第五章 その5 おっさん、相談に乗る
「どうして学校に通ってるって……そりゃあ回復術師になるためとしか」
コメニス書店のすぐ近くのカフェの一角で、向かい合って座るハインとヘルマン。机の上にはコーヒーが置かれているが、ふたりともまだ手を付けていない。
「いえ、そういう意味ではありません。あなたのような大人の男性が、なぜその歳で学校に通おうと思ったのか、それを知りたいのです」
ヘルマンは身を乗り出してハインに詰め寄る。だが当のハインは首を傾げ、腕を組んで考え悩むのだった。
「難しいことを聞くなぁ。僕はただ回復術師になろうと思った、そのためには学校に通わなくてはならない、本当にただそれだけなんだけど」
「周りからどう思われるか、そんなことは思わなかったのですか?」
「周りからって、確かに少しは思ったけど……僕の場合は回復術師になりたいって思いが強かったから、そう他人からどう思われるかなんてところまで頭が回らなかったなぁ」
これは期待して損した。このおっさんなら何か良いアドバイスをくれるかと思ったのに、とんだ見込み違いだ。
ヘルマンが苦虫を潰したような顔を見せたのをハインも感じ取ったのか、彼は逆に尋ね返した。
「ヘルマン君だってそうだろう。軍人になりたいと思ったから今学園にいる、じゃないとあんな難しい試験、受けようとは思わないだろ?」
「ええ、確かに自分は軍人になるものだと思っていました。ですが……」
口ごもるヘルマンに「今はそう思わないのかい?」とハインは追撃する。
頷きたいのに、素直に頷けない。
ヘルマンの父は王国魔術師団の将校だ。気高い軍人の息子として騎士道精神を叩き込まれ、同時に勉学にも惜しみない努力を注いできた。自分が軍事魔術科の入学試験を首席合格できたのは、それら厳しい教育の賜物である。
だが今はどうだろう。卒業と同時に軍へと入隊するのが確約されているこの身分、ある日突然何もかもが虚しくなってしまった。かつて試験合格を目指してひたすらに勉強に打ち込んでいた頃のように、ペンを握ることすらできなくなってしまった。
何よりも焦ったのが、軍人として生きている自分のビジョンがまるで見えないことだった。フットボールで気を紛らわそうにも、このもやもやが晴れる気配は無い。
「このまま軍人になるのがなんだか怖くて……覚悟も何もないのに、ただ試験に通ったから、学校を卒業したからって私のような者にそんな重責が務まるのか不安なのです」
「なるほどね……」
ヘルマンは泣き出しそうな顔になっていた。いや、人目が無ければ泣いていただろう。
そんな彼を見てハインはようやくコーヒーをすすり、ゆっくりとカップを置く。そしてしばしの沈黙を挟むと、前触れ無く口を開いたのだった。
「ヘルマン君、今日は暇かい? おもしろい所に連れて行ってあげよう」
「まさかヘレン先生があんなことをおっしゃるなんて」
「まるで大学を恨んでいるみたい」
突き刺すような寒さが街を覆い始めた午後、回復術師科1年生の女子生徒たちでいつもよくつるんでいる5人は、すっかり落ち込んだ様子で固まって歩いていた。
その中心にいたナディアひとりだけがけろっとした顔をしていたものの、やはり腑に落ちない様子で口数は少なかった。
そんな時、先頭を歩いていたマリーナが不意に指差す。
「ねえ、あれってハインさんじゃない?」
町中を行き交う人々の中、一際大きな身体を目にして思わず声に出してしまった。
「本当、一緒にいるのって……ヘルマン先輩!? 軍事魔術師科の!?」
ナディアも驚いた様子で口元を押さえる。ハインの少し後ろを、長身のヘルマンがとぼとぼと歩いていた。
「何しているのかしら?」
誰が言い出すまでもなく、少女たちは跡をつけ始めた。
男二人が入っていったのは鍛冶屋だった。店先まで鋼を鍛えるキンキンという音が聞こえ、仕事の真っ最中であることが嫌でもわかる。
