第一章 その3 おっさん、病院を見学する

「生き物は魔術の刺激を感じるとそれに反応します。自然治癒能力が活性化されるもの、逆に損傷してしまうなど様々で――」


 ヘレン・パーカース先生の生体魔術反応の授業は相変わらず終始淡々と一本調子に話すだけで、多くの学生が既に辟易していた。パーカース先生は王立大学を卒業している才媛だそうだが、教員としてはいささか不適格だと言わざるを得ない。


 入学式から一週間。今期の授業の担当教員とは一通り顔合わせも終わり、生徒同士も互いに人となりを徐々に理解し始める時期だ。


 女子同士の仲良しグループも徐々に形成され、学級内での権力構造も徐々に明らかになってくる。


 しかしここに来てハインは多少浮いていた。


 マリーナはじめ一部の学生は明確にハインへの嫌悪を露わにしており、ナディアはじめ穏健な学生もマリーナらの監視を恐れてハインとは距離を置くようになっていた。


 そんな空気を感じてか、ハインも学内では口数少なく自ら積極的に周囲と関わろうとはしなかった。ただ授業には人一倍熱心に参加し、休憩時間には学内に併設された図書館を訪ねて本日習ったばかりの内容に関する書物を読んでいることもあった。


 そんな日々がしばらく過ぎたある日、回復術師科の新入生たちは王都郊外の病院を訪れていた。


 プロの回復術師が普段どんな仕事をしているのか、それを見学するのが目的だが、さすがに40人が一斉に押し掛けるには手狭なので、2か所の病院を20人ずつに分かれて訪問したのだった。


 パーカース先生に引き連れられたグループは10人ずつが2台の魔動車に分乗し、王都東側の山を越えた先の村に向かう。


 この魔動車というのは魔術師が移動用魔術を用いて駆動する車であり、外見は馬のいない幌馬車といったものだ。御者台に座った魔術師が手元の水晶玉に手をかざすことで車輪に魔力を伝え運動エネルギーに変換する構造で、王都から近隣の町に行くときには広く使われている。


「本当、なんであのおっさんが一緒なのよ」


 そんな魔動車に揺られながら、マリーナは頬を膨らませる。今日は小雨も降っており自慢の金髪も水気を吸って鬱陶しいので機嫌はすこぶる悪かった。


「そりゃ同級生なんだから仕方ないよ」


 ナディアはマリーナを宥めつつも、ここにハインが同乗していなくて本当に良かったと密かに安心していたのだった。


 木に囲まれた山道を抜けると、突如視界が開け広大な平原が眼下に広がる。勉強を強いられてきた箱入り娘の新入生たちにとってはなかなか拝めない光景で、雨の中でも驚きの声を上げて外の景色に見入っていた。


 郊外の村は収穫を目前に控えた麦畑が広がっており、所々風車や家屋の建つ平坦な土地に石造りの立派な病院がぽつんと聳えている。


 その病院の正面玄関に2台の魔動車を横付けし、濡れないようさっさと中に入れられる。


 新入生20人とパーカース先生は早速病室に案内された。


 広いダンスホールのような室内にいくつものベッドが並べられ、包帯を全身に巻かれた人や病気ですっかりやせ細っている人が寝転がっている。


 そんな彼らの包帯を取り替えたり、患部に手をかざし回復術を唱えたりして忙しく動き回っているのが回復術師だ。


 白いローブをまとい、傷病者の治療に専念する彼らの姿は実に頼り甲斐があった。


 病室内では5人の回復術師が治療に当たっていたがその内4人は女性だ。ひとりだけ総白髪の男性が痛い痛いと泣き叫んでいる男の子の腹部に淡い光に包まれた手をかざして回復術を施している。


「ふむ、下腹部に妙なエネルギーの滞留を感じる……寄生虫だろう。今、痛みを無くしてあげよう」


 その老回復術師の背中を見るなり、集団の中にいたナディアが表情を緩めると一歩前に出た。


「バゼドウ先生、お久しