第三章 その2 おっさん、伯爵領に到着する

「それじゃあ、出発しまーす!」


 運転手の掛け声とともに魔動車が発進する。


「偶然だね、私も親戚を訪ねにな。久しぶりに会おうと手紙をもらったんだ」


 マリーナの隣に腰かけたデュイン王立魔術師養成学園学園長はにこにことほほ笑む。


 気さくな性格からは想像もできないが、デュイン学園長は公爵の爵位を持つ貴族だ。王家の親戚筋でもあり、家系の者は皆要職に就いている名門家だ。本来ならマリーナのような平民上がりの下級貴族が並んで話せるような人物ではない。ナディアのような農民など論外だ。


「それならどうしてこんな乗り合わせの魔動車を? 学園長でしたら運転手を雇うこともできたでしょうに」


 学園長の笑顔に緊張を解きほぐされながらも、マリーナは恭しく尋ねる。


「残念ながら私はもう学園長ではなくなったからね。領地運営も息子に任せているし、もういい歳だから隠居しようとも思っている。反王政主義者が私を襲ったところでこれといった価値は無いよ。まあそれに、こちらの方が安くつくしね」


 そう言って学園長は親指と人差し指でわっかを作るので、マリーナも苦笑いで返した。


「ところでぺスタロット君はいるかな?」


 意外な名の登場にマリーナとナディアが顔を合わせる。


「ハインさんですか? はい、別の魔動車に乗っていますけど、学園長……デュイン公爵とハインさんはお知り合いだったのですか?」


「まあそんなところかな」


 ふっふっふと含みのある笑いを浮かべる元学園長ことデュイン公爵。途端、マリーナの胸にずんと重苦しいものがのしかかった。


 思えば自分はハインについて何も知らない。女子ばかりのクラスに中年男が混ざっているというこの状況にすっかり馴染んでしまったが、普通に考えればやはりおかしい。


「あの、お尋ねしてもよろしいですか?」


「うん、何だい?」


「私、ずっと気になることがあるのです。なぜハインさんは回復術師科に入られたのでしょう。やはりあの年齢で魔術師を目指すなんて、普通では滅多にないことです。それに単に魔術の使用を許可されたいだけなら、1年制の一般魔術師認可学校もありますし。それでもあえて回復術師科に来たということは、何かよほどの理由があるのではないかと思うのです」


 いつになく真剣な顔でまばたきする公爵。だがマリーナはじっと顔を見つめたまま、尋ねたのだった。


「直接本人に訊いたことはあるのかね?」


「いえ、なんとなくですがハインさんの心の傷をえぐり出してしまいそうな気がして、怖くて聞けなかったのです。とんでもない答えが返ってきたらどうしようって」


 最初はハインを毛嫌いしていた負い目からか、打ち解けた後もハインの過去について詮索できなかった。20年以上石工として働いてきた、ということだけで生まれも育ちも家族も、何も知らされていない。


