第四章 その1 おっさん、因縁の男を探しに出る
突如押し掛けた国王軍の一団に、屋敷はたちまち騒然となった。
「ここをブルーナ伯爵家の邸宅と知ってのことか? いくら国王軍とはいえ無礼が過ぎるぞ!」
ずかずかと乗り込んでは目についた引き出しや絵画の裏まで隈なく調べていく兵士たちに、伯爵は青筋を浮かべて怒鳴り散らす。
「伯爵、こちらをご覧ください」
だがこの一団の長であろう髭面の大柄な兵士が一枚の羊皮紙を広げて伯爵に見せると、伯爵はこれ以上言い抗うこともできず低く唸るのだった。
「これは国王陛下直筆の命令書です。つまり私たちは国王陛下の代理として馳せ参じているのです、拒否権はございません。もし断固たる態度を取られるのでしたら、謀反の疑いありと判じて焼き払うことも可能なのですよ」
いくら領主の自治が認められていようと、国王直々の命令ではいかなる貴族も従うしかない。兵士たちはいわば一時的に国王の権限を移譲されている身分であり、彼らに逆らうことは国王に歯向かうのと同義だった。
「そのような集団と私たちは関わっておりません。どうか国王陛下にお伝えください」
伯爵夫人エレンも横から加わって必死で懇願するが、隊長は憐れむかのような目を向けると抑揚の無い声で答えるのだった。
「奥様、それを判断するのは我々の調査が終わってからです。申し訳ないとは思いますが、あなた方にはここから先の決定に関わる権限はありません」
屋敷内を埋め尽くす兵士たちを恐れてか、ジェローム公子が母親のドレスの裾にしがみつく。
一領主に対するあんまりな仕打ちに、居合わせたマリーナら女子生徒たちとハイン、そしては玄関で突っ立っていることしかできなかった。
そこに対応に追われてか、ふらふらになったデュイン公爵が現れる。高齢の公爵を気遣ったナディアが玄関の隅から椅子を引っ張ってくると、公爵は疲れた笑顔を見せてどしんと座り込んだ。
「ふう、国王陛下はまたこのような暴挙を……」
「また?」
ため息を吐くデュイン公爵にハインが尋ねる。
「近頃の陛下はまるで人が変わられたようだ。かつては領地ごとにきめ細かい統治を行えるようにと領主の裁量を広く持たせられていた。だが最近は些細な失敗や疑義でもことあるごとに貴族の領地を取り上げたり権限を奪い、国王直轄領に併合させておられるのだ」
「どうして王はそのようなことを?」
「わからん。大臣や腹心の部下でさえも、国王の御心は推し量れん。疑心暗鬼になっておられるのか、我々がお尋ねしても何も答えてはくださらん。特ににあの事件はこの領地の出身者が関わっていたからな。伯爵も兵を動員して調査に当たっているそうだが、有力な手がかりは見つからん」
公爵は頭を抱えたままわなわなと震えていた。
ここ最近伯爵の外出が多い最大の理由はあの事件のためだ。伯爵の抱える兵士たちを動員して領地内を捜査しているようだが、一向に進展しない状況に痺れを切らした国王がいよいよ腰を上げたらしい。
「あの男……」
ハインは思い出す。大聖堂のテラスにて、空飛ぶ見たこともない魔道具にまたがってフレイとともに消えていったあの灰色のマントの男を。
左頬に赤色の魔封じの紋章が施されていたが、あの模様は確かにブルーナ伯爵領の出身者を表すものだった。あの男は今でもこの領内に潜伏しているのだろうか?
