第六章 その7 おっさん、問い詰める
「蒸気機関の研究を続ければ、いつかアルフレドとヴィーネはふたりとも捕まる。あいつらには申し訳ないが、親としては諦めてもらうしかなかった。前々からそのことはずっと気になっていたんだが……男爵が来たことで、ようやく決心がついたんだ」
鍛冶屋の主人はうつむいたまま床に座り込み、ぽつぽつと話し始めた。
「俺は知り合いの兵士に資料の写しがあることを密かに伝えた。あんたたちから資料を回収したら、もうそれで終わりにしてくれるよう頼んだんだ。だが、その兵士は反王政派のひとりだった」
「そんな……」
ナディアは堪えていた。握りしめた拳がわなわなと震えている。
自分の子供を密告する。最も安全な選択肢であることは結論として妥当ではあるが、あの一心不乱に研究に打ち込む姿を見ていた彼女には、賛同はできても同情はできなかった。
パーカース先生もすっかり消沈した鍛冶屋の主人を、侮蔑するようにじっと眼を向けている。研究成果は研究者にとって生命に同じ、それを奪われることは殺されるも同然だった。
「奴は俺からの情報を軍には報告せず、反王政派の仲間たちに流した」
「なぜそんなことを?」
ハインが問い詰めた。鍛冶屋の主人を責めることはできないとわかりつつも、やり場のない想いに言い方も乱暴になる。
「連中は蒸気機関の技術を使い、魔動兵器に対抗する武器を作るつもりだ。そうでなくとも使い道は山ほどある」
これまでの特権を揺るがし得る革新的な技術だ。実用化されるだけで現在の魔術に依存した産業構造を崩壊させる潜在能力を持つ。
ゆえに王宮から研究の中止命令が下ったのだ。王国にとっての危機は反王政派にとって願っても無い好機だ、利用しない手は無い。
「反王政派はあらゆる階層の中に潜り込んで、着実に仲間を増やしている。資料を手に入れるまで、どこまでも追いかけてくるだろう」
「そんなぁ」
ナディアがへろへろと腰を落とす。今までなんとか疲労のたまった身体を支えていたものの、今の話を聞いてショックで気力を失ってしまった。
「それならいっそのこと、反王政派に資料を貸し出すのはどうでしょう。また返却してもらえるよう約束してもらえるなら――」
「それはだめだ!」
弱気になっていたパーカース先生に、ハインが鋭く割り入った。
「あの兄妹は反王政派とは何の関係も無い。彼らの技術が反王政派に渡ったと知れたら、真っ先に捕まるのはあのふたりだ。この状況を打開するには……相手が蒸気機関の技術そのものを諦めてくれるしか方法は無い」
「諦める……果たしてあの男が諦めてくれるものかね」
ふうとため息を吐く鍛冶屋の主人に、ハインは「あの男?」と訊き返した。
「恐らくだが、指示したのはダン・トゥーン。懸賞金もかけられたお尋ね者で、王都を拠点に活動する反王政派最大組織の親玉だ。魔術は使えねえ平民だが、既に何人か貴族を襲撃しているらしい」
一方その頃、学園近くの喫茶店『赤の魔術師の館』はただならぬ緊張感に包まれていた。
追跡を続ける男たちをうまく撒けないでいたマリーナはついこの店に逃げ込んでしまい、カウンター席に座っての籠城戦に移っていたのだった。
3杯目のコーヒーをちびちびと口に運びながら、ちらりと後ろに目を配る。背後の机には彼女をじっと監視するように、5人の男たちが陣取っていた。彼らもまた、すっかり冷めきったコーヒーを片手に粘り続けている。
「うう、また増えてる……」
泣き出したい気分だった。いつの間にか尾行してくる人物が増え、店に入る前には3人だったのが、ついに5人にまで。店の外にも仲間が待ち構えているかもしれない。
そんな時、カウンター越しに店のマスターがマリーナにそっと近付く。
「お嬢さん、さっきから落ち着かない様子ですね。いかがしました?」
整えた口ひげの目立つ初老のマスターは、ドリップポットの上から熱湯を注ぎながら訊いた。これは二段重ねになった金属製のポットで、上の段には挽いたコーヒー豆が網の上に置かれ、そこに熱湯を通すと下のポットにコーヒーが溜まる仕組みになっている。
「ええ、ちょっとのんびりコーヒーを飲みたいだけよ」
慌てて作り笑顔で答える。だがマスターは注ぎ終わったポットを手に持ちながら、そっと言い放ったのだった。
「……逃げているのですね、あの男たちから」
マリーナは言葉を失い、しばらく黙り込んでから「どうして?」と訊き返した。
「長くこの仕事をしているとですね、お客様の考えていることもなんとなくわかるようになってくるものですよ」
マスターはそう言って別の客の注文したコーヒーを注ぎながら、すぐ脇のカウンター扉をそっと開けた。
「こちらにどうぞ」
そしてマリーナをカウンターの内側へと誘う。
ダミーの鞄を手に持ったマリーナは急いで扉をくぐった。
「さあ、裏口からお逃げください。鍵は開けたままでかまいません。今日のコーヒー代はまたお友達と来た時に払ってくださればいいですよ」
「マスター、ありがとう!」
言われた通り、マリーナはカウンターの裏から食材庫へと入り、その奥の勝手口から外に出た。
レンガや石の壁に挟まれた裏路地には誰もおらず、吹き込む雪をその身に受けながら彼女はひたすらに速足で大通りへと戻る。
だが、あと少しで裏路地から抜け出そうという時のことだった。脇の路地から男たちが数名飛び出し、彼女の行く手を塞いだのだった。
慌てて踵を返すマリーナだが、いつの間にか後方からも数名の男が走って迫ってきている。退路は断たれていた。
「やっぱり俺の言った通りだろ、ここの親父なら娘を裏口から逃がす。昔から気前の良かったあのおっさんならやりそうなことだ」
睨み返すマリーナを、男のひとりがけらけらと笑う。
「あなた、どこかで見た顔ね」
だが元々の気の強さにここ最近の事件のおかげで肝の据わり具合に磨きのかかったマリーナだ、怯んでは負けと男に尋ねる。
「ほう、俺も有名になったものだ。名が売れるとは良いことだな」
男は感心したようににやっと口を歪める。ハインほどはいかないまでもがっしりした筋肉質な体つきで、日々の仕事で鍛えているような風貌だ。
年齢もまだ若いのか、顔つきも若々しさに満ちている。だがその裏側からはまるで子供が小動物を楽しんで痛めつけるような、言いようの無い残虐性も醸し出していた。
「俺の名はダン・トゥーン。いけ好かない貴族とその家族を、もう10人殺している」
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