第五章 その3 おっさん、少年に目をつけられる

 翌日講義室に入った途端、ハインには女子生徒たちがわっと群がってきたのだった。


「いつの間に先生とそんな関係になっていたのですか!?」


「ハインさんも隅に置けませんね、一体どこまでいきました!?」


 魔動機関銃以上の勢いで話しかける回復術師科の生徒たち。年頃の少女らしく、皆恋愛話には興味津々だった。


「だから誤解だよ! ナディア、昨日一体どんな風に話したわけ?」


「事実を話しただけです。ハインさんの部屋に先生が泊まった、と」


 女の子たちの垣根の向こうでふっと黒い笑みを浮かべるナディアに、狼狽したハインは悲痛な声を上げる。


「端折りすぎ! 理由もきちんと添えてくれよ!」


「皆さん、おはようございます」


 ちょうど朝一番の授業のためにパーカース先生も入って来た。途端、女子たちの興味はハインから先生へと移り、皆一斉に先生を取り囲んだのだった。


「先生、ハインさんとはどういう経緯で親しくなったのですか!?」


「教え子と教員、なんと興味深いシチュエーションではありませんか。これでひとつ物語書けそうなので、詳しく取材させてください!」


「え、ええっと……」


 教え子とはいえ大勢に囲まれ、先生はすっかり顔を真っ赤にして固まってしまった。


 一晩をハインの部屋で過ごしてしまった事実がある以上、ハインと私はそういった関係は全くありません、と断るだけではとても生徒たちを納得させることはできない、きっちり経緯を話す必要がある。かと言って学会でぼろくそにけなされ泥酔していた、なんて恥ずかしくてとても言えない。先生はすっかり小さくなり、黙り込んでしまった。


「あなたたち、もうやめましょう!」


 女の子たちの質問攻めを止めたのはマリーナの一声だった。席に座ったままピシッと背筋を伸ばしたその姿は、入学当初何かと高慢だった頃のようだ。


「先生も困っておられるわ。私たちは回復術師を目指して勉強中の身分、他人の色恋にとやかく言う筋合いはないわ」


 他の生徒たちが無言で席につき、あっという間に教室はいつ講義を始めてもよい状態へと一変する。やはりマリーナは今でも回復術師科1年のボスだった。


「ありがとうマリーナ」


 朝っぱらからへとへとになったハインはマリーナの隣に腰かけて小さく感謝する。


 だがマリーナは返事をすることもなく、ぷいっと顔を背けてしまった。




「ナディア、今日はカフェに寄ってかないの?」


「ええ、もう帰るわ」


 つかつかと早足で校舎を出ていくマリーナをナディアが追いかけるが、彼女は級友を振り返ろうともしなかった。今日一日ずっとマリーナはこんな調子で、誰がどう見ても不機嫌の極みだった。


「ねえマリーナ、何度も説明してるけどハインさんは不可抗力よ。あれは私の勘違いだったのよ」


「ハインさんが誰とくっつこうが自由でしょ? 私は立派な回復術師になるためにここに来ているの、恋にかまけている場合じゃないわ」


 白々しいなあとナディアは頭を掻く。


 昨日、ハインと先生が必死になって状況を説明していたところ、不運にも礼拝に向かっていた他のクラスメイトに目撃されてしまった。


 ハインたちと別れた後にはクラスメイトからほとんど取り調べのような質問攻めを受け、つい口を滑らせてしまった結果がこれだ。


 マリーナもハインと先生がもちろんそういう関係でないことは十分に理解している。だが頭では理解できても、仕方なくとはいえ妙齢の女性を部屋に招き入れたことがどうしても許せなかった。


 平民から貴族へと成り上がった父モンテッソーリ男爵は、自分の娘を名実ともに貴族の子女とするため、幼い頃から礼儀作法に教養にと支配階級としての教育を叩き込んだ。おかげでマリーナは男女は健全な関係であるべきという意識を強く獲得している。


