第一章 その5 おっさん、謹慎処分を食らう

 転落事故から数日後。魔術師養成学校の玄関前に魔動車が停車するなり、校舎の中から待ち構えていましたとばかりに多くの女生徒たちが溢れ出した。


「マリーナ、お帰り!」


「怪我はどう?」


 彼女たちは不安げな目で退院したばかりの級友を出迎える。


「ただいま、すっかり治ったわ」


 マリーナは笑いながら運転手の用意した踏み台を使ってゆっくりと魔動車から降りる。バゼドウ先生の回復術は効果覿面で、あと2日ほどすれば走り回れるようにまでなるそうだ。


「良かったぁ」


 ほっと息を吐く生徒たち。


 だが当のマリーナは出迎えに来た生徒たちをぐるりと見回し、「ん?」と首を傾ける。そして近くにいたナディアに尋ねたのだった。


「あのさ……ハインさん、どこにいるの?」


「……聞いてないの?」


 口を噤みながら尋ね返すナディアにただならぬ予感を察知しながら、マリーナはこくんと頷く。


「……ハインさんね、謹慎ということで別室に入れられて、私たちと接触できないようにされているの」




「学園長、やはりあの者を入学させたのは間違いだったのです!」


 役員や教員の居並ぶ会議室。声を荒げるのは回復術師科の教員を束ねる学科長のフレベル先生だ。伝統を重んじる彼は今日ではすっかり珍しくなった巻き毛気味のカツラを人前では常に被っている。


 そのおかげで小さなメガネに気難しそうな顔つきと合わさって、見た目も中身も偏屈なおじさんぶりが加速していることには彼自身気付いていない。


「誇り高き回復術師の卵が、あのような先時代的な治療行為を取るなど決して許されるものではありません。根拠のない民間療法で傷が悪化したらどう責任を取るつもりだったのですか!?」


「しかしフレベル先生、あの場には回復術師の資格を持つ者はおりませんでしたし、実際に病院の回復術師はあの応急処置のおかげで悪化が食い止められたと報告しています。そもそも彼がいなかったら転落した彼女を救い出すこともできませんでしたし、退学勧告は重すぎるのではありませんか?」


 窓際の机に一人座るデュイン学園長は禿げ上がった頭をくいくいっと動かしながら諭すものの、フレベル学科長は首を強く横に振った。


「いいえ、どちらにせよ魔術師養成を目的とした我が校の学生が学術的裏付けのない行動を取ること自体が問題なのです。効くか効かぬかわからぬ処置を受けたモンテッソーリ男爵のお嬢さんがどれほど恐ろしい思いをなされたか、お考え下さい!」


 役員席に座る一人がぴくりと震えた。巻き髭にオールバックの金髪と気品ある佇まいのこの男性こそ、マリーナが父モンテッソーリ男爵だ。


「確かに、ハイン君の取った行動は性急で軽薄だったと言えます」


 男爵が重々しく口を開くと、学科長は「でしょう?」としきりに頷いた。


「しかし……結果として娘が助かったのは紛れもない事実。私は彼にどうこう言うことはできません」


 学科長が「あれ?」とずっこけるが、すぐに白い歯を剥き出して男爵に吠えたてる。


「何を弱気になっているのです! 結果論では良かったのかもしれません。ですがそもそも彼の行為は――」


「先生方、役員の皆様、失礼します!」


 突然のことだった。重厚な会議室の扉が勢いよく開かれ、威勢の良い女の子の声が室内に響き渡ったのだ。


「マリーナ……!」


 モンテッソーリ男爵が立ち上がった。


 会議室に現れたのはマリーナ、それにナディアはじめ回復術師科1年生の女子生徒たち39人。


 彼女たちは皆じっと口を閉ざし、固い決意を浮かべた目を教員たちに向けながら次々に入室すると、誰が指示するまでもなくマリーナを中心に横に広がる。


「話しはお聞きしています。ハインさんを退学処分にしようというのでしょう!?」


 マリーナがよく通る鋭い声で尋ねる。フレベル学科長は面食らいながらも「ええ、その通りです」と答えた。


「なぜですか、あの方は私の命を救ってくださったのです。ハインさんがいなくては今私はこの場に立ってはいなかったでしょう。もしそうなれば引率教員のパーカース先生はもちろん、デュイン学園長やフレベル学科長も責任を取らざるを得なかったのではありませんか?」


 席についていたパーカース先生が顔を伏せ、学科長はうっと小さく唸る。


 マリーナは続けてまくし立てた。


「私たちは回復術師は誇り高き職業であると再三聞かされていますし、実際にそう思っています。ですがそれは回復術の腕を見せつけて人々の尊敬を集めるというわけではありません、目の前で苦しむ人を救うことにこそ本分があると考えています。救助の最中、ハインさんは救える人なら救う、それだけだと仰いました。回復術師としての心構えは、ここにいる誰よりもハインさんにこそ備わっているのではないでしょうか?」


 元来気の強い彼女だ、相手が何者であれ口喧嘩で1歩も退くつもりは無い。


 言い返す言葉を探す学科長に、彼女はさらに追い討ちをかけた。


「先生方のやろうとしていることはただハインさんに責任をなすりつけているだけです。ともかく私たちはハインさんに退学勧告を下すことに反対します。もしハインさんに処罰を与えるのだとしたら、私たち全員今すぐ退学届けを提出しましょう!」


 そう言ってローブの裾から白い小さな紙を取り出す。それは自主退学届け、せっかく入学して得た学ぶ権利を放棄する意思表示だ。


 マリーナに続き、女子生徒全員が同じく裾から退学届けを広げる。この書面は自主的な意思の現れであるため、教員が受理を拒むことはできない。


「皆さん、落ち着いてください!」


 学科長が慌てて手を振りながら駆け寄る。1年生全員が自主退学などすれば、それこそ学園の恥、国の顔を汚すスキャンダルだ。当然、学科長である自分が責任を取るはめになる。


「マリーナ!」


「お父様、ごめんなさい。でもこれは私たち39人全員の総意、回復術師の卵としてこればかりは譲れません」


 父であるモンテッソーリ男爵の怒号にマリーナは少々表情を渋らせたものの、その決意は揺るがなかった。


「わかりました。あなた方がそこまで言うのなら、今回の件は水に流しましょう!」


 フレベル学科長はついに折れ、大きくため息を吐きながら項垂れる。


 学園長もほっと一安心して表情を緩めると、朗らかに言うのだった。


「そうですな、ハイン君に責任を負わせるのはやはり理に適っていない。モンテッソーリ君も無事退院できたことですし、良しとしようではありませんか」


「ありがとうございます」


 深々と礼をして会議室を去る39人。


 最後に退室する娘の背中を見ながら、ずっと黙っていたモンテッソーリ男爵は「それでこそ私の娘だ」と誰にも聞こえないほどの小声で呟いたのだった。

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