第三章 その1 おっさん、収穫祭休暇を迎える

 実りの秋。近郊の畑で獲れたカボチャやイモを満載にした荷車が王都に集い、来るべき試練の冬を前に最後の贅沢として皆で飲み明かす。それが王都流の収穫祭の本来のしきたりだ。


 だが魔動車の普及や大型魔動外輪船の開発により輸送力の格段に向上した今の時代においては、冬季に王都で餓死する者は数えるほどしかいない。


 今となっては祭の本来の意味は薄れ、騒ぎたいだけ騒いで日々の鬱憤を吹き飛ばすための機会と表現した方が的確だろう。


 それでもこの日はカボチャを使った料理や菓子を食べるならわしは深く根付いており、昼のどんちゃん騒ぎの後、夜は母親お手製の甘いカボチャスープで一日を締めるまでが子供たちにとっての祭りだった。


 今年も王都には旅芸人の一座や近隣からの観光客が押し掛け、音楽に屋台にと普段以上の賑わいを見せていた。特に聖堂前の広場は古今東西の酒が集い、巨大な野外ビアホールとして多くの客が飲んで騒いでの大盛況だった。


「ナディアさぁん、次、あれ飲みましょう!」


 書店の娘、ハーマニー・コメニスは空になった金属製のジョッキ片手にふらふらとした足取りで行き交う人々の間を抜ける。


 その後から駆け足で追いかけ、すっかり呂律の回らない彼女の腕をつかんだのはナディアだった。いつもの白いローブの制服ではなく、赤いエプロンにスカート、胴衣というここらでは一般的な民族衣装ディアンドル姿がいつも以上に活発さを演出している。


「ハーマニー飲み過ぎよ。明日ベッドから出てこられなくなるわ」


 ナディアが離れんとするハーマニーを引っ張る。酒の苦手なナディアは一杯目のビールを一口飲んでからずっと手に持ったままで、初めはジョッキから溢れんとしていた白く細かい泡もすっかり消えてなくなっていた。


「そんなこと言われましてもぉ、ほら、ハインさんなんか」


 抵抗するハーマニーの指差す先には、フィドルを演奏する男を囲んで肩を組み大合唱する男たち。その中にはハイン、さらにはヘルバール先生も混じっていた。


「大人はあんなに騒いでいるのに、私たちが騒いじゃいけないって道理があるでしょうか、いや無い!」


 強く言い切ってナディアの手を振りほどくハーマニー。


「ああもう、これだからお酒の絡むお祭りって苦手なのよ」


 酔っ払いには理屈も屁理屈も通用しない。次の酒を求めて屋台に突っ走るハーマニーの背中を眺めながら、ナディアは深くため息を吐いた。


「ナーディアぁーん、だぁーいすき」


「ひゃっ!」


 突如背後から抱き着かれ、ナディアは全身に鳥肌を立てる。


 慌てて引き剥がした相手は、完全に出来上がって熟したリンゴのように真っ赤になったマリーナだった。


 目の焦点は完全に失っており、足元はただ転ばないように忙しなく動いている。以前に酒場で一緒に飲んだ時はなかなかの酒豪ぶりを発揮していたのが、この日は完全に酒に屈していた。


「マ、マリーナ!? どうしたのよこんなになって」


「ごめんね、本当についさっきまで平然としていたから平気だと思ったんだけど、いつの間にか限界量超えてたみたい」


 力無く足をひきずるようにしてついてきていた取り巻きの女子生徒のひとりが、ぐったりとした顔をナディアに向ける。見たくもないが、頬には明らかに強く口で吸ったような痕まで残されていた。


「あーん、ハインさんってば男の人ばっかり相手にしてるしぃ、変に話しかけたらはしたない女なんて思われちゃうじゃない。そんなのぉ、嫌でしょ」


 マリーナがナディアに覆いかぶさる。貞操の危機さえ感じたナディアは友人を受け止め、必死に顔を離す。


「もう十分はしたない女で、うっ、酒臭い!」


「ほらほら、あんたも飲みましょうよ、んー、ナディアちゃんかわいい、ちゅっちゅ」


「ぎゃああああああ!」


「あっはっはっはっはっは、うら若き乙女の絡み合い、絶景かな絶景かな!」


 いつの間にやら新たに調達してきたビール片手にハーマニーがけらけらと笑う。


 マリーナは酔うと抱き着き魔兼キス魔になる。この方程式はわずか一日にして回復術師科全員の知れ渡るところとなってしまったのだった。




 王都の収穫祭が終わると、出稼ぎの労働者や学生たちは一斉に故郷へと帰省する。収穫作業を手伝いに、故郷の祭りを見物になど理由は様々だが、最大の目的は何より懐かしの家族とともに時間を過ごすためであった。


