第六章 その3 おっさん、貴族と渡り合う
「ほっほっほ、国王陛下の意向に背くのはキミたちかな?」
鍛冶屋の前に押し掛けていたのはアンドゥーラ男爵率いる兵士たちの一団だった。男爵は領地を持たぬ王宮貴族であり、普段は王都内の反王政派を取り締まる業務に従事している。
「父は関係ありません。本日はどういったご用件でしょうか」
妹に仲間たちの見守る中、アルフレドは前に出る。後ろに並ぶハインたちは険しい顔のまま固まっていた。
「用件だと? キミは自分が何をやっているかわからないのかね?」
でっぷりと肥えた腹を突き出すようにふんぞり返りながら、アンドゥーラ男爵は強く鼻息を吐き出した。
「この国は魔術理学を基礎として統治を行っている。魔術と無関係の研究に明け暮れるキミたちは国家の意思に反している、それがわからんとは言わさんよ」
睨みつけながらもアルフレドは反論せずに聞き入っていた。この国で自然科学の進歩が止まっているのは魔術が便利だからという理由だけではない。何かしら革新的な研究成果が上がりそうな際、こういった官憲からの妨害が行われるのが最大の原因だった。
表向きは魔術による統治を根底から揺るがすため、と回りくどい大義名分であるが、実際のところ自然科学の進歩により魔術師の特権が失われるのを防ぐためであることは、研究者の間では周知の事実だった。例えば蒸気機関がもし実用化されれば、従来の魔動機械に取って代わることでそれを生業としている魔術師の生活を奪いかねない。
ゆえに大学などの研究機関では自然科学の研究は禁じられ、それを扱った者はたとえ最終的に魔術研究に落とし込んだとしても学者仲間から激しい非難を受ける。自然科学を研究しようと思えば、大学を出て隠れて独自に行うしか方法はなかった。それでも時にはこのように反王政派と見なされ、研究成果を没収されることもあるという。
「昔なら火あぶりにされてもおかしくなかった。だが寛大なる国王陛下は情け深くもすぐに機械を破壊し、研究記録を焼却すればお許しくださるというのだ」
「何を仰る、そんなことできるわけないでしょう!」
「できるできないの問題ではない、やれ、というのだ」
アルフレドは黙ってしまった。兄妹は所詮平民、貴族である男爵と真っ向に対立したところで勝ち目はない。
だが自らの魂とも言える蒸気機関を、はいそうですかと壊すことも到底できなかった。
男爵は勝ち誇った笑みを浮かべ、ちらりと後ろに控える兵士たちを見遣る。全員、金属製の兜を深々と被っているために目元はまるで見えず、薄気味悪い機械仕掛けの人形のようだった。
「さて、情報はもう入っている。キミたちが作っているおかしな機械を、すぐに破壊してもらおうか」
「男爵、お待ちください」
アルフレドの隣に並び出たのはハインだった。突如現れた大柄な男に男爵はたじろいだものの、すぐさま「何かね?」と威厳たっぷりに背筋を伸ばす。
「今開発している機械は非常に巨大ですし、処分には時間も手間もかかります。今日はもう夜ですし、男爵も兵士の皆様もお疲れでしょう。どうか今日のところは、この場を見逃してくださらないでしょうか?」
そう頭を下げるハインだが、男爵はたちまち顔を真っ赤に膨れ上がらせた。頭にかぶった雪も蒸発してしまいそうだ。
「何を言う、私は国王から権限を移譲されている私の口から出た命令は陛下の命令と同義なのだよ! そもそもキミは何者かね、関係者ではないだろう?」
「申し遅れました、ハイン・ぺスタロットと申します」
「ぺスタロットだと? はて、どこかで……」
男爵は首を傾げる。だがその名を聞いた瞬間、彼の背後の兵士たちは一様に兜の隙間から思い切り開いた眼を覗かせ、互いに口を開けた顔を見合わせたのだった。慌てて数名が男爵の元に駆け寄り、耳打ちする。
