第五章 その4 おっさん、来客を迎える

 それは1年生全員を対象にした魔術基礎理論の授業でのことだった。大講義室に現れたいつもの先生とは違う人物に、生徒たちがざわめき立つ。


「おい、あのおっさん誰だ?」


「馬鹿、おっさんとか呼ばないの。王立大学の教授よ、先生が特別講師に招いたって聞いたわ」


 学生たちの前に立ったのは初老の男だった。彼の名はジャン・エミール・ルソー、魔術理学研究の第一人者であり、この30年で彼の残した功績は数え切れないという。


「噂で聞いたのだけど、パーカース先生もルソー先生の研究室を出ているらしいわ」


「本当? そんな凄い人、よくお招きできたわね」


「特別講師ってのは表向き、本当はスカウトだよ。優秀な学生を見つけて、大学に来いって勧誘するんだ。それで大学に入って、魔術波動研究をやってる先輩が魔術工学技師科にいたよ」


 そんないつもとは違う雰囲気の中、授業は始まった。


「かつて魔術は天上の神々が人間に与えた奇跡の名残であると考えられていた。そのため魔術をうまく行使できる者は神の代弁者とされ、多くの民を統率した。これが後に国家の首脳になったと考えられている、貴族や王族に生まれながら魔力の強い者が多いのは血統による要素が大きい」


 魔術理学基礎の授業は難解な内容が多いため、いつもなら眠気との戦いになる。だがルソー先生は解説が分かりやすく、ほぼ全ての生徒がじっと聞き入っていた。


「このように魔術と宗教を結びつける思考はかつて世界中でまかり通っていた。そのため当時の魔術理論は神学の範疇で扱われていた。だが400年前の戦争で魔術が兵器に応用され、魔術の実用性をより深く研究する一団が現れた。それがデーンリンゲン学院、現在の王立大学の前身だ」


 教授が黒板に王立大学の紋章をさっと描く。ペンと剣に巻き付いた白蛇という複雑な図柄だが、空で覚えているのだろう、あっという間に紋章は出来上がってしまった。


「これ以降、神学と切り離して魔術を独自の理論を用いて解き明かそうとする学者たちが現れた。やがて研究と細分化が進み、魔術理学は一大学問体系へと発展した。ここまでで質問のある子は?」


 呼びかけに真っ先に手を上げる生徒が一名。教室の視線は皆その一点に注がれる。


「じゃあそこのキミ」


「はい、よろしくお願いします」


 立ち上がったのはナディアだった。他の授業でも彼女はわからないことがあればすぐに質問するため、先生たちの間では一種の名物となっていた。


「魔術理学が発展してきたことはわかりましたが、それはどういった思想に基づいて行われてきたのでしょうか?」


 生徒たちが首を傾げる。言っていることの意味が今ひとつわからないようだ。


 だが教授は違った。感心したようににやっと笑うと、「もう少し詳しく聞かせてくれるかな?」と返したのだ。


「はい、かつて魔術と神学を結びつけて考えていた時代なら、人々は経典なり預言なり神の言葉を骨子として理論を構築していただろうとは思います。世界の法則が解き明かされるにつれ、教会の権威も増したでしょう。ですが宗教とは離れて独自の理論を打ち立てた魔術理学にはそういった基盤となる倫理観がありません。教会が王候貴族よりも力を持っていた時代、とても多くの人々に受け入れられたとは思えないのですが……」


 大半の学生はぽかんと口を開いていた。彼女の質問は高度に抽象的であり、とても15歳の口から飛び出す内容ではなかったからだ。


 だが教授はおおっと驚くと、子供のように目を輝かせたのだった。


「良い質問だね、深く物事を考えている。当然、最初は教会からの反発にもあい、宗教裁判にかけられた学者もいた。だが彼らは皆ひとつの信念を持っていた、それが啓蒙思想だ」


 驚くべき速さで黒板に『啓蒙思想』と書きなぐる。スイッチの入った瞬間だ。


「皮肉にも戦争によって魔術兵器が発達し、多くの思想家が人間について改めて考えるようになった。魔術兵器はいかなる経典にも登場しない、それまで神の啓示に従うしかない存在である人間みずからが、自立して歩むこともできるのではないかと考えるようになったんだ。そして生まれたのが先入観を廃し、実験による観測と得られた結果の思索を重視する科学的思考。ここに神の意思は介在せず、ただ目の前で起こった出来事から因果関係を追求していこうと考え始めたのだ。こうして結論ありきの演繹法から具体物を一般化していく帰納法へと人々の思考が変遷したおかげで、ある種の束縛を離れた魔術理学は大いに躍進した。そして150年前、王国は建国と同時に統治方針に魔術啓蒙主義を打ち出し、王政と宗教は完全に分離した」


