第二章 その7 おっさん、強そうな男と出会う

 重厚な金属製の扉がぐにゃりと折れ曲がり、軽々と吹き飛ぶ。


「な、なんだ!?」


 衝撃と土埃にハインたちは身を伏せていると、ぽっかりと破壊された扉の先から一人の男がずんずんと近づいてきているのだった。


「ようよう、この聖堂なら大丈夫とか抜かしていたのはどこのどいつだ?」


 軽薄な印象の話し口に、破けた灰色のマントで全身を覆ったひょろりと背の高い男だった。腰まで長く伸ばした黒髪と、まだ秋だというのに口元まで赤いマフラーを巻いているおかげで顔はほとんど見えないが、その眼は殺人も厭わないような狂気に血走っていた。


「何者、う!」


 ハインが立ち上がった途端、その胸に鉄球がめり込んでいた。マフラーの男は一瞬の隙も見せず、隠していた鉄球に魔術を込めて投げつけたのだった。


 呼吸が乱れ、膝から崩れるハイン。それを見てフレイは立ち上がり、肩に短刀を刺して縛られたままテラスへと駆け出した。


「待ちなさい!」


 ヴィルヘルムを庇っていたナディアが追いかける。が、マフラーの男が細く長い腕を伸ばして人差し指でナディアを指し示すと、途端彼女は走っている体勢のままピタリと動きを止めてしまった。


「感謝してくれよ、俺はレディには手を出さない主義なんだ。特に、あんたのような綺麗な娘の身体を傷つけるのは忍びなくてね」


「せ、制止魔術! 軍でも使いこなせるのは100人にひとりのはずなのに……」


 ヴィルヘルムが力を振り絞って魔動銃を向けるも、息が切れて照準が定まらず、最早一発の弾丸を撃つこともできない。


「フレイ、さっさとずらかるぞ」


「ま、待て!」


 ハインは今しがた胸にぶつかった鉄球を拾うと、血にまみれた床を這いずりながらふたりを必死で追いかける。


 ようやくテラスに出た頃には、男とフレイは見慣れないソリのような道具にまたがっていた。子どもの遊ぶ木馬にも似ているが、こちらはさらに長く大人3人ほどなら乗れる大きさで、全体が黒光りする金属製だ。


 前に座った男が手元のオーブに手をかざすと、道具ごとふたりが浮き上がる。どうやら浮遊して移動する魔道具のようだ。


 いくら魔術工学が近年発展しているとはいえ、ここまでの発明をハインは見たことが無い。なぜテロリストがこれほどの品を持っているのか、皆目見当がつかなかった。


 だが今は目の前の犯人を捕まえるのが先だ、迷っている場合ではないと、ハインはフレイから奪い取った解呪の腕輪を自分の腕にはめた。


 そして先ほど拾った鉄球を持ち、蒸気を噴出しながら飛び立たんとする男に狙いを定める。


 そして心を研ぎ澄ます。石にタガネを入れる時の、あの明鏡止水の心境を思い出して。


「ぬうん!」


 念じた途端、ハインの手から鉄球が弾丸のように弾き飛んだ。


 だが鉄球は惜しくも男の頭をかすめ、口元を覆っていたマフラーを剥がすのみだった。


「む!?」


 驚いた男が集中を切らして浮遊魔道具が動力を失うも、慌てて再度魔術を注入して体勢を立て直す。


「逃げろ、すぐに!」


 痛みに耐えるフレイの一声とともに、ふたりは空の彼方へと飛び去って行ったのだった。


 その時一瞬ハインを振り向いた男の左頬には、赤色の魔封じの紋章が施されていた。




「ハイン殿、貴方の協力のおかげで無事人質は全員救助できた。ありがとう」


 魔動エレベーターで下に降りたハインは隊長から直々に敬礼された。


 聖堂に軍が突入するや否や、ナディアを人質にとられ動けなかった僧侶は魔法を使える者が中心となって一気に抵抗、軍との挟み撃ちで立てこもり犯は呆気なく捕らえられた。


 重賞のヴィルヘルムは急遽回復術師とともに病院に運ばれ、ナディアも大きめの軍服を羽織らされて兵の詰め所に案内されたのだった。これからフレイに関しての聞き取り調査を受けるのだろう。


「いえ、肝心の犯人は取り逃してしまいましたし、それと……大切な短刀を持っていかれてしまい、本当に申し訳ありません」


「いやいや、人質の命に替えられる物は無い。むしろ役立ったと聞いて私は満足しているよ。ところで、フレイを連れ去ったその男、確かに右頬に紋章が入っていたのだな?」


 隊長は険しい目つきでハインに尋ねる。


 下からも男が空を飛ぶ魔道具に乗ってテラスから中に入って行ったのは見えたらしい。仲間だと察知して狙撃魔術で撃墜を試みたものの、的が小さい上に素早く動き回るので当たらなかったそうだ。


「はい、赤色の魔封じの紋章が描かれていました。あの模様はブルーナ伯爵領のものです。昔住んでいたことがあるので見覚えがあります」


「伯爵領か……あそこは隣国との国境沿いだから、外国と連絡を取るパイプがあるのかもしれない。考えたくはないが、領主が王家に反意を抱いて」


「そのようなことはあり得ません!」


 ハインは語気を強めた。が、すぐに目を丸くして「し、失礼しました!」と頭を下げる。


「いや、私こそ憶測で話してすまなかった」


 隊長は気にするなと手を振る。だが彼が邪推するのも当然と言えるだろう。


 あのような浮遊魔道具は誰も見たことも聞いたことも無く、とても反王政派が個人で用意できたとは思えない。この事件の裏にはまだ大きな組織が関わっていると考えるのがごく自然だった。




