第二章 その2 おっさん、初めて魔術を使う
翌日、初めての総合魔術実践の授業を迎え屋外に出ていた回復術師科1年生たちの前には大男が立っていた。
「今日の授業を担当する軍事魔術科のヘルバールだ。よろしくな!」
昨夜酒場で同じ机に座ったばかりの大男との予想外の再会に、マリーナとナディアはあっと嬉しそうに驚いた。
総合魔術実践で学ぶ物体の浮遊や発火などは基礎中の基礎、魔術師ならば誰もが使えて当然の内容に過ぎない。専門の研究者が授業を担当するこの学校において、この授業に関してはそもそも専門という概念自体が存在しないのだ。
よって異なる学科であっても総合魔術実践の授業に関しては普段から最も実践に重きを置いている軍事魔術師科の教員が担当する。
だが女子生徒たちの関心は筋骨隆々の教員ではなく、その脇に控える両手で木箱を抱えた少年に向けられていた。
軍事魔術科の在学生の証である緑のローブをまとい、きりっと凛々しい顔立ちに流れるような金髪を後ろで束ねた彼の姿は、大半の年頃の少女たちにとってはこの上なく魅力的に映っていた。
「ふむ、普段はむさ苦しい野郎どもの相手しかしないから、君たちみたいなうら若い女の子を見るとやる気も出るもんだな。若干1名、該当しない奴もいるようだが」
どっと沸き立つ生徒たち。ハインは苦々しく「ひどいなぁ、酒場での話をみんなに広めるぞ」と反論するも、ヘルバール先生は笑い飛ばすばかりだ。
「それから今日はアシスタントもいる。軍事魔術師科3年生のフレイだ」
「よろしくお願いします、フレイです」
先生の脇で少年が恭しく礼をした途端、女子生徒からきゃっと黄色い歓声が上がる。彼はこの一瞬でクラス中の女子のハートをつかんでしまったようだ。
「それでは今日は実践なので、みんなには『解呪の腕輪』を着けてもらう。フレイ、配ってくれ」
フレイは女子生徒たちの傍まで近付くと、手にした木箱の中身を見せつけた。
少女たちは木箱の中から金属製の黒く塗られた腕輪をひとりひとつずつ取り出すが、その視線は箱の中身とフレイの顔とを交互に移していた。
この国では生まれたばかりの子は身体に魔封じの紋章を施される。無許可の者の魔術の使用を防ぐのが最大の目的だ。
これを免れるのは生まれながらに魔術の使用を認められている貴族階級だけであり、もしも平民が子供に魔封じの紋章を施さなければ一族全員が厳しい罰を受ける。
背中や腕など施される場所は様々で、その模様も地域によって多種多様だ。これには同時に通し番号も施されており、その模様と番号によって出生地や生年月日もわかるため一種の身分証明としても利用されている。
この紋章は成長しても消えず、消し去るには魔術師として認められて解除魔術をかけてもらわねばならない。領主や役人はこの紋章を基に戸籍を整理し、税務処理や警察活動を行っている。
学園に入学した者は特定の授業時間中のみ、封印を装着している間だけ解除する『解呪の腕輪』を渡されて実践的に魔術の練習を積むことができる。当然ながら流出して野良の魔術師が増えないよう、この腕輪は原則持ち出し禁止であり普段は厳重に保管されている。
「さて、みんなは魔術を使うのは生まれて初めて、という子がほとんどだろう。そこで今日はこれをやってもらう」
そう言うとヘルバール先生はポケットからごそごそと革製の小さなボールを取り出すと、握っていた手を広げた。
直後、ボールはふっと浮かび上がり、掌の上数センチの所を静止する。
たちまち生徒たちから歓声が上がる。普段よく見る魔術は魔道具を介したものが多く、直接目にする機会はなかなか無いのだ。
「力み過ぎたら遠くに飛んで行っちまうし、かといって繊細になりすぎたら全然動かない。要はイメージと集中力、まあ習うより慣れろだ。フレイからボールをもらったら、各自始めてくれ」
その後ボールを受け取った生徒から実践練習を開始する。ヘルバールが綿でもつまむように軽々と浮かびあげたあの姿をイメージしながら。
「えい!」
「だめだ、全然動かない」
だが初心者ばかりの生徒たちは誰もが苦戦していた。掌の上をコロコロと転がるだけであったり、持ち上がってもすぐに落ちてしまったりとなかなかうまくいかない。
悪戦苦闘する生徒にフレイが近付いて手取り足取り教えるも、他の女子生徒たちは嫉妬の炎を燃やすので余計に練習に身が入らないようだ。
「ああーもう、うまくいかないなぁ」
ナディアは掌の上でしんと鎮座するだけのボールを眺めてため息を吐いた。いくら力んでも念じても、ボールはほとんど動いてくれないのだ。
「ナディア、コツはじっとボールを見つめることよ。こうやって」
隣からマリーナが手を前に突き出し、「むん」と強く念じる。直後、ボールはふわふわと浮き始めたのだ。
「凄い、どうやったの!?」
歓声とともに駆け寄る女子生徒たち。いつもなら得意げなマリーナもこれには照れ笑いを浮かべていた。
「まあ昔からお父様に教えてもらっているからね」