 ここから2週間、民衆は秋の収穫祭休暇を謳歌する。これは近隣諸国で1000年以上も前から続く慣習であり、王城勤めの宮廷貴族もこの間は業務をストップさせる。


 さすがに治安維持のための兵士たちは年中変わりなく働いているものの、街が静まり返ってしまっては張り合いも無く、多くは腑抜けたようにぶらぶらと歩きまわって時間稼ぎにいそしむのだった。


「さあ、ブルーナ伯爵領行きの魔動車はもうすぐ出発だよ、乗った乗った!」


 城塞の外には各地から魔動車と運転手たちが集まり、帰省する出稼ぎ労働者を送り出すための一大ターミナルが形成されていた。これも王都では毎年見られる秋の風物詩だ。


「僕はあの車みたいだ」


 大きな荷物を背負い、同乗するクラスメイト数名とともに10人乗りの大型魔道車に乗り込むハイン。彼らはこれから2日かけて南東のブルーナ伯爵領へと向かう。


 そんな彼を見送った後、後続の別の魔動車内でマリーナは不満気な顔のまま座り込んでいた。


「ハインさんと同じ車だと良かったのに、とか考えてない?」


 隣のナディアが茶化す。途端、マリーナは一瞬にして耳まで顔を赤らめた。


「な、何を言うのよ、そんなわけないじゃない!」


 頭から湯気が沸き立つ勢いで怒鳴ると、同乗していた別の客が一斉に視線を向ける。気まずくなったマリーナは小さく縮こまって下を向いた。


 初めて出会ってからはまだ短い期間しか経っていないものの、ナディアはマリーナの扱いをすっかりマスターしていた。


「やっぱり、あなたすぐ顔に出るから」


「そ、そりゃあまあ、クラスメイト同士なんだし、みんなでいっしょなら長旅だって嬉しいじゃないの」


 ぶつぶつと零すも、一向に顔は上げない。


「ふふ、マリーナってば。恋は恥ずかしいものではないわ」


「なっ……!!!!!!!?」


 かっと目を見開き、最早返す言葉も浮かばずマリーナは硬直する。


 高名な学者の父と回復術師の母。厳格な家庭に育てられたマリーナは幼い頃から誰から言われることも無く、自分は将来回復術師になるだろうと何の疑問も無く受け入れていた。


 回復術師になるには魔術師専門学校に通わねばならず、そのために6歳の頃から読み書きの基礎を習う基礎学校に通い、12歳になってからは大学や魔術師専門学校への進学を目指す高等教育予備学校で専門教育の素地を学んだ。


 高倍率の受験戦争で生き残るため、机と書物に向き合い続けた少女時代。恋愛など学業の阻害にしかならず、大人になってから良い亭主を見つければ良いとだけ思っていた。


 だが学園に入学してハインと出会い、初めて抱くようになったこの感情。ハインを前にすると、いや、彼のことを考えただけで胸がざわめき落ち着かず、ひどく狼狽してしまうこの気持ちについて、マリーナは本心では正体に気付きながらも理性がその名を呼ぶのに最後の抵抗を続けていた。


 だが今のナディアの一言は、最後の砦である理性をも陥落させてしまったようだ。


「ハインさんは素敵な人。私もあなたも、命を助けられた経験があるのだから十分にわかっているはずよ。あの人を好きになって、何がおかしいというの? もし文句つけてくる人がいたとしたら、その人は人を見る目が全く無いわ。だからほら、自分自身が思うように、心のままに従って何も間違いなんかないわ」


 黙ってナディアの話を聞くうちに、マリーナの顔からは赤みが消える。だが平静に戻ったその顔は、得も言われぬ安らぎで満たされていた。


「そう、これが……」


 マリーナが胸に手を当てて目を閉じる。今全身を駆け巡るこの感情。これを絶対に忘れないでおこうと、彼女は誓っていた。


「おおい、待ってくれ、待ってくれい!」


 そんな時、車の外からのろのろと一人の男が駆けつける。


 そして両手に抱えた荷物を放り込むと、「よっこらせ」の掛け声とともに、重苦しい足取りで車内に上がったのだった。


「ふう、間に合った。歳を取ったら昔ほど速く走れなくなったよ」


 額に滲む汗を拭う初老の男。その顔を見た途端、マリーナとナディアは互いに驚いた顔を見合わせ、そして再びその男の方を向いて二度も驚くのだった。


「ええ、デュイン学園長!?」


 男も「えっ?」とまばたきする。


 今しがた乗り合いの魔動車に乗り込んできたのは、王立魔術師養成学園のデュイン学園長だった。

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