第四章 その5 おっさん、ついに再会する

「さあ吐け、共和国の誰がお前たちに武器を提供しているんだ!」


「し、知らない! たとえ知っていても言うものか!」


 石造りの壁に覆われた狭く湿っぽい地下室の中、椅子に括り付けられながら顔を青あざだらけにしたフレイが強く吐き捨てる。


 20年以上前に拷問を禁じた王国と違い、この村には痛々しい拷問の風習が残っていた。


 兵士たちの死力を尽くした反撃により、あの場に居た12人の山賊たちは全員倒れた。ほとんどがすぐに死んでしまったものの、まだ息のあったフレイ他3人を捕縛した兵士たちは満身創痍ながら村に帰還したのだった。


 村に連れられた山賊を待っていたものは、目を覆いたくなる拷問だった。魔術を使うための解呪の腕輪と武器の魔動機関銃を奪われたフレイは何度も拳や鞭で痛めつけられ、端正な顔立ちは腫れ上がりすっかり見る影もなくなっていた。


「なかなかにしぶといな……」


 拷問を続けていた兵士のひとりが額に浮かんだ汗を拭う。多くの人間を同じ目に遭わせてきた彼にとっても、フレイほど口の堅い者は珍しいようだ。


 ずっと部屋の隅で拷問を見守っていたハインだが、堪りかねてついにフレイの前に出る。途端、フレイは腫れ上がった瞼のおかげでほとんど閉じているようにしか見えない目を思い切り開いた。


 ハインは顔を近づけ、ゆっくりと尋ねた。


「フレイ、君は王都から逃げたあとあの空飛ぶ魔道具にに乗って逃げたよね? あれは今どこに? それにあマフラーの男は――」


「ぷっ!」


 べちゃ、っとハインの頬に液体がかかる。フレイが唾を吐きつけたのだ。


「この野郎、ふざけた真似を!」


 傍らで見ていた兵士が激昂し、フレイの頬を殴りつける。ちぎれんばかりに頭を振られるフレイだが、その目は明らかに笑っていた。


「ハインさん、あんたもこいつには恨みがあるんだろ? あんたも痛め付けてやろうぜ!」


「いや、遠慮しておく」


 ハインは頬に着いた唾を拭き、ふうと小さく息を吐くとつかつかと部屋を出た。


 地下の薄暗い通路をしばらく歩いて階段を上ると、地下とは打って変わって賑やかな笑い声が響いている。ここは傭兵たちの詰め所で、彼らの宿舎や食堂が備わっていた。


 特に戦いで傷付いた兵士たちはベッドに寝かされ、村中から書き詰めた回復術師たちが懸命な治療を行っていた。


「ハインさん……」


 そんなうめき声も聞こえる宿舎の一室からちょうどナディアが飛び出し、ハインを目にするなり弱々しく尋ねた。


 回復術師の手伝いをしていて水でも汲みに行くのだろう、手には空っぽの桶を抱えていた。


「先輩……フレイはどうしてますか?」


 まだ先輩という呼び方が先に出てくるあたり彼女は非情になり切れない性分のようだ。そんなナディアがハインには随分といじらしく見え、うつうつとした気分も少しばかり晴れた。


「本当、見上げた奴だよ。フレイが口を割るようすは無い」


 和やかな笑顔を作りそう返す。フレイの行動は決して許せるものではないが短いながらも同じ学校に在籍した仲、非情になり切れないのはハインも同じだった。


「はっはっは、今日は戦勝の日だ!」


 すぐ近くの食堂から地下の光景とはまるで無縁のような男たちの歓声が上がる。見れば一部の傷の浅かった兵士たちが酒樽を開け、祝杯を交わしていた。


 山賊を一網打尽にできたとあって一部の兵士たちはすっかり浮かれ上がっていた。


 だが当然全員がそうなっていたわけではない。食堂の別の一角では、傷つき命を落とした仲間のことを思いずんと重苦しい空気をまといながら座っている男たちも少なくなかった。


「あまり浮かれるなよ、あいつはもう戻ってこないんだ……」


 ぶつぶつと呟きながら酒の注がれた杯をゆっくりと揺らしたまま口に運ぼうとしない姿は、つい今朝まで立身出世のため戦果を上げようと意気込んでいた傭兵たちとは思えない変わり様だった。近隣諸国の戦乱が終息して久しいこの時代では、彼らも実際に命の奪い合いを経験したのは今日が初めてのようだ。


「マリーナはよくなったかい?」


 食堂の光景からわざと目を逸らすようにハインはナディアに尋ねた。


「ええ、だいぶ。さっきリンゴを一切れかじったわ」


 ナディアは精一杯明るく返した。だが内心はすっかりベッドから離れようとしない友人が心配で、落ち着いて座っていることもできないのが実情だった。


 マリーナにはショックが強すぎたのだろう、目の前でバタバタと人が死んでいったあの光景は、彼女の脳裏に強く焼き付いてしまったようだ。


 実際に敵と対峙している間はある種の興奮状態にあったのか、怯えながらも健気に魔術で火を出していたものの、山賊を撃退してフレイを連れて引き揚げようとした途端、今までセーブされていた恐怖がどっと押し寄せてきたのか、吐き気と目眩でばたりと倒れてしまったのだ。