 ゆえにマリーナからすれば、未婚の男女がふたりきりで夜を過ごすというその状況自体、受け入れられるものではなかったのだ。


 むんと口を閉じたマリーナが校舎建ち並ぶ構内を横切っていると、どこからともなく「きゃー」と女の子たちの黄色い声が聞こえてふと足を止める。


 ナディアも「何かしら?」と目を向けると、広い芝生の一角に大勢の女子生徒が集まっていた。彼女たちの視線は一様に、刈り込まれた芝の上を駆け回る逞しい肉体の男子たちに注がれていた。


「パスしろ、パス!」


 革製の楕円形のボールを抱え、投げて奪ってを繰り返す男たち。どうやらフットボールの練習試合の真っ最中のようだ。


「あら、白熱してるじゃない」


 マリーナがくるりと向きを変え、ふらふらと人だかりに混じる。もう帰ると言っていたのに、試合の中のワンプレーごとにわざとらしく声を上げていた。


 この学園の男子生徒は大半が何らかのスポーツに興じている。特に軍事魔術師科の生徒は将来軍人を夢見るとあって体力自慢も多く、年齢が上の大学生が相手でも互角以上の勝負を演じる。


 そしてフットボールは王都で最も人気の競技であり、そのトッププレイヤーは男女問わず皆の憧れの的だった。


 やたらと歓声を上げるマリーナの隣で、ナディアはぼうっと試合を眺めていた。出身の農村とはルールが違うため、今一つ盛り上がりきれなかった。


 だがボールを奪い合う男たちの中に知った顔を見つけ、あっと驚き指を差す。


「ねえ、あれってヴィルヘルムさんじゃ!?」


 大柄他の選手とは頭ひとつほど小柄ながら機敏に動き回る選手。以前ナディアが聖堂で人質に取られた際、ハインとともに潜入したあの軍人ヴィルヘルムだった。


 彼はこの学園のOBで、学生時代はチームを引っ張て来た選手であり、今でも時々こうやって学生に混じって練習と指導をしている。フレイにやられた怪我もすっかり治ったのだろう、小柄な体をフルに使いダイナミックにフィールドを使う。


「ヘルマン、任せた!」


 敵チームに囲まれ、ヴィルヘルムがボールを後方に投げ渡す。捕球したのはすらりと背の高い赤髪の少年だった。


 少年はボールを抱えるなり驚くべきスピードで駆け出し、次々に飛びかかる敵選手たちを見事なステップでかわす。


 最後にはゴールとなる白線を超え、手にしたボールを地面に叩き付けたのだった。


「よっしゃあ! ゴールだ!」


 割れんばかりの大歓声。チームメイトがハイタッチし、ギャラリーの女子生徒たちにも手を振る。


「やあやあ……あれ?」


 ヴィルヘルムが目を丸めた。観客の中のふたりに気付いたのだ。




「うちのフットボールも強くなったもんだよ。俺が学生だった頃なんて大学生に1点も取れないではいおしまい、なんてこともザラだったのに」


 任務の最中と違い、非番の日のヴィルヘルムは実にフランクだった。


 ここは学園近くの酒場。練習を終えた男子学生たちは頻繁にここに集まり、酒を飲みながらその日の反省を行い今後の練習計画を練るそうだ。


 マリーナとナディアのふたりは練習試合を終えたヴィルヘルムに声をかけられ軽く挨拶をしていたところ、他の男子学生からこの後の打ち上げに来ないかと猛烈に誘われ、なされるがままに連れてこられてしまったのだった。


 タイプは違うものの、回復術師科でも双璧をなす美少女ふたりが酒場の机に並んで座っていると、男たちはギラギラと目を輝かせ彼女たちを中心に一定の距離をとった半円を作っていた。