「やあ、今日も精が出るね!」
扉を開けると同時に襲いかかる熱気に額を拭いながら、ハインはちょうど赤熱する刃物をハンマーで叩いていた職人の男に声をかける。
「おうハイン、その坊主は誰だい?」
職人はすっかり禿げ上がった頭をてからせながら、ハインの後ろに立つヘルマンを見て尋ねた。
「うちの学園の生徒さ。ちょっと仕事を見せてくれないか?」
「いいぜ、学生さんなら是非とも勉強に役立ててくれよ」
男は笑い飛ばしながらもその手を休めず鉄を打ち続ける。
竈はもちろん赤く輝く鉄からも放たれる凄まじい熱に、ヘルマンはすっかり参ってしまい頭を押さえた。
「暑い……外は寒いのに、毎日こんな所で仕事されているのですか?」
「当たり前さ、ここまで熱くしねえと鉄は打てねえからな。それに俺みたいに何十年も同じこと繰り返していると、これくらいじゃどうってことなくなるんだよ」
「親方は10歳の頃から修行してきたからね。職人の世界じゃ20年修行してようやく一人前なんだ」
「まだまだ、俺が腕に自信を持てるようになったのは30年経ってからだよ。今だってまだ駄目だと思うことはポコポコ出てくる」
「そ、そんなに」
ヘルマンの口からは言葉さえろくに出てこなかった。
彼ら軍事魔術科の卒業生のほとんどは軍の幹部候補生として入隊する。最初こそ一兵卒として徴用されるものの、3年もすれば下士官に、遅くとも10年で将校になれる待遇だ。人生の大半を下積みとして過ごす職人たちの常識は、エリート街道を突き進むヘルマンにとって実に衝撃的だった。
一方、鍛冶屋の前にはマリーナら女子生徒たちが密集し、曇った窓から中を覗き込んでいた。
「ねえ、何話しているのかしら?」
「うーん、よく聞こえない……あ、出てくるわ!」
すぐさま駆け出して近くの路地に隠れる少女たち。直後、汗まみれで出てきたハインはヘロヘロになってついてきたヘルマンに「じゃあ次はこっちの店だ」と声をかける。
そしてふたりは向かいの商店に入っていったのだった。
「よおハイン、買い物かい?」
ここは靴屋だ。職人の老人は何百もの足形に囲まれ、革に釘を打ち込んでいた。
「いや、この子におやっさんの仕事っぷりを見せてほしいんだ」
ペコリと頭を下げるヘルマン。その姿に老職人はハインの意図を読み取ったのか、「こっちに来な」とヘルマンをすぐ隣に座らせる。
「革は生き物だ、ひとつとして同じものは無い。その日の気温や湿気で硬さも変わるし、一度穴を開けてしまったらもう取り返しがつかない。靴職人は腕ももちろんだが、革の心をどれだけ読み取れるかで出来上がりも変わるんだ」
ヘルマンはただただ感心し、職人の巧みな手つきにじっと見入る。その目は生まれて初めて外の世界を知る幼子のようだった。
さらにハインは別の店にヘルマンを案内する。ここはビールの卸売り商だ。
「一言にビールと言ってもコク深いのもあればさっぱりしたものもある。一口含んだ時には美味く感じても、ジョッキ一杯を飲むにはきついってのもあるんだ。俺たちビールの仲買商は種類ごとにビールの持ち味を評価し、客ひとりひとりにピッタリのビールを選び出すのが生き甲斐なんだよ」
レンガ造りの天上まで積み上げられたビール樽の間をずんずんと歩く小太りの商人は、さながら酒蔵の王様だ。しゃんと背筋を伸ばし、自信ありげに仕入れたばかりのビールを紹介する。
その後も板金職人、ソーセージ職人、チーズ問屋、カフェのマスターと、ハインは様々な店にヘルマンを連れて行った。
ふたりを出迎えてくれる職人や商人は、皆自分の仕事に誇りを持ち、堂々としていた。その分野では誰にも負けないと、揺るぎない信念を持っていた。
「どうだい、おもしろかっただろ?」
太陽も沈み、宵闇に覆われ始めた街角でハインが振り返る。ついてきていたヘルマンはすっかり疲れきっていたものの、その目はコメニス書店で出会ったときとは見違えるほど光が宿っていた。