「いやあ、本当におっかない話ですね」
殺気立つ兵士たちを遠目で眺めながら風来の貴族レフ・ヴィゴットが吐き捨てる。
「ええ、ナディアを人質に取ったのですもの。絶対に許せませんわ」
すかさずマリーナが乗っかるが、ヴィゴットはいやいやと手を振って断る。
「いえいえ、立てこもり犯ももちろんおっかないですが、もっと怖いのは国王陛下でしょう。今まで多くの貴族があらぬ疑いをかけられ、その身分と領地を奪われていったと聞いています。もしかしたら無実が証明できない限り、伯爵家がとり潰されるかもしれません」
「まさか……!?」
ひきつった笑いを浮かべ、ハインは答えた。だがヴィゴットは至って真面目だった。
「いや、あの王ならやりかねません。6年前に兄や叔父を押し退けて王位を継いだ時にも、色々と黒い噂が絶えませんでしたからね」
誰もがしんと黙り込んでいた。
実際に現国王は先王が崩御した時、他に王位継承権を持っていた兄や叔父がいたにもかかわらず後継者として選ばれたのだった。亡くなる寸前の遺言で決定したと言われているが、どこまでが真相かはわからない。
王と直接謁見できる機会は貴族であっても限られており、底知れぬ内情とまったく不明瞭な腹の内から現王は市井の民衆よりもむしろ貴族たちにより恐れられていた。領主たちは爵位の剥奪と領地の収奪を何よりも恐れ、国王の機嫌取りに終始していた。
最悪の結果を想像し、誰もがずんと沈んだ面持ちを見せていた。
その時、ハインが静かに歩き出すと玄関の扉に手をかけ、そのまま音もたてずゆっくりと引き開け始めたのだった。
驚いた公爵が「どこに行くんだ?」と尋ねると、ハインは振り返り燃えるような眼差しを皆に向けて答えた。
「ちょっと外に出てきます。あの男を探しに」
聞くなり公爵は取り乱したように立ち上がった。
「探しに、と言ってもこの領地は広いぞ! 兵士たちが毎日捜査に明け暮れているのに、お前が出たところですぐに見つかる」
「はい、思いつく限りの場所はもうあらかた探しておられるのでしょう。それならば国王軍や伯爵軍には行けない場所を探せばいいわけです」
そして玄関の壁に飾られている巨大なタペストリーに眼を向ける。これは伯爵領を中心に周辺の地理が描かれた一枚の地図となっていた。
「共和国との国境付近の山間部。ここにはどちらの国にも属さず民族ごとに自治を行う小さな集落が点在しています。共和国との緩衝地帯であるここは、王国兵では自由に入れません。ですが私のような何にも属さない石工なら、怪しまれずに潜入することもできます」
一同は小さくおおっと歓声をあげた。
王国と共和国の国境線上の山中には、どちらにも属さず独自のやり方で昔ながらの自治を続けている村々が存在している。王国と共和国というふたつの強国に挟まれたこの集落はさぞ居心地が悪そうだが、実際は二国が直接ぶつかり合うことを妨げており両国の安泰のためには重要なワンクッションとなっていた。
こういった土地には公的な組織としては入れなくとも、民間レベルでは商売のやり取りを行っていることも多い。二国間では直接交易を禁じている商品であっても、ここを中継すれば売りつけることも可能とあって一種の法的抜け穴としても機能している。
「ハインさん、それなら私も連れて行ってください!」
名乗り出たのはナディアだった。彼女はつかつかと歩み出てハインの前に立つと、その胸を突き出すようにして彼を見つめた。
「私もあの男の顔をほんの少しですが見ています。足手まといにはなりません、どうか」
ハインが「えっと、それは」と戸惑う。ナディアを巻き込むのは本意ではないが、彼女は数少ないあのマントの男を目撃した人物だ。
「ちょっと、ナディアが行くなら私も行くわ!」
慌ててマリーナも手を挙げる。そしてナディアと並ぶといっしょになってハインの困惑した顔を睨みつけるのだった。
「私は魔術が使えるわ。もしもの時にはナディア、それに……ハインさんも守るんだから!」
マリーナのまっすぐな瞳にはある種の対抗心、そしてハインに尽くそうという献身の炎が宿っていた。
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