 その後2日間は教員が事件の処理に追われ学園は臨時休校となった。


 だが生徒たちはせっかくの休日でも遊ぶ気にはなれず、陰鬱とした気分で過ごしていたのだった。


 そんな中、回復術師科の1年生はいつものカフェで集まってナディアの無事を喜んでいた。


「ナディア、夜はちゃんと眠れているかい?」


「ええ、おかげさまでぐっすりと」


 ハインの質問に苦笑いで返すナディアだが、だが目の下は薄青いクマで縁取られていた。昨日一昨日とずっと軍に協力して聞き取り調査を受けていたので、すっかり疲れ切ってしまっていた。


 聞けばフレイの攻撃を受けたフレベル学科長も大事には至っていないそうで、この事件での死者は奇跡的にゼロだったという。一番の重傷者はあのナディアにナイフを突きつけて右手を吹き飛ばされた男だろう。回復魔術でも切断の場合、特に粉々になってしまってはもう戻せない。


「ナディア、本当に無事でよかったわ」


「あなたがいないと、誰がノート見せてくれるのよ」


 クラスの仲間たちから次々と言葉をかけられ、「ありがと」と返すナディア。辛いこともあっただろうに、この娘は本当に強いなとハインはコーヒーをすすりながら思った。


 その傍でかつての取り巻きたちに囲まれながら、マリーナがコーヒー片手にぼそっと呟く。


「それにしてもブルーナ伯爵領って、怖いわね。私、伯爵領に親戚が住んでいるから秋の収穫祭休暇には家族で訪問しようと思っていたのに」


 聞くなりハインは顔を向けた。


「奇遇だね、僕も知人が伯爵領に住んでいるから、休暇には伯爵領を訪ねようと思っていたんだ」


「ええ、本当!? じゃあせっかくですし、いっしょに行きましょうよ!」


 マリーナの声にたちまち活気が宿る。


「ふふ、マリーナってば露骨すぎ」


 ナディアが吹き出しそうなのを必死で抑えているのを見て、マリーナが顔をぽっと赤らめる。そして慌てて取り巻きたちに尋ねたのだ。


「みんなは休暇中どうするの? ナディアも実家に帰る?」


「ううん、読書でもしながらのんびり過ごそうと思っていたの。予定は無いわ」


「私も」


「そう、じゃあちょうどいいわ。伯父さんのお屋敷、広いからこれくらいの人数なら泊まっても大丈夫よ。伯父さんのことだからみんな歓迎してくれるわ」


「やったあ!」


 盛り上がる女の子たち。相変わらずナディアは口元を押さえたまま身体を震わせていた。


「おうハイン、こんな所にいたか……」


 突如カフェの扉が開けられ、巨大な影がのっしのっしと近づく。だがその歩みに力強さはまったく無い。


 すっかりやつれ果てたヘルバール先生だった。彼はここ2日、ほとんど眠れていない。


「ヘルバール先生、もうお仕事は終わったのですか?」


 マリーナが尋ねると、先生は力なく頷く。


「ああ、今日はな。ハイン、せっかくだし飲もうぜ」


「そうだな。みんな、また明日ね」


 ハインは立ち上がり、コーヒー代を置いてそそくさと店を出た。


 これは私たちがいては邪魔だろう。そう読んだ生徒たちは皆無言のまま、彼らを見送ったのだった。


「本当に大変だったな」


 近くの酒場に移ったハインとヘルバールは、カウンターに並んで座った。注文もいつものビールではなく、度の強いウイスキーだ。


「ああ、ただお前のおかげでフレイが殺人犯にならずに済んだ。お前には感謝してもし切れないよ」


 話しながらヘルバールは小さなショットグラスを傾け、一気に流し込んだ。


「でもな……あいつは本当に成績優秀で品行方正、生徒からも教員からも信頼される模範生だったんだ。でもまさか反王政主義の裏の顔を隠して、ずっと機会を窺っていたなんて……もっと早く気付くべきだった」


「ヘルバール、お前に責任は無いよ」


「ああ、だがフレイを模範生に選んだ責任を取って軍事魔術師科の学科長は停職、デュイン学園長は辞職が決まった。俺ら末端の教員は表向きは無罪放免だが、これからずっと償えない責任を背負っていかなきゃならねえ。いっそのこと何か処分でも受けた方が気が楽だったよ」


「そんなこと言うなよ。お前には守るべき家族もいるだろ、俺と違って」


「ハイン、お前だって他人事じゃないぜ。知ってるぞ、お前の入学はデュイン学園長の進言がなければ叶わなかったって。その学園長がいなくなるんだ、後ろ盾が無くなったら、いつフレベル学科長がお前を除籍処分にしてもおかしくないぜ」


「そりゃそうだけど……一度入学してしまったならそう簡単に除籍処分とはならないんじゃないか?」


「わからんぜ、フレベル学科長は選民意識の塊だからな。学園で務めているのも命令されているからで、本心では大学で研究を続けたいと思っている。まあ、うちの教員は養成学園上がりの俺みたいな奴以外、大半はそう思っているんだろうがな」


 そう言うとヘルバールはずっと手に持っていたグラスを叩き付けるように置く。そしてカウンターに突っ伏すと、顔を伏せて涙混じりに独り言ち始めたのだった。


「フレイ……本当にどうしちまったんだよ。最初からこうするつもりだったのか? なあ、教えてくれよ、フレイ……」


 見ているのも辛く、ハインは自分もウイスキーを注文した。酔わなければやっていられない気分だった。

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