「男爵、ぺスタロット殿といえば秋の教会立てこもり事件の!」
「さらにその後、緩衝地帯で反王政派を捕まえたあの!」
「な、あの男か!?」
男爵が驚いてハインの顔を何度もまばたきを繰り返しながら見る。軍人でもないのに二度も国家的事件を解決したハイン・ぺスタロットの武名は、特に軍人たちから英雄として尊敬を集めていた。
「男爵!」
兵士のひとりが肥満体の男爵に向かい合って立つ。他の兵士たちも皆、彼に続くように男爵と向かい合う形に並び直した。口調は丁寧であるが、その威圧感は大蛇の凝視にも勝っていた。
「我々は軍人としてぺスタロット殿ほどの功労者の言葉を無視するわけにはいきません。ここはひとつ、お引き下がりいただけませんか?」
「何を言う! 陛下の命令は絶対だぞ!」
強く言い返すも、兵士たちから一斉に突き刺さる冷たい視線に男爵身を小さくしてしまう。
男爵は現在、この兵士たちを統率する立場にいる。だが単に威張り散らしているだけでは部下からの支持は失われ、職責も問われかねない。もし兵士が自分の命令を無視するような事態に陥れば、処罰を受けるのは兵士たちだけでなく、指揮権を持つ男爵も同様だ。
たらりと汗を流した男爵はごくりと唾を飲み、鋭い視線でアルフレドとハインを睨みつける。
「3日、猶予をあげよう。それまでに機械を処分しなくては、どうなるかわかっているだろうね?」
男爵は吐き捨てると、兵士たちを引き連れて雪積もる街の中へと戻っていったのだった。去り際、兵士たちはハインの顔をちらりと見ると小さく敬礼のポーズを送り、すぐに男爵の後をついて行ったのだった。
一行の姿も見えなくなり、すっかり平静を取り戻した鍛冶屋前の通りに残されたのは兄妹と仲間たち。緊張の糸が切れ、「はあー終わったー」、「こ、怖かったー」と口々に吐露する。
「ふう、どうなるかと思った。さあ、急いで機械をどこかに隠そう」
兄アルフレドが額を拭いながら振り返る。だが視線の先の妹は他の仲間と違い、今なお闇の向こうをじっと睨みつけていたのだった。
「いいえ、それじゃだめよ」
ぴしゃりと言ってのける妹のヴィーネ。へたり込んでいた仲間たちも、言葉を失って彼女に目を向けた。
そして少し間をおいて、ヴィーネは確かに「壊しましょう」と言ったのだった。
「そ、そんな……」
ナディアが口を押さえ、パーカース先生が視線を逸らす。ハインも口を噤んで俯いた。
「ヴィーネ! お前、あいつの言いなりになるのか!?」
兄アルフレドが怒鳴りながら妹の胸倉をつかんだ。肩で息をして、今にも殴りかからんばかりの剣幕にハインは後ろから押さえ込もうとしたものの、妹の服をつかんだ兄の拳がぷるぷると震えながら固まっているのを目にすると足が止まってしまった。
ヴィーネは相変わらずどこか遠くを見据えた瞳のまま、怒り狂う兄の顔をじっと見つめ返していた。
「このままだと父さんも、みんなも巻き込んでしまうわ」
そして淡々と答える。だが兄の激昂はまだ収まらなかった。
「蒸気機関はお前の夢だろ!? そんな簡単に諦めるなんて、お前の覚悟はそんなものだったのか!?」
「いいえ、諦めるとは一言も言ってないわ」
きっぱりと言い切って、ヴィーネは首を横に振った。兄もようやく手を離し、荒げていた呼吸を落ち着けた。
そんな兄を見て妹はにこりと笑うと、開発の仲間、それにハインたちをぐるりと見回した。
「研究記録さえあればいつでも作り直せる。急いで設計図とデータを別のノートに書き写しましょう」
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