第六章 その2 おっさん、作業を見守る

 鍛冶屋の兄妹が王都を発って早2週間。いよいよ冬の厳しさも本番に突入し、街中も一日中薄暗く皆否応なしに陰鬱な気分で過ごしてしまう季節になっていた時だった。


「ヴィーネさんからお手紙が届きましたよ!」


 外の寒さも何のその、開封済みの封筒を携えたナディアが息を切らしてコメニス書店に滑り込む。


 早速手紙を広げ、ハインとハーマニーが並んで文面を覗き込む。兄妹はふたりで西の山岳地帯へ赴き、採取される石炭が蒸気機関にとって有効か実験を重ねていたそうだ。


「石炭と蒸気機関の相性は最高のようです。エネルギー効率は悪くても、十分に実用に耐えうる動力が得られるそうです」


「それは良かった、実用化されれば革新的な進歩になるだろうね」


「明日、戻ってくるそうですよ。早速改良を加えた新型を開発するみたいです」


 ハインたちが手紙を読み進める傍らで、ナディアが説明を加える。一秒でも早く内容を伝えたいのだった。


「それともうひとつ、面白い出会いもあったみたいですよ。滞在先の街で気の合った方がいたので蒸気機関について話してみたら、是非とも協力したいと言ってきたそうです。その方も以前、別の大学に入ったのですが、自然科学と魔術理学の研究を統合した論文が評価されず、悶々としていたそうです。そこで同じような境遇の知り合いを呼んで、一緒に王都に向かうことにしたそうです」


「ずっとふたりだけだったのに、仲間を見つけたのですね」


「同じ志の仲間で集まって研鑽し合うなんて、まるで研究会みたいね」


 ハーマニーもほっこりと笑顔を見せると、ナディアも自分のことのように得意げに話した。


「そもそも研究会や学会自体が、ある種同じ考えを共有する人たちの集まりみたいなものだからね」


「そうなんですか?」


 ハインの言葉にすかさずハーマニーが尋ね返す。答えたのはナディアだった。


「聞いた話なんだけど、大昔、別の大学の研究者と交流をするために学会が作られたそうよ。排他的な大学から解放されて、より自由な研究ができるようにってのが本来の目的ったはずなのに、いつの間にか学会が昔の考えに縛られてしまうなんて皮肉なものね」




 そして翌日、兄妹は30歳前後の男たち3人を連れて帰ってきた。


 彼らは地元の学校を卒業した魔術工学技士だが、いずれも魔術ではなく昔から伝わる冶金や力学にのめり込み、自然科学の研究を独自に行っている変り者たちだった。当然、支配階層である魔術師たちからは異教徒のごとく蔑まれ、ろくに仕事も与えられず毎日食いつないでいくだけで精一杯だったという。


 それでも研究は諦められないほど、自然科学に取りつかれていた生粋の研究者たちだった。


 彼らは鍛冶屋の中庭に置かれた装置の実物と設計図を何度も見比べ、集めた石炭を燃焼させて実際に作動させるや否や、てまくし立てるように兄妹に提案を始めた。


「このままだと素材が弱くて圧力に耐えられません。ですが私が開発した合金なら大丈夫そうです」


「冷却はより細い管を何本にも分けて、そこに冷却水を流し続ける構造にしましょう。より効率的に熱を下げられます」


「これはピストン運動ですが、こういう構造に変えれば運動エネルギーを歯車の回転に変換できますよ」


 それぞれの得意分野を如何なく発揮し、ついに兄妹を閉口してしまう。改良については想像以上に手を咥えなくてはならないようだ。


「類は友を呼ぶってやつですね」


 鍛冶屋の一室から雪の積もる中庭を眺めながらナディアがぼそっと呟く。


 蒸気機関開発の仲間が増えて早3日、毎日朝日が昇ると同時に中庭に集まって陽が沈むまで作業と検証を続ける彼らを見守っていたハイン、ナディア、ハーマニーの3人は学校から帰るなりここに集まり、ヴィーネの用意してくれたお茶を飲みながら室内でくつろいでいた。