「ヴィルヘルムさんの指導のおかげですよ。それはそうとキミ、良い店知ってんだけど今度お茶しない?」


 そんな汗くさい集団から、試合でゴールを決めたあの赤髪のヘルマンが白い歯をきらっと覗かせてマリーナに近付く。


 はい、喜んで。


 そう返そうと口を開きかけたその時、他のメンバーが後ろから飛びかかり、たちまちヘルマンを羽交い締めにする。


「馬鹿野郎、何ひとりで抜け駆けしてんだよ」


「俺たちフットボーラーズ、寝るときも死ぬときもいつも一緒だぞ」


「なんだよお前ら、気色悪いな」


 じゃれ合う男子学生。こういう雰囲気は女子王国の回復術師ではまず見られず、マリーナとナディアは少年たちの馬鹿騒ぎを珍しげに眺めていた。


「ヘルマン・ベーギンラード!」


 だがその時、この場の全員を凍りつかせるほどの鋭い男の声が彼らを貫く。


「ここにいたか……」


 全員が酒場の入り口に顔を向ける。そこにいたのは猛禽のような眼でじっとこちらを睨みつけている軍事魔術師科のヘルバール先生だった。


「先生……」


「話がある、ちょっと来い」


 ヘルマンは無言で従い、仲間の手を払いのけて席を立つと酒場の隅の小さな対面席に腰かける。そしてふたりとも神妙な面持ちで何やらひそひそと話し始めたのだった。


「ヘルマン先輩、何かあったのでしょうか?」


 ナディアが近くにいた男子学生に尋ねると、その男子は少し顔を赤らめながら答えた。


「うーん、詳しくはわからないんだけど……最近あいつ元気無いんだ。授業もよくサボってるし」




「あーあ、面倒だな学校なんて。毎日フットボールだけならいいのに」


 夜闇に包まれた街、小舟でも行き交うのに苦労するほど小さな運河に架けられた橋の上からヘルマンは石ころを投げ込んだ。


 黒い水面に白の飛沫が上がるも、やがて波紋を広げながら闇に混じり消え失せる。


 ヘルバールと話し合ったのは成績についてだった。


 入学試験の成績は軍事魔術師科のトップ、入学してからしばらくの間も授業に自習にと人一倍努力を重ねていた。


 だがある日のことだ。ペンを握っていると力が入らなくなり、文字を書けなくなったのだ。本を読んでもまるで文字が踊り出しているようで、じっと読んでいられない。


 そんなこんなで学習にまったく身が入らず、成績は下降を続け、ついに進級さえ危ういレベルにまで落ち込んでしまったのだった。


 原因はわからない。だがこのままではよくない、父のような立派な軍人になるために小さい頃から努力してきただろ。いくら言い聞かせても、体は前へと進んでくれないのだった。


「何で俺、学校なんか通ってんだろ……ん?」


 夜の街を向こうから大柄な男がふたり歩いてくる。だがその姿はよく知っている、ひとりは軍事魔術科のヘルバール先生だった。


「ヤバい、またどやされる」


 ヘルマンは近くに停めてあった魔動車の裏に隠れた。


「はっはっは、そんなことがあったのか。あのパーカース先生がねぇ」


 飲みの帰りにだろうか、豪快に笑い飛ばすヘルバール先生は足取りも軽やかだった。


「笑い事じゃないぞ、先生本気で悩んでおられるんだからな」


 その隣に並んで歩く男は先生をしのぐ巨体だが、猛々しさよりもむしろおおらかさを感じさせる風貌だった。


「あのおっさん、たしか回復術師科の……」


 車の陰からそっと覗くヘルマンはぼそっと呟く。回復術師科1年生唯一の男子生徒にして、学園史上唯一のおっさん学生であるハインは学園で知らない者はいないほど有名な存在だ。以前少しだけ姿を見たことがあり、暗闇の中でも本人だとすぐにわかった。


 とりとめのない会話をしながら通り過ぎるふたりの巨漢。徐々に小さくなるその背中を眺めながら、ヘルマンは思わず口にしたのだった。


「おっさん……何であの歳で学校に通えるんだ?」

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