第八章 その3 おっさん、空中の決戦

 空から撒かれた爆弾や流れ弾によって、王都ではあちこちで火の手が上がっていた。その炎の下、崩れる家々のすぐ近くには人々が逃げ惑い、冬の夜とは思えないほど騒然としていた。


 家財を持ち出す暇もなかったのか、寝間着姿の貴婦人やナイフとフォークを手にしたままの男、物乞いの浮浪者までがいっしょになって路地を駆け回る。建国以来の大惨事に、人々は阿鼻叫喚の大混乱に陥っていた。


 そんな右往左往する人々の中、王城前の広場でナディアは立ち尽くし、じっとはるか夜空を見つめていた。


「ハインさん、必ずマリーナを……」


 両手の指を絡み合わせてただひたすらに祈る。そんな彼女の隣では、すっかり疲れきった顔の鍛冶屋の主人がぼうっと空を見上げていた。


「うちの子供がこんな発明をするなんて。俺はもっとあいつらを認めるべきだった……」


 そう呟く主人に、ナディアはふっと微笑みを向けた。


「鍛冶屋さんの心配はごもっともです。たとえ蒸気機関を世間に公表しても、受け入れられない可能性の方が高かったでしょう。ですが……今、私たちは目撃しているのです。他でもない、アルフレドさんとヴィーネさんだからこそ、この事態に立ち向かえる力があるのだと」




 その頃、王城のほぼ真上、地上からおよそ200メートルといった高度だろうか。


 上空の吹き荒れる風に晒されながら、互いに鎖で繋がり合ったふたつの飛行体が引きつ引かれつの激しい位置の奪い合いを繰り返していた。


 互いに生身の人間が露出した状態、ぶつかり合えば両者とも命の保証はない。この空中戦では少しでも相手より攻撃を加えやすい位置関係を取った方が圧倒的に有利だった。


 特にハインたちの目的はダン・トゥーンの命ではなく、あくまでマリーナの救出だ。下手に攻撃を加えてマリーナを巻き込んでしまっては意味が無いと、彼らは銃弾の一発さえ放つことはせず、ただひたすらに上昇と接近を繰り返した。


 ダン・トゥーンも同じく、すすんで攻撃は加えてこなかった。互いに鎖でつながっているこの状態、相手を撃墜するのは容易いが、自分たちも巻き込まれてしまう可能性が大きすぎた。用心深い彼はハインたちを確実に仕留めつつ自分たちの助かる保証が得られるまで、攻撃を行うことができなかった。


「なるほど、これが蒸気機関か。この技術に俺たちが目をつけたのは、間違っていなかったようだ。だが惜しかったな、もっと早くから俺たちの仲間に加わっていれば、この機械を増産できたかもしれないのに」


 ハインたちの乗るプロペラ付き魔動車を見下ろすような形で、ソリ型の飛行魔道具に乗ったダン・トゥーンがにやりと笑う。攻撃に有利な位置を先取したのは重量では劣るものの、機動性と小回りに優れた彼らテロリストの方だった。


 そんな一行を見上げるように睨み返し、鍛冶屋のアルフレドは白い蒸気を噴き出す機械にしがみつきながら強く反論した。


「お前のような殺人鬼に手を貸したりは絶対にしない! この技術は俺たち兄妹の手で、広く社会に知らしめる!」


「それはまことに残念、蒸気機関はほんの一時だけの失われた技術として後世に記録されるだろう」


 ついにダン・トゥーンは小型の魔導銃をかまえた。もうひとりの男も手にした爆弾の導火線に魔術で火をともす。そして発砲と爆弾の投擲が、ハインたちの機体を襲う。


「ぬうん!」


 だがその刹那、荷台の上で両手を挙げたモンテッソーリ男爵が強く念じると、機体全体が淡い光の球体に包み込まれる。そして弾丸や爆風をシャットアウトし、機体をわずかに揺らす程度にとどめたのだった。


 さすがは回復術師としても名高いモンテッソーリ男爵、たったひとりで6人の乗る機体全体を結界でカバーしていた。


「くそ、あれは破れねえ。おい、振り落とすぞ!」


「お、おう!」


 操縦者は息を切らしながらもさらに魔力を注ぎ込み、飛行魔道具を上下左右にと激しく揺らす。


 当然ながら鎖で連結されたハインたちの機体は大きく揺さぶられ、右に左にと大きく傾く。不安定な足場に全員が手近な場所にしがみつき、必死で耐えていた。


「ヴィルヘルム、先生! もっと魔力を注いで機体の安定を!」


 ハインが吠えるように呼びかけるも、この高度では到底平常心でいられるはずもない。パーカース先生は「ひええ」と今にも泣きそうな顔で、ただ振り落とされまいと必死に水晶と床のわずかな凹凸にしがみついていた。