 他の学生たちもへえーと感心する。思想とは生まれた頃から心の隅々にまで浸透してしまうため、自らを他者と比べるのが非常に難しい。特に時代の変遷とともに失われてしまった思想など、比較のしようがない。


「以上のような歴史から王都は魔術理学の最先端を自負している。ここの学生たちは皆、最先端の魔術に触れて勉強できているのだよ……ところでキミ、名前と所属はどこかね?」


「はい、回復術師科のナディア・クルフーズと申します」


「キミほど鋭い質問をする学生は大学でもなかなかいない。あとで教員室まで来てくれないかな?」




 授業の後、しんと静寂に包まれた廊下には回復術師科1年生の女子生徒たちがじっと教員室の扉に耳を当てていた。


 しばらくの時間が過ぎ、「失礼しました」と扉が開けられると、中から出てきたナディアにわっと級友が群がる。


「ナディア、どうだった!?」


 マリーナたちはいつも以上に真剣な面持ちで詰め寄る。


「うん、ここを卒業したら是非うちの大学に来てくれないかって。推薦書を出すから試験は顔パスだって」


 ナディアは頭を掻きながら素っ気なく答えた。たちまち廊下は大歓声に包まれ、マリーナはナディアをぎゅっと抱きしめる。


「すごーい!」


「さすがはうちのエースね!」


「そうなんだけど……でも困るな」


 喜び沸き立つ仲間たちとは裏腹に、ナディアは複雑な顔だった。


「どうしてよ、こんなチャンス滅多にないわよ」


「私は大学に入りたいなんて思ったこと無かったから。ただ回復術師になって、育った村の病院で働いてみんなに恩返しできればって。だから大学に来てねって言われて、嬉しくないわけではないんだけど」


 教授に認められたことは素直に喜ばしいのだが、それは果たして自分にとって良いことなのか。裕福でもない村から支援を受けて学園に通っている身、これ以上の進学についても故郷の人々にどう思われるのか不安だった。


 王立大学は王国の誇る最高学府、いかなる身分であれ入学と同時に魔術の使用を認められ、卒業生の多くは研究者や官吏や教師など、社会的地位の高い仕事に就く。成果を出せばマリーナの父親のように爵位を授けられることもあり、閉塞した王国社会において平民から成り上がるための数少ない方法と捉えられていた。


 だが入学のためには魔術師養成学園よりもさらに高難度で高倍率の試験を通過する必要がある。入学生は貴族や大商人など富豪の子女が幼少より特別な教育を受けてきた者ばかりで、それ以外の身分から入学を認められるのは数えるほどしかいない。現実的に考えれば、平民からの大学入学など夢のまた夢だった。


「せっかくの良い機会、ナディアの才能を試すのにもってこいだと思うのに……そうだわ、パーカース先生に訊いてみましょう!」


 ひとりが提案すると、他の生徒たちも「そうね」「確かにね」と賛同する。


「先生なら大学のことをいろいろと教えてくださるわ」


 マリーナも同じだった。もちろん才能あるナディアに進学を勧めてくれるだろうと、誰もがそう思っていた。


 学校帰りにカフェに行くときとまったく同じ勢いで、まっすぐパーカース先生の部屋へと向かう女子生徒たち。扉をノックし、中から「どうぞ」と返ってくるなり彼女らは部屋になだれ込んだ。


「先生、質問よろしいですか?」


「はい?」


 ちょうど読書の最中だったのか、机に古い書物を開けたヘレン・パーカース先生が呆気にとられた顔で生徒たちを迎える。


 先生の部屋は四方全てに本棚が置かれたまるで図書館のような重々しい雰囲気に包まれていた。なおも書棚に入りきらない本が、足元にも積まれている。


「さっきの講義でナディアがルソー先生から大学に来るよう言われました。そこで大学とはどのような場所なのか、是非教えてくださいませんか?」


「大学ですか……」


 眼鏡をくいっと上げるパーカース先生。当然、生徒たちは良い返事を期待していた。


 だが返ってきたのは誰しもが予想していない意外なものだった。


「あそこに入れば人間性を損ないます。決しておすすめはしません」




 一方その頃、コメニス書店でハーマニーに勉強を教えていたハインにも思わぬ来客が訪れていた。


「いらっしゃいませー」


 カウンターで隣に座るハインと歴史学の本を読んでいたハーマニーが入店してきたすらりと背の高い若い男に声をかける。


 だが男は書棚に並べられた本に目をくれることもなく、まっすぐにカウンターに向かってきたのだった。


「ハイン・ぺスタロットさんですね?」


 燃えるような赤髪を見せつけながら、男は詰問するように尋ねた。


 ただならぬ気配を感じ、ハインはハーマニーの前にその太い腕を差し出して彼女を守る。


「そうだが、どういった用かな? 見たところ学園の生徒だね」


「はい、私は軍事魔術師科2年のヘルマン・べーギンラードと申します。今日はお聞きしたいことがあり、ここに参りました」

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