだった。ふむふむと頷くと、彼女はつんつんとハインの脇腹をつついて小声で伝えた。


「ハインさん、伯爵夫人が来られましたよ!」


「そうだね。でも、こんな時だから会える暇はないと思うよ。連絡もこなかったし」


「ハインさん、暇は待ち構えるものではなく、こっちから作るものですよ。そうよね、マリーナ!」


 にひひと白い歯を見せて笑うナディアを、マリーナはじろりと睨み返した。成績優秀な彼女だが、こういう時はなかなかに良い性格をしている。




 夕方、この日の作業もようやく終わり、生徒たちは皆くたくたに疲れ切っていた。こんな時に喫茶店や酒場に寄ろうとする者はほとんどいない。生徒たちは皆まっすぐ家路についた。


「パーカース先生、お疲れ様です」


「ええ、ヴィルヘルムさん。お待たせしました」


 パーカース先生が校舎を出ると、先に仕事を終えたヴィルヘルムが雪の降る中待ち構えていた。ふたりはそっと肩を寄せ合うと、仲睦まじい様子で雪の中帰宅する。


「いいわよね、大人の恋愛って」


 ナディアがマリーナに悪戯っぽく声をかけると、マリーナはぶすっと頬を膨らませて「うるさい」と突っぱねた。


「あれ、ハインさんどこか行くのですか?」


 集団で買える女子生徒たちの中、ハインはいつもとは異なる道へと向かう。


「ああ、寄るところがあってね」


「伯爵夫人ですか?」


 ナディアがとぼけたように尋ねる。が、ハインは素っ気なく「ううん、違うよ」と返すのだった。


 思いもよらぬ返答に、ナディアもマリーナも、他の女子も「え?」と顔を見合わせる。ハインは答えたくない質問をされたとき、肯定はしなくとも嘘を吐くことは絶対に無い。つまりこれは本当に伯爵夫人ではないことを意味していた。


「誰のことかしら?」


「ヘルバール先生と飲みにでも行くんじゃない?」


 ざっくざっくと雪を踏み分けるハインの背中を、彼女たちは見送りながらあれこれと話し合う。が、結局どこに行くのか、見当はつかなかった。


 そんな噂話のネタにされているのを知ってか知らずか、ハインが向かったのは住宅街に佇む古ぼけた教会だった。


 王都のシンボルである大教会と比べて、何もかもが小さく質素なこの教会。人の出入りも地元の住民が訪れる程度で、名物の彫像があるわけでもない。


 そんなこれといった特徴もない教会の扉を、ハインはコンコンとノックする。ゆっくりと開けられた扉から顔を出したのは、ハインと同じくらいの年齢の男だった。


「おうハイン、よく来たな」


「久しぶりだなペーター。お前も忙しいのによく来てくれた」


 ペーターと呼ばれた男は教会の中にハインを招き入れる。そして男二人は軽く抱擁すると、再会を喜ぶのも束の間、深刻な顔を互いに向け合うのだった。


「司祭が倒れたなんて聞いたら黙っていられるかってんだ。仕立ての仕事も全部若いのに任せてきたさ」


「司祭の様子は?」


「あまり良くない。正直……もう長くはないだろう」


「そうか、すまない」


 ハインは静かに、教会の奥へと進む。


 蝋燭の灯りだけに照らされた厳かな礼拝堂には、多くの地元の住民が集まって皆じっと黙祷を捧げていた。礼拝の日でもないのに、彼らは皆必死で何かを懇願するようにただひたすらに祈り続ける。まるで自分の身よりも大切な何かを願うように。


 教会の奥には聖職者のための居住スペースが用意されている。その小部屋の前にハインは来ると、襟を正し、そしてゆっくりとドアを開けた。


「司祭様、お久しぶりです」


「その声は、ハインか?」


 小部屋の中、小さなベッドの上の人物は弱々しく答えた。ベッドと机くらいしかろくに物の置かれていないこの部屋、寝かされていたのは顔を白い髭に覆われた皺だらけの老爺だった。


「ええ、長いこと顔をお見せできず申し訳ありませんでした。」


 ハインはベッドの脇にそっと立つ。老人は澄んだ青い目をハインに向けると、震えながら口を笑わせた。


「気にするな、君たちがこの国で活躍していることこそ私の何よりの喜びだ。こんな老いぼれの心配をするより、世の人のために働いている方がよほど有意義だぞ」


「何を仰るのです、司祭様は身寄りのない私たちにとって親も同然。子どもが親の心配をして、どこがおかしいでしょう」


 ハインがそっと老人の骨ばった手を握る。体温は低く、小刻みに震えている。すでにひとりで立ち上がるほどの力さえ残されていないことは、誰が見ても明らかだった。


「……孤児院も閉鎖されてだいぶ経った。教会も資金繰りが苦しくなり、国が主体となって孤児院の運営に取り掛かり、もう私の出る幕は無くなった。だが、私は君たちのような人間の成長に関われて、本当に嬉しかった。神から与えられたこの命、私は十分に楽しんだよ」


 そう言って微笑む老人に、ハインは「何を弱気になっておられるのです」とより強く手を握り返す。


 これぞ幼少期のハインの育ての親にして、50年近く孤児院の運営に関わってきたぺスタロット司祭の臨終を間近に迎えた姿だった。

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