「先生、出力をもっと!」


 彼女と同じように動力源である水晶を握りながら、軍人のヴィルヘルムが声をかける。


「ええ……痛!」


 その時機体がぐらりと揺れ、先生とヴィルヘルムの頭と頭が激しくぶつかり合った。


 一次的に先生とヴィルヘルムの魔力供給がストップし、安定装置を失った機体はたちまち大きく傾く。が、ふたりは慌てて魔力を注ぎ込んで足場を水平に戻したのだった。


「申し訳ないです先生、大丈夫ですか!?」


「ええ、なんとか。私の方こそごめんなさい」


 ぶつけた額をさすりながら、先生が恥ずかしそうに縮こまる。


「いえいえ、私は自慢の石頭ですので、こんなのどうってことないです。それよりも先生の美しいその顔を傷つけてしまったのが、どうにも許せんのです」


「ヴィルヘルムさん……」


 夜空の下、先生が頬を明らめる。そして互いに水晶を手に取り、無言で見つめ合うふたりの男女。


「何だ、あれ?」


 そんなふたりを見ていたダン・トゥーンは手に銃を握ったまま、空気の冷たさとも全く違う妙な肌寒さを感じて固まった。


 その間にもハインは次の鎖を投げつける。その鎖もまた見事に飛行魔道具の底部にひっかかり、二本の鎖がプロペラ魔動車と飛行魔道具をつなげたことで、両者の連結は強固なものとなった。


「今度はこっちの番だ! 出力全開!」


 そのタイミングで鍛冶屋の兄妹が蒸気機関のバルブを回し、圧力を最大にまで高める。


「マリーナ、もう少しだけ粘ってくれ!」


「え、ええ!」


 ハインの声にマリーナは低く身を屈め、手枷をはめられながらも縁の取っ手を強くつかんだ。


 瞬く間にプロペラが回転速度を増し、最大限の急加速で上昇する。一気に飛行魔道具よりも上位に突き出たおかげで、逆にテロリストの操る飛行魔道具の方が大きく傾いた。


「うお!?」


 傾いた飛行魔道具でダン・トゥーンは慌てて縁をつかんで難を逃れるが、積載された爆弾や兵器はそのほとんどが地上にバラバラと撒かれてしまった。


「うわああああ!」


 ついにもう一人の男も爆弾とともに落下する。残されたのはダン・トゥーンと操縦者、そしてマリーナの3人となった。


「くそくそくそくそくそ!」


 ヤケクソ気味にダン・トゥーンが銃を乱射する。が、すべて男爵が急いで張った結界に阻まれ、弱々しくはじき返されるのだった。


「ハインさん、頼みます」


 ヴィルヘルムの声に背中を押され、いよいよハインが腰に太い縄を巻き付けた。もう一端は機体に括り付け、その途中を男爵とアルフレドが握ってハインの体重を支える。


 6人が互いに頷くと、ハインはすうと息を深く吸い込み、機体から下で吊り下げられた格好の飛行魔道具に向けて飛び降りたのだった。


「マリーナを返せ!」


 落下する巨体。ダン・トゥーンは慌てて銃弾を放つも、その弾は急所を外れ肩をかすめただけだった。


 ついにハインがダン・トゥーンにとびかかり、のしかかる。その重みと衝撃にダン・トゥーンは「ぐげっ」と潰れたカエルのような声を上げるが、彼自身もなかなかの巨躯、機体から落とされることは無く組み合った状態で耐えきった。


「お、おい!」


 操縦者が振り返るが、ダン・トゥーンは「気にするな、お前は操縦を続けろ!」と叱り飛ばす。


「もう観念しろ、お前たちは終わりだ!」


「この筋肉達磨めが」


 ダン・トゥーンが懐に隠した小型の魔導銃を取り出す。が、その腕をハインが素早くつかみ返し、両者譲らない激しい銃の奪い合いへと移ったのだった。途中、銃身がハインに向いたところでダン・トゥーンが魔力を送り込んで発砲するも、その度にハインの腕力でねじ伏せられる。


 そしてその最中に放たれた一発が、操縦者の背中を貫いた。心臓を撃たれたのか、操縦者は声を上げることもなく前のめりになって絶命する。これによって動力を失った飛行魔道具はただの鉄塊と化した。