 兵士たちに支えられてこの村に連れてこられたものの、ベッドに潜り込んだ切り怯えて床に足先さえ着けることもできないようだ。傷付いた他の兵士たちと違いマリーナの場合は心の傷、回復術師でもどうにかなるものではない。


「マリーナのおかげだよ、もう彼女には頭が上がらないなあ。だが……申し訳ないことをしたと思っている。無理言ってでついてくるのをやめさせれば、こんなことにはならなかったんだ」


 どこともない場所を見つめながらハインは強く拳を握りしめた。


「おうハインさん、あんたも飲みなよ!」


 食堂で酒を楽しんでいた兵士のひとりがハインに気付くなり足早に駆けつけ、ぐいっと杯を突き出す。しゅわしゅわと発砲するビールの香りが鼻と喉を刺激するが、今はそんな気分にとてもなれなかった。


「ああ、後でね」


 ハインは逃れるように外に出た。ナディアもそれに続く。


 長い一日だった。すっかり太陽は沈んでおり、空には星が散りばめられている。昼間は登山者や商人で行き交う村の中もこの時間なら閑散としており、家々は扉を固く閉ざしている。そんな静寂の空間の中、村の外れで見張りの兵士が立てかけられた松明の揺れる明かりに照らされその鎧をゆらゆらと煌めかせているのが妙に印象に残った。


「フレイはあんなに用心深いのよ、これで安心はできないわ」


 宿舎前の井戸のひもを引っ張って水を汲み上げながらナディアがぼそっと言い放つ。


「それは僕も同感だよ。大聖堂の時も逃げ道を用意していた……捕まったときの作戦を立てていてもおかしくはない」


 闇に包まれた山道の彼方にじっと目を凝らし、ハインも同意した。あの大聖堂での事件に居合わせた身だからわかる、あれで終わりのはずがない。第一、あのマフラーを巻いた顔に紋章のある男がまだ見つかっていない。フレイが山賊に混じっていたのだから、時期に姿を現すはずだ。


 そんな時、他の建物よりも幾分か大きな詰め所の扉がゆっくりと開き、中から小柄な男が現れる。暗闇でも目を惹く鮮やかな刺繍の施されたベストに身を包んだ気品あふれる白髪の男だ。


「ハイン殿、よろしいですかな?」


 この男は村長だ。村長、と言ってもいずれの国にも属しないこの緩衝地帯においては居住する者のトップとあって、小規模ながらも国家元首と同様の意味を成している。


「あなたの活躍のおかげで兵士たちは全滅を免れました。本当にありがとう」


 村長はハインに向き直ると深々とお辞儀する。自分よりはるかに目上の人物の思わぬ姿に、ハインは「そんな滅相も無い」と戸惑った。


「しかしまさか共和国が絡んでいたとは驚きです。王国を内部から崩壊させるために革命を煽っていたのでしょうか。いずれにせよこの村がそんな連中の隠れ蓑に選ばれたことに深く憤りを覚えます」


 だが頭を上げた村長の目は異様にぎらついていた。平穏なこの村を荒らされた怒りに燃えていた。


「長老たちとも話し合ったのですが、今後この村には王国の兵士の出入りを許可しようと思います。これは決して村だけの問題ではありませんし、共和国への牽制にもなるでしょう。早速ブルーナ伯爵に使いの者を出しましたので、2日もあればこの村にも王国の兵士が駆けつけるでしょう」


「王国の一員として感謝します」


 ハインは敬礼で返した。


 共和国と王国、いがみ合うふたつの国家のいずれにも属さず中立を貫いてきたこの村だが、ここが王国派に傾くとなれば共和国にとってこれほどの屈辱は無い。


 王国としても限定的ながら影響圏を広げたのは大きな前進だ。話がさらに進んでここに砦を置けるとなれば、共和国にプレッシャーを与えられるだろう。


「ところで村長、よろしいでしょうか?」


 ハインが軽く手を上げながら尋ねると、村長は「何でしょう?」と返した。


「山賊の残党はおそらくまだ残っています。奴らは回収した解呪の腕輪を奪還するため、この村に攻めて来るやもしれません。警備があれだけでは心もとないのではないでしょうか」


「捕らえた山賊が言うには仲間はもういないそうそうですが?」


「そんなバカな……もうひとり、顔に紋章が描かれた男がいるはず!」


 語気を強めたその時だった。


 凄まじい爆発音とともに、村の入り口で巨大な火柱が上がったのだ。


 見張りの兵士が吹き飛ばされ、付近の家が一軒瞬く間に真っ赤な炎に包まれる。あまりに突然の事態に、ハインたちは夜空のはるか彼方まで届かんとする巨大な火炎を唖然と見上げたまま言葉も出なかった。


 そんな中ハインはしかと見た。夜闇の中、巨大な炎に赤く照らされながら肩に大砲のような筒を構える男がこちらにゆっくりと歩み寄ってくるのを。


「き、貴様!」


 ハインは顔を引きつらせて固まるナディアと村長を背中に回し、低く身構えて吼える。


「よう、死人ども」


 立ち上がる火柱をバックに、男は肩に構えた大砲をこちらに向ける。手元には青白く光る水晶が握られており、それが魔道具の一種であることを物語っていた。


「仲間と腕輪、返してもらうぞ」


 そして口元に巻かれたのは真っ赤なマフラー。大聖堂で相見えたあの男だった。

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