第三章 その3 おっさん、馴れ初めをばらされる
魔動車が庭園に入った頃には、既に出迎えの人々が玄関前に並んでいた。
大勢の使用人が立ち並んで作った花道に車が横付けされる。と、玄関からその花道を駆け抜ける小さな影がひとつ。
「大叔父様!」
「久しぶりだなジェローム、大きくなったな!」
魔動車から降りたデュイン公爵がとびつく影を抱きとめる。
ブルーナ伯爵家の跡取りで今年6歳になったばかりのジェローム公子は、気さくで子供の相手もうまい大叔父との再会を待ち望んでいた。
そんな公子の後をゆっくりと歩いて追いかけてきたのは、情熱的な赤いドレスに身を包んだすらりと背の高い貴婦人だった。
「お久しぶりです叔父様」
貴婦人が頭を軽く下げる。細くくびれたウエストにより、一層強調されたバストのおかげで品の良さと官能性とを同時に放っていた。
「やあエレン……いや、ブルーナ伯爵夫人。達者そうで何よりだ。伯爵は?」
「主人はただいま隣国との共同鉱山開発のため、共和国に出向いております」
「そうか、忙しい奴じゃの。暇になった私とは大違いだ」
公子の頭をわしわしと撫でながら、公爵はわっはっはと笑い飛ばす。
エレンことブルーナ伯爵夫人は「そんな、叔父様もまだ……」と苦笑するが、続いて車から大男が出てくるなり、そちらに目を奪われてしまったのだった。
「お久しぶりです、伯爵夫人」
魔動車の小さな扉を身を縮めて出てきたハイン・ペスタロットが貴婦人を前に跪く。
「ハイン……」
伯爵夫人が表情を緩め、そっと歩み寄ろうとしたその時。
「ハイーン!」
大叔父の腕から飛び降りたジェローム公子がだっと駆け寄り、ハインの大きな身体に飛びついたのだった。
「ねえ、遊んでよ!」
「公子様、すっかり大きくなりましたね。どれどれ、バンザーイ!」
ジェローム公子の小さな身体を抱え上げ、高く掲げるハイン。その姿に叔父の公爵は微笑みながらも少し残念そうな顔を見せるのだった。
「ジェローム、ハインは長旅で疲れているのですよ」
伯爵夫人が息子の無邪気さに困り顔を浮かべる。
「いえいえ、公子の笑顔を見れば旅の疲れも吹き飛ぶものです」
だがハインは公子にせがまれ、いつの間にか肩車までしているのだった。
「それよりエレン、わしはもうケツが痛いぞ。茶でも飲ませて休ませてくれんか?」
「まあ叔父様ったら。さあ、皆様どうぞ」
尻をさする公爵と公子をおぶったハイン、奇妙な取り合わせのふたりを伯爵夫人は邸宅の中へと案内したのだった。
午後、そろそろ太陽も沈み始める頃合いだ。
屋敷で一段落したあと、ハインは調度品に彩られた客室にて慣れないネクタイに悪戦苦闘しながら燕尾服に着替えていた。
今日はハインと公爵の来訪を歓迎した晩餐会が開かれる。主賓のハインも正装で様変わりしていたが、分厚い生地の上からでも隆起した筋肉と頑強な胸板は隠し切れなかった。
「ハイン、入ってもよろしい?」
突如ドアがコンコンとノックされ、気品漂う女性の声がかけられる。
「ええ、ただいま!」
ネクタイの乱れなど気にしている暇もなく、ハインは慌てて扉を開ける。
待ち構えていたのは伯爵夫人だった。
昼間とは打って変わって肩を盛大に露出した白いシルクのイブニングドレス姿。美しいウェーブのかかった金髪とあいまって、妖艶な大人の魅力が存分に発揮されていた。
「どうかしら?」
尋ねられ、ぼうっと見とれていたハインは取り乱したように「大層お美しゅうございます」と答える。
だが伯爵夫人は口先を尖らせ、遠慮なくハインの部屋へと入り込んだのだった。
「そんな堅苦しくならないで、ここにはあなたと私しかいないのだから」
「そうですね……いや、そうだねエレン。そう言えばまだお礼を言っていなかった。入学できたのは君のおかげだよ、ありがとう」
自分の脇を伯爵夫人が通り抜け、ハインはそっと扉を閉める。
部屋の中、振り返った伯爵夫人はにかっと笑いかける。今までまとっていた貴族としての仮面を外し、本心をさらけ出したかのようだ。
「ふふ、ここまで長かったわね。石工として働きながら、7年がかりの長丁場だったもの。その間にジェロームが生まれて、6歳になってしまったのだから。もう、年齢もあの子を超えてしまったわ……」
そう話す伯爵夫人の笑っているはずの目には徐々に涙が溢れ、やがて大粒の滴となって頬を伝う。
あら、ととぼけたように涙を拭う伯爵夫人からハインはいたたまれず目を反らした。
「ごめんなさい、普段なら平気なのにおかしいわね、今日に限って」
「いや、悪いのは僕なんだ。この先何が起ころうと、伯爵と君には償い切れないよ」
「いえ、気にしないで。ねえ、明日あの子の墓参りに来てくれない?」
「最初からそのつもりだよ。今日行っても良かったのに」
伯爵夫人が涙を拭き取り、ハインと無言で微笑みを交わす。