 焼いたばかりだという冬の名物お菓子であるレープクーヘンも出され、3人は香辛料と蜂蜜で整えられたケーキに舌鼓を打っていた。


「本当、美味しいわ。ヴィーネさんがこんなに料理が上手だなんて羨ましいな」


 ナディアは生姜の香り弾ける風味を堪能しながらもしょぼくれていた。元来の大雑把な性格が呪ってか、菓子のような緻密さを求められるレシピは苦手だった。


「これくらいなら私も作れますよ」


 一方のハーマニーはライバル意識を燃やしていた。確かにこの娘はハインを味見係によく料理を作っており、その腕は大人顔負けのものがあった。


「僕もこんなに美味しく作る自信は無いな。ハーマニー、今度教えてくれよ」


「いいですよ。ですが材料費はハインさんが負担してくださいね」


「ちゃっかりしてるなぁ」


「教え合い……そうだ!」


 談笑する中、突如ナディアが思い立ったように立ち上がるので、ハインたちは驚いてお茶をこぼしかける。


「どうしたんだい?」


「是非ともここに呼びたい方がいるのです。ちょっと待っててください!」


 そう言い残して外に飛び出したナディア。ふたりはしばらく考えた後、彼女の考えに気が付いてふふっと微笑み合ったのだった。


 そして夕陽も完全に沈んだ頃だった。


 ハインたちも場所を移して中庭に出ながら兄妹たちの作業を眺めていた時、鍛冶屋の扉を開けて戻って来たナディアの後ろについて、のそのそとこれまた別の人物が姿を見せたのだった。


「何ですか、こんな所に私に見せたいものって」


 鍛冶屋の熱気に白く曇った分厚い眼鏡が一瞬で晴れ、ぼうっと眠そうな眼が現れる。


 ナディアが連れてきたのはパーカース先生だった。学校に残って読書をしていたところ、有無を言わさず引っ張って連れてこられたらしい。


「先生、これは何だと思いますか?」


 ナディアは蒸気を上げ続ける機械をすっと手で示し、先生に尋ねる。


 作業を続行していた5人もこの時ばかりは手を休め、眼鏡のずれを直すパーカース先生に注目した。


「見たこと無いですね。新しい魔動機械ですか?」


「違いますよ、これは蒸気機関。魔術を使わなくても動く機械です」


「魔術を……使わない?」


 信じられないというように絶句する先生。ナディアはさらに追い打ちをかけた。


「はい、つまりは自然科学の結晶です!」


 ふんと鼻息を鳴らすナディア。やはり自分のことではないのに、驚くほど自信満々だ。


「ここにいる方は皆、学校で魔術理学を勉強されてきたのですが、目標の達成には自然科学の研究が不可欠でした。ですが自然科学からのアプローチを魔術学会の方々は毛嫌いしますので、ひとりでは評価もされず、心細かったそうです。ですがヴィーネさんとアルフレドさんがきっかけで、みんなで集まって知恵を出し合い、こうやってひとつの物を作っているのですよ」


「私以外にも……いたんだ」


 先生の目からは涙があふれかけていた。今までずっと暗い洞窟の中にいたところ、憧れ続けていた太陽の光をようやく見たように。


「そうですよ、何も先生はひとりではありません、同じような境遇の方はたくさんいます。ここにいる方なら、きっと先生の研究も認めてくださると思います」


 ついに先生は無言のまま両手で顔を覆う。その姿に過去の自分たちを重ねたのか、作業中の5人は皆互いに顔を見合わせると、にこりと笑って自然と歩み寄ってきたのだった。


 だがまさにその時、そんなムードをぶち壊さんばかりに鍛冶屋の旦那が扉を蹴り開けて中から飛び出してきたのだった。


「お前ら、今すぐ作業をやめろ!」


 まぶたがめくれ上がりそうなほどまで目を開き、全身から汗を噴き出す親方。


 当然、先生もヴィーネも驚いてすくみ上がる。


「父さん、どうしたんだ?」


 ただ事ではないと察したアルフレドは、にらみつけながら尋ね返す。だが親方は実の息子からそんな目を向けられていることもどうでもいいように、騒ぎ続けたのだった。


「王宮の貴族だ! 貴族が兵士を連れて押し掛けてきたんだよ!」

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