「ええ、いろんな方の仕事を見られて興味深かったのです。でもハインさん、なぜ私に?」
「ヘルマン君は小さい頃から、軍人になるために必死に勉強をしてきた。それはすごく素晴らしいことだと思う。だけど軍人になるってことばかりに目が向いてしまって、世の中には他にも色んな仕事があることに気付かなかったんじゃないかと思ってね」
「確かに、靴がああやって作られていると私は今日初めて知りました。チーズ選びにあれだけ思い悩む人がいるなんてことも。普段何気なく使っている品のひとつひとつに、多くの人々の想いがこもっていると初めて実感しました」
「そうだよ、こんなこと言ったら親御さんには怒られるかもしれないけど、何も軍人になることが全てだとは思わない。世界にはたくさんの仕事があって、みんな一生懸命に働き、やり甲斐を感じながら生きているんだ。そのことに気付けるかどうかで、人生の楽しみは大きく変わるんじゃないかな?」
にこにこと笑うハインを前に、ヘルマンは雷に打たれたように固まってしまった。
そして今まで生きてきた16年を思い返す。考えてみれば、自分は軍人になるものだと思っていたが、心の底から「なりたい」と思ったことはあっただろうか。
「思えば私は軍人になるため、小さい頃からただその一心で過ごしてきました。ですが今になってようやくそのことに疑問を持ち始めたのかもしれません。ただ、それを口にするのは今までの日々を否定するようで、とでもできなかったのですが……今日、初めて本当の自分と向き合えた気がします」
ヘルマンの瞳から熱い涙がポロリと落ちる。慌てて袖で目を拭うと、彼は改めてハインに向き合った。
目の前の霧が晴れたような、実に爽やかな笑顔の少年がそこにいた。
「それは良かった。さあ、今日はもう遅い。早く家に帰って、これからどう過ごすか、今一度じっくり考えてごらん。そして次の選択肢は自分で選び出すんだ、石工から回復術師を目指す僕のように!」
少年の肩に大きな手をポンと置くハイン。ヘルマンは大きく頷くと、軍人らしく敬礼のポーズを取り、精一杯の明るい声を響かせる。
「ありがとうございます、ハインさん!」
そしてくるりと回れ右し、足取り軽く家路へと就いたのだった。もう暗くなっているのに、彼の周囲だけは光が灯っているようだった。
「さて……みんないつまでコソコソしているんだい?」
からかうようにハインが近くの路地を覗き込む。そこには回復術師科の女子生徒たちが身を寄せ合っていた。
尾行していたと思ったのに、ハインの方から近付いてきた。驚きを隠せず、皆寒空の下にも関わらず冷や汗を流す。
「あはは、いつから気付いてました?」
作り笑いのナディアが頭を掻きながら尋ねる。
「最初から、ずっと」
勝ち誇った笑みのハイン。彼の意地悪に女子生徒たちはむっと頬を膨らませる。
「ハインさん、先輩はどうなるのでしょうか」
マリーナが不安げに尋ねる。彼女も小さい頃から回復術師になることだけを考えて勉学を積み重ねてきとぃる。ゆえにヘルマンの悩みはとても他人事に思えなかった。
「わからない、これから先は彼自身が決めることだ。ただ言えるのは、ヘルマン君は社会経験が不足していた。だから人生には多くの選択肢があることに、気が付けないままここまできたんだ。社会を知らないまま社会に出るなんて、よく考えたら恐ろしいことだね」
「私たちも同じです。大学のことなんて何も知らないのに、ナディアが誘われたからって浮かれすぎちゃって……」
女子のひとりが口にした途端、ずんと落ち込む女子生徒たち。
だがハインは意味がわからず、「何の話だい?」と場違いに尋ねるのだった。彼はパーカース先生がナディアに話した内容を知らなかった。
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