「そういえばマリーナ貴族だったわね。お嬢様、とんだご無礼失礼しました!」
「そんな畏まらないでよ。私が生まれる前に大学の研究員だったお父様の成果が認められて爵位を授かっただけだから実質平民よ」
そんなマリーナ女子生徒の人だかりの後ろから覗き込んでいたハインはじっと彼女の手元を観察する。
特別手の構え方に決まりがあるわけではない、本当に念じる力、イメージだけなのだろう。
「なるほど、じっと見つめる、か」
ハインは手に置いたボールを見つめ、その重心はどこかと探る。そこを持ち上げるようなイメージを作れば初心者でもうまくいくかもしれない。
「……ふん!」
持ち上がれ! ハインは強く念じた。
途端、すさまじい反動をともなって手元を離れたボールは、打ち上げ花火のように真上に飛び上がった。
ボールは空高く空高く、地上からはゴマ粒より小さくしか見えないほどまで跳ね上がると、やがて上昇を止めて落下する。
重力で加速したボールは地面の芝生に叩き付けられると、何回か反発して跳ね返った後コロコロと転がっていった。
転がっていくボールを無言で見つめていたハインに女子生徒たち。やがてボールが止まると、生徒たちは決壊したように一斉に笑い始めたのだった。
「ハインさん、ワイルドすぎ!」
「見た目だけじゃなくて魔法もパワフルなのね」
「はっはっは、こりゃ参った参った」
もう笑うしかないと豪快に笑いながら、そそくさとボールを拾いに行くハイン。
しかしヘルバール先生は言葉を失い、その様子を茫然と見つめていた。
授業後、校舎に戻ろうとするハインをヘルバール先生は呼び止めた。
「どうしたんです先生?」
「いや、先生はいい。今はお前の飲み友達のヘルバールとして訊いた方がいいだろう。お前、魔術の使用は初めてって言ったけど、本当か?」
飲み友達が初めて見せる神妙な面持ちに戸惑いながらも、ハインは正直に答えた。
「ああ、本当だぞ」
真摯に向けられたハインの瞳。ヘルバール先生は嘘偽りは無いようだと悟り、話した。
「念力魔術の使用にはコントロールが必要だが、それ以前に十分な魔力の伝達が必要だ。十分な量の薪が無ければ炎もそれ以上大きくはならないように。だがあれほどの運動エネルギーを一瞬で生み出すのは軍用魔術師科の学生が訓練を重ねてできるレベルの芸当だ。魔術の使用に関しては素人のお前があそこまでできるのは正直予想していなかった。一体どうやったんだ?」
「何て言うんだろう、石にタガネを打ち込む時のあの研ぎ澄ました一彫りを入れる感覚。あのイメージで魔力を送り込んだら、思ったより強く飛んでいっちゃったんだよな」
「そうか……」
ヘルバールは理解した。きっとハインは石工という経験から、日々極限まで集中力を高めるのに慣れているのだと。
石は一回でもタガネを入れ間違えれば元には戻せない。そんな細心の注意を払う作業を一日に何時間も続けるには、人並外れた忍耐力と集中力が必要になる。作業の合間に休憩を挟んでも、再開すればリラックスから集中状態に一瞬で切り替えなければならない。
20年以上石材と向き合い強靱な精神を培ってきたハインと、試験のための勉学に青春をかけてきた若い学生。魔術の使用に必要な精神のコントロールにどちらが長けているか、考えるまでも無い。
「そのイメージじゃ勢いが強すぎる。お前の場合はもっと優しく……そうだな、猫を撫でるくらいの繊細さでちょうど良いかもしれない」
「ああ、わかったよ。今日も飲みに行くか?」
「そうだな、嫁さんが首を縦に振ってくれるなら。フレイ、片付けに行くぞ」
ヘルバール先生はハインを見送ると、フレイとともに授業で使った解呪の腕輪とボールを持って校舎内の倉庫に運び込んだ。
「ヘルバール先生、よろしいですかな?」
倉庫に向かう最中、突如声をかけられたヘルバール先生は振り返る。
「これはフレベル学科長。いかがなさいましたか?」
回復術師科の学科長、古風なカツラをかぶったフレベル先生だった。所属が違うので直接的な関りは無いものの、会議でよく顔を合わせるので名前は憶えていた。
「うちの1年生はどうですかな? 今日初めて魔法を使ってみた生徒がほとんどだと思うのですが」
「ええ、みんな初めてにしてはよくできています。モンテッソーリ君が他の子にも教えているので、呑み込みも早いですよ」
「そうですか。ところで、ぺスタロット君はどうですかな? その……妙な力を使えたりはしませんでしたか?」
「ハインのことですか? たしかに石工をしていた経験から凄まじい集中力を備えていますが、力の制御はまだまだ、実用まではもっと訓練が必要ですよ。それ以外はこれと言って変わったところはありませんが」
「そうですか、それならよかった」
良かったと言いつつも不満げなフレベル先生に、ヘルバール先生は首を傾げた。
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