第六章 その4 おっさん、憎まれ役を買って出る

 男爵と兵士たちが帰った後、鍛冶屋の兄妹と仲間たち、そしてハインとナディアにパーカース先生は2階の食堂に集まっていた。


 机の上に今までの研究資料を全て広げ、実験のデータから設計図まですべてを別の紙やノートに書き移していたのだ。


 なおハーマニーはご両親が心配するので既に帰らせている。


「小数点の位置に注意してください、妹の字は兄の私から見ても汚いので」


「兄さん、余計なこと言わない!」


 全員が悪筆の資料を一心不乱に読んでは写す。今まで息子たちに今一つ理解を示し切れなかった鍛冶屋の主人と奥さんもこの時ばかりはお茶や軽食を用意して協力してくれた。


「本当に申し訳ありません、無関係のあなたまで巻き込んでしまって」


 お茶を持ってきたふくよかな体つきの奥さんが、パーカース先生に後ろから話しかける。


「いいえ、私も研究者の端くれ、研究をやめさせられるほどの屈辱はありません。データの書き写しは慣れっこですので、おかまいなく」


 そんなこんなで休みなしの作業はぶっ通しで続けられ、一晩かけて膨大な量の研究記録を書き写せたのだった。


「お、終わったー」


「もうペンが握れ……ない」


 達成感とともに次々と机に突っ伏す面々。皆、目の下に青黒いクマを浮かべ、ナディアら若い女性たちも普段のかわいらしさなどどこかにふっとんでいた。


「皆さん、本当にありがとうございます」


 何度も頭を下げる兄妹。彼らもへとへとでひどい顔になっていたものの、やり遂げた喜びと申し訳なさに複雑な笑みを浮かべていた。


「とりあえず……これ、どうしよう?」


 すっかり冷めきったお茶を飲みながら、ハインは今しがた作ったばかりの資料の写しをそっと撫でる。


 ここに置いておくと次に男爵がやってくるときに見つかって没収されるだろう。男爵は実物の蒸気機関も研究資料も、すべて処分するように命令していたのだから。


 ひとまずどこかに隠そう。無言の内に全員が考えを共有していた。


 それを察して、ハインがすかさず手を挙げる。


「とりあえずは僕が預かっておこう。開発に関わった研究者の方なら、男爵がもしかしたらと乗り込んでくるかもしれない」


「私の部屋もご利用ください。既に本まみれですので、カモフラージュにはピッタリです」


 続いて手を挙げたのはパーカース先生だった。書き写しで疲れ切っているはずなのに、学校で見せる無気力な表情とは全く違う活力と闘志がみなぎっていた。


「じゃ、じゃあ私も」


 ついでといった具合でナディアも混じる。兄妹の夢を応援したいと申し出た手前、何もしないのは気が引ける。


「皆さん……ありがとうございます」


 ヴィーネが今にも泣き出しそうな顔で頭を下げる。


「さて、それではいよいよか」


 そんな妹の隣で、兄のアルフレドは沈んだ表情のまま立ち上がり、重い足取りで部屋の外へと出たのだった。


 これから何をするのか。何も言わずともこの場にいる全員が理解して、皆口を閉ざしたまま彼の後をついていった。


 厳しい冷え込みの中、中庭に出た一行は静かに蒸気機関の前に並ぶ。鋼の金属光沢が朝の光を反射し、美しく照り返っている。


 両手用の金属製の巨大なハンマーを手に取り、無言のまま機械の前に立つアルフレド。


 王からの命令は絶対だ。これを壊さなくては、自分たちだけでなく仲間や家族まで巻き込んでしまう。


 長い長い沈黙の後、アルフレドは息を整え、唾をのみ込んだ。ついに覚悟を決め、皆が見守る中ハンマーを振り上げる。


 だがその瞬間、その手からはぽろりとハンマーが滑り落ちてしまうのだった。


「だめだ、できない」


 雪の上にドスンと落ちるハンマーに、膝をつくアルフレド。


 すかさず「兄さん!」と涙声でヴィーネが駆け寄り、背中から抱きしめる。


「これは私たち兄妹の魂の結晶、自分で壊すなんてとても……私にとっては自分の子供を殺すようなものだ」


 そう言いながら何度も何度も積もった雪に拳を打ち付ける。拳の皮が切れ、雪が血で赤く染まっても彼は手を止めなかった。


 だが誰も彼を責めることはできなかった。短い間とはいえすぐ傍で研究に打ち込む姿を見ていた身ならば、彼らがどれほどの想いでこの機械の開発に心血を注いできたかは嫌でも分かっていた。