「うあ!」


 なんとか体勢を保っていた最後の安定装置を失い、飛行魔道具はほぼ垂直に傾いた。操縦者の男の身体はぼろ雑巾のように無様に滑り落ち、残された3人は手足を縁などにひっかけてやり過ごした。だがこんな不安定な場所でも、ハインとダン・トゥーンは互いに殴りつけたり蹴りを入れたりと戦いを続けていた。


「重量オーバーだ! 急いでマリーナを!」


 プロペラと噴き出す蒸気の音にも負けず、アルフレドの声が夜空に響く。


「マリーナ、今の内に!」


 ハインの縄を握りながら男爵も下の娘に叫ぶ。


 マリーナは「ええ」と頷くと、揺れる足場をゆっくりと移動する。


「ふはははは、まさか貴族殺しのダン・トゥーンがこんな平民のおっさんに追い詰められるとはな。まったく、一寸先は何も見えねえもんだ」


 仲間、そして勝利の見込みを失ったダン・トゥーンはついに狂ったように笑いだした。


「お前たちみたいに貴族どもの言いなりになっていたらさぞかし楽だろう。やることやったら褒められて、うまくいけば連中の仲間入りだ。けどな、それってお前ら、この糞みたいな国を無言で受け入れてるっことじゃねえのか? 連中の都合の良いように定められたルールで、どれだけ血反吐出しても超えられねえ壁を前に満足しちまって、そんなので生きている人間って言えるのか!?」


 ハインは無言で近付くマリーナを抱き寄せた。緊張していた彼女の顔に、ようやく安堵が戻る。


「秩序は秩序、乱す者は我々が許さない」


 そんなダン・トゥーンを見下ろしながら言い切ったのはヴィルヘルムだった。愛すべきこの都を、そして多くの同胞を失った彼の言葉には言いようの無い凄みがあった。


「けっ、この王国の犬め。犬は犬らしく遠吠えでもしてろってんだ」


「うるさい!」


 そんなダン・トゥーンに鋭い蹴りを入れたのは、後ろ手に手枷をはめられたマリーナだった。皮製のブーツが腹部にめり込み、ダン・トゥーンは息もできず目玉が飛び出さんばかりに顔を歪める。


「くがっ……!」


「あんたの信念がどうとか、そんなのはどうでもいい! 何も関係ない街のみんなを、軍人をこんなに巻き込んで、許せない!」


 マリーナの瞳からは決壊したように涙が溢れ出ていた。捕縛された恐怖の中、ずっと耐えてきた感情。そのすべてを彼女はぶちまけていた。


「ハインさん、もう機体が持ちません! 燃料も尽きかけてます!」


「引き揚げるぞ!」


 男爵とアルフレドのふたりが縄を引き、ハインとマリーナの身体が上昇する。


「お、お前たち……」


 最後の力で飛行魔道具をつかんでいたダン・トゥーンは、離れゆくハインを睨みつけながら絞り出すように言葉を発した。


「この俺を生かしておくべきだったと……後悔するがいい……」


 直後、プロペラの動力が限界を迎え、機体が一度跳ね上がるように揺れる。


 その衝撃にかぎ爪で引っ掻けていた鎖も外れ、飛行魔道具はついにプロペラ魔動車と分離した。


 支えを失くし、飛行魔道具は最後までしがみついていたダン・トゥーンもろとも回転しながら夜の王都へと吸い込まれていった。叫び声は何も無い、ただ不敵に笑う男の視線だけを残しながら。


「良かった、なんとかなりそうだ。下降を開始します」


 衝撃に耐えた乗組員たちはプロペラの圧力を弱め、ゆっくりと高度を下げ始める。宙づりのまま引き揚げられているハインは腕の中のマリーナにようやく微笑みを向けた。


「ハインさん……!」


「マリーナ、怪我は無いかい?」


「うん平気。ありがとう!」


 そしてマリーナはその身を大きな男の身体にこすりつける。


「マリーナ!」


 引き揚げられた彼女に最初に駆けつけたのは父親のモンテッソーリ男爵だった。


「お父さん!」


「このバカ娘! 勝手なことをしおって! でも、でも……よく生きてかえってきてくれたぁああああ!」


 男爵は娘を強く抱きしめるとこれまたぐずぐずに号泣する。マリーナも「ごめんなさい!」と謝りながら泣き出し、狭いプロペラ魔動車の上で泣き叫ぶ親子のおかげでその場の全員が指で耳を塞いだ。


「さあさあ、まだ終わっちゃいませんよ。地上に着くまで気は抜けませんからね」


 呆れた表情を見せながらもアルフレドは動力を調整し、王城前の広場へと機体をゆっくりと向かわせたのだった。

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