その時だった。
「奥様ー、どちらですか? お客様がおいでです」
ふたりは召使いの声にはっと飛び上がる。
「あら、いけない。もうそんな時間でしたの」
「お客?」
急いで部屋を出て玄関へと早歩きで向かう。
自分と公爵以外に客がいるとは聞いておらず、ハインは首を傾げた。
「やあやあ、よく来たね」
エントランスまで出迎えていた学園長が親しげに来客とハグを交わす。色とりどりのドレスを着た、若い女の子だ。
「ご招待ありがとうございます」
「ああ!」
来客を見るなり、ハインは思わず声を上げた。
そこにいたのは煌びやかにドレスアップしたマリーナとナディア、そしてクラスメイトたちだった。
「ハインさん、ご機嫌麗しゅう」
マリーナがすっと上品な立ち姿から頭を下げると、他の子たちも彼女に倣う。
「はっはっは、昨日の内に通信用魔道具を使って彼女らも晩餐に招くよう連絡を入れておいたんだ」
公爵が笑いながら説明するも、まさかの再会にハインは言葉も出てこない。
「あらあら、かわいい女の子達がこんなにたくさん。この屋敷もいつになく華やかになるわ」
伯爵夫人も上品に笑う。
「さあどうぞ。準備が終わるまでもうしばらくかかりますから、こちらの部屋にてお待ちください」
そう言って女子生徒たちは食堂につながる客間へと誘導される。ハインも呆然としたまま続いた。
食堂の準備が済むまで客人と伯爵夫人は円形にソファの並べられた一室で談笑しながら待機すり。食前酒も用意され、会話に花咲かせる女性陣をよそに気まずさからハインは酒をちびちびと啄みながら黙り込んでいた。
「教えてくださいな。ハインは学園ではどう過ごしているのですか?」
「はい、学級の皆から慕われ、頼りにされています」
「それは良かった。女の子たちの中にひとりだけ中年の男が混じっているなんて、どう思われるか気が気でなかったもの」
途端、マリーナの顔がひきつる。入学当初の自分たちの行っていた仕打ちがまさにそれだったとは、口が裂けても言えない。
「しかし伯爵夫人とハインさんがお知り合いだったことが私たちにとっては一番の驚きです。一体どういったきっかけで?」
すっかり公子の相手が板についているナディアがふと尋ねると、デュイン公爵が待ってましたとばかりに口を開く。
「話すと長いが短くもあるが、ただならぬふたりの縁に涙無しには--」
「公爵、子供たちの前でそんなことを広めないでください」
弱々しく咎めるも、伯爵夫人がすっと手で制するのでハインは黙り込んでしまった。
「よいではありませんか。他人に言えぬ関係ではありませんし、誤解されるくらいなら知っていただいた方がご理解も得られましょう」
23年前のある春の日のことだ。
公爵家令嬢エレンはまだ7歳、遊びたい盛りながら淑女としての教育に追われ城での生活に日々不満が募っていった。
その日も彼女は王都郊外の屋敷を飛び出し、城を見下ろす丘へと遊びに来ていた。
昨日父から与えてもらったばかりの童話の本を手に、このいくら走り回っても怒られない広大な草原を少女は駆け回っていた。
蝶を追いかけ、鳥になりきってあちこち跳ね回っていたそんな時だった。
まばらに木が生える以外は背丈の低い草地に覆われた平原の真ん中に、奇妙なものが転がっている。
「何かしら?」
じっと目を凝らすと、それは人影だった。平原の真ん中で、誰かがごろんと寝転がっている。
「くそ、俺にばっかり押し付けやがって、やってられっかよ」
自分の腕を枕に空を見上げ、ぶつぶつと独り言を繰り返しているのは大きな男だった。まだ若く青臭さも漂わせているものの、幼いエレンにとっては十分な大人にしか見えない。
「こんな所で何してるの?」
気がつけばエレンは声をかけていた。貴族とはかけ離れた薄汚れた服装だが、不思議とどこか自分たちと同じ雰囲気を漂わせているように感じたためだった。
声をかけられた男は慌ててエレンを見やるも、幼い女の子しかいないとわかった途端再び瞼を閉じるのだった。
「んあ? 随分と豪華な格好だな、貴族のお嬢さんか。ああ、仕事が退屈でさぼってたんだよ」
「お仕事? おじさんは何の人?」
「おじさんじゃない、まだ15歳だ。ほらほら、俺は忙しいんだ、とっとと帰った帰った」
しっしと手で払いのけるも、エレンはさらに近付いて男の顔を覗き込む。
「さぼっているのに?」
「英気を養うのも仕事の内だぞ」
んー、と考え込むエレン。そして思い立ったように持っていた童話の本を広げたのだった。
「それならご本読んであげる!」
「はあ?」
「寝る前に本を読むとね、ぐっすり眠れるよ」
「……勝手にしろ」
そう言って男こと若かりし頃のハイン・ぺスタロットは寝返りを打ったのだった。
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