「アルフレド、じゃあ僕がやろう」


 そんな兄妹に声をかけたのはハインだった。足元に転がっていたハンマーをそっと拾い上げ、静かに手を添える。


 兄妹はじっとハインの顔を睨みつけるが、しばらく経ってから呟くように答えたのだった。


「ハインさん……お願いします」


 ハインは無言で頷き返し、機械のすぐ前まで進み出る。同時に兄妹は立ち上がり、一歩下がる。


「いいね?」


 ハンマーを振り上げたハインはヴィーネとアルフレドに最後の確認を取る。


「お願いします」


 答えた瞬間、ハインはハンマーを振り下ろした。


 金属同士が打ち付けられるけたたましい破壊音とともに機械がへこみ、ピストンやバルブなどの細かなパーツが吹き飛ぶ。


 間髪入れずハインは2度目のハンマーを入れた。薄い金属板に穴が開き、冷却用の水が漏れ出す。


 バラバラに壊れゆく機械は薄暗い中でもわずかな光を反射し、白く輝きながらその命を全うしているようだった。


 その光景を見つめながら、兄妹は堪え切れず無言のまま滝のような涙を流していた。




 鍛冶屋を後にした3人は無言のまま並んで街を歩いていた。手には先ほど書き上げたばかりの資料の写しを紐で結び、大きな布で包んだものをぶら下げている。


 結局、研究資料はハインとナディア、パーカース先生の3人で分けて持って帰ることになり、少なくとも次に男爵が鍛冶屋を訪ねてくる日までは厳重に預かっておくことになったのだった。


「虚しいですね」


 朝の賑わいの中、ナディアがぼそっと呟く。


「ああ、でも逆らったところで誰も得しないのを一番わかっているのはアルフレドとヴィーネだよ」


 ハインもずっと押さえ込んでいた想いを解放するように話した。


 元の実験データや設計図は次に男爵が訪ねて来た時にすべて目の前で焼却する。


 だが3日の間にハインたちがデータを書き写していることは想定しているだろう。あの鍛冶屋は今後も男爵たちにマークされ続ける。


 今までどれほどの数の研究者が同じような目に遭い、または捕らえられたのだろう。


「これはとても大切な資料だからね、絶対に他人に見せてはいけないし、話してもいけないよ」


「そうですね、厳重に保管しておかないと……とりあえず家に木箱があるのでそこに入れておきます」


 ナディアは研究資料をぎゅっと抱きしめる。そして3人は各々家路についたのだった。


 パーカース先生もアパートに戻り、壁一面図書に覆いつくされた自室をぐるりと見回す。


「ふう……」


 ため息を吐きながらベッドの下から旅行鞄を引っ張り出す。滅多に使わないので埃をかぶっているが、革製のしっかりした逸品だ。


 先生は鞄の金具を外して開くと、その中に資料をそっと入れた。これで誤って自分の蔵書と混じることも無いだろう。


「そうだ、買い物しなくちゃ」


 ふと今日は朝の市場が開かれる日であることを思い出す。一晩ずっと起きていたせいでだいぶ疲れはたまっているが、その前に市場で食料を買ってこなくては薄給の上に専門書を買いそろえている教員の財布には厳しい。


 先生は鏡を覗き込むと目の下のクマを化粧で直し、足早に部屋から出ていったのだった。




「ふわぁー疲れた、少し寝ま……しょ?」


 買い物袋一杯に食材を詰め込みながら帰宅したパーカース先生。だが自分の部屋の扉を開けた途端、彼女は凍り付いてしまった。


 本棚にきっちりと収められていた本が全て、床に散乱している。


 それだけではない、机の引き出しも開けられ、中の便箋一枚一枚まで広げられて床に散らばっていた。


「な、何よ、これ……?」


 先生は恐怖に震え、買ったばかりの食材を足元に落としてしまった。


 外出している間に、何者かが侵入して部屋を荒らしたのだろうか。


 でも、何のために?


 調べたところお金やネックレスなどの金目の物はすべて手つかずで残されていた。ほっと一安心するも、そうなると余計に犯人の狙いがわからない。あと心当たりがあるとすれば……。


「あの資料!」


 慌ててベッドの下から旅行鞄を引っ張り出す。良かった、鞄は手つかずのままで、中の資料も無事に残されていた。


 まさか侵入者の狙いはこれだろうか?


 そうなるとハインやナディアの身にも危険が及んでいるのでは?


 先生は旅行鞄を固く閉めると、それの取っ手をしっかりと握りながら部屋の外にそっと顔を出す。


 ハインたちにもこのことを知らせなくては。何より、ここにいては自分の身も危ない。


 廊下には誰もいない。足音を立てぬよう慎重に、それでいて素早く階段を降りて屋外へと出る。


 昼の人通りも多い時間帯だが、極夜の季節ともあって太陽が山の向こうから申し訳程度に顔をのぞかせているだけで、王都は夕方のように薄暗かった。


 人混みに混じりながら、旅行鞄片手に速足で街を歩く先生。


 そして背後にちらりと目を配る。行き交う人々を掻き分けながら人影がふたつ、明らかに先生の後をつけていた。一般民衆の普段着である作業向けのツナギを着込みながらも、帽子を深くかぶって目元を隠した男がふたりだ。


 これはまずい。そう思いながらも先生はさらに足を速め、ハインのいるコメニス書店へとまっすぐに向かった。

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