 だが学園長は再びにこりと笑い、マリーナの肩を軽く叩いたのだった。


「大丈夫だよ、心配するようなことではない。でも私が話すのはよしておこう、君からぺスタロット君に直接訊いてみるのが一番だ」


 その言葉にマリーナは安堵し、ほっと息を吐く。ナディアも笑ったまま、級友の背中をパシパシと無言で叩いたのだった。


 しばらく経つと魔動車は途中休憩のため停車する。ここは街道沿いに湧き出す泉で、水底の砂利までくっきりと見えるような清水が蓄えられていた。


 先行する魔動車たちが泉のほとりに停車し、運転手や乗客は足を伸ばしたり水を飲んだりしてくつろいでいる。


「やあぺスタロット君、まさか同じ日だったとはね」


 ちょうど泉の水に手を浸けていたハインの背後から公爵が声をかけると、ハインは嬉々として振り返る。


「学園長! 貴公も伯爵領に?」


「そうだよ。姪と会えるのは久しぶりだから楽しみだよ」


「そういえばもう7年ですからね」


 しみじみと感慨深げに話すハイン。


 だがこの様子を見て、たちまち平常心を破壊された人物が一名。


「ええっと、ハインさんと学園長の姪っ子さんはどういったご関係で?」


 こめかみをひくつかせながら尋ねるマリーナ。必死で笑顔を作るが、気を抜けば鬼よりも恐ろしい顔を向けてしまいそうだ。


「ああ、昔お屋敷で仕事を引き受けたことがあって、親切にしてくださったんだよ。」


 だがハインはあっけらかんと答える。


「だそうよマリーナ。ハインさんは石工だもの、庭作りでも依頼されたんじゃない?」 


 笑いたいのを堪えながらナディアが級友に補足説明を加える。


「そ、そうよね、本当にそれだけのご関係よね」


 マリーナはしゃがみこみ、泉の水を手で掬って口に含む。


 そうよね、公爵家と平民だものね。そう言い聞かせ、胸のざわめきを冷水で落ち着かせる。


「本当にな。もし身分の違いが無かったなら、私は両手を挙げて姪とハイン君の結婚を勧めたのに」


 公爵の一言に、マリーナの口からぶっと水が噴き出された。たちまち美しい虹が描かれ、近くで寝ていた若い男が仰天する。


「ええー、本当にそれだけのご関係なのですか?」


 好奇の眼でハインに詰め寄るナディアに、ゴホゴホと咳き込むマリーナ。


「ちょっと、学園長!」


 ハインが狼狽するもデュイン公爵は「はっはっは」と笑いながら金属製のコップにすくった水を一気に飲み干していた。


「気になる気になる! 教えてくださいよハインさん!」


 キラキラと輝くナディアの視線。そして血の気の引いた顔をひきつらせるマリーナの凝視。


「ううん、実はね、僕が回復術師科に入ろうと思ったのも、入ることができたのも、すべて夫人のおかげなんだ」


 言いようの無い圧力に、ハインはついに折れてしまった。




 途中でテントによる宿泊をはさんだ翌日の昼。一行はブルーナ伯爵領に到着した。


 伯爵領は王国の南東部に位置し、隣国である共和国領とも山地を隔てて接している。この国境を形成する山地には鉄鉱石の採掘場も拓かれており、王都から離れた内陸部でも領内は非常に潤っていた。


 なだらかな丘陵地帯を抜けて農耕地に囲まれた領内の中心地であるスラヴィアブルグの町が見える。


 その城塞の外側には出迎えの人々が待機しており、魔動車が停車すると同時にわっと親戚の到着を祝いに駆け寄ったのだった。


「伯父様、お久しぶりです」


「いらっしゃい、我が姪とご学友の皆様」


 マリーナの伯父である紳士が車から飛び降りてきたばかりの姪を受け止めるようにハグする。彼もまたマリーナの父と同じく学者であり、領内の大学で教鞭を取っている。


「お世話になります」


 ナディアらクラスメイトたちも車を降り、握手で出会いを喜んだ。


 あちこちで親戚同士友人同士の再会を喜び合う中、少し離れた場所には一台の黒塗りの魔動車が停められていた。


 そしてそこから駆け寄ったのは、他の人々と違い物々しい雰囲気を漂わせる軍服姿の男だった。


「デュイン公爵にハイン様、ようこそいらっしゃいました」


 そして男は降りてきたばかりのハインとデュイン公爵に跪く。


 周りの人々もしんと黙り込み、ハインも公爵も気まずさに苦笑いを浮かべるしかない。


「まったく、ずっと座っていたからケツが痛いのに、また座るのか」


「もうしばらくの辛抱ですよ」


 わざとらしくふざけるも、軍服の男は大きな荷物を次々と受け取るとてきぱきと黒塗りの魔動車に載せる。


「じゃあ、また学校でね!」


 ハインはマリーナらに手を振り、公爵とともにそそくさと魔動車の中に乗り込んだ。すぐに車は発進し、今しがた通って来た道をしばらく戻る。


「彼女らとしばらく会えなくなるのは寂しいかね?」


 乗り合いの大型魔動車とは違い、これは対面式の小さな車体だ。公爵はハインの顔を覗き込みながら尋ねた。


「ええ。ですが休暇が終わればいつでも学校で会えますし、何より久しぶりの再会もありますので」


「そうだな、今日の晩餐会は大層にぎやかになるだろうね」


 そう言って公爵は不敵に笑った。


 カブやパセリの収穫を控えた畑を貫く道を走り続けてしばらく、魔動車はある大きな屋敷に到着した。


 王城ほどの規模はないが、花々に彩られた庭園に囲まれ、多くの兵士に守られた白い壁の美しい3階建ての大邸宅。


 これこそがこの伯爵領の統治者、ブルーナ伯爵の住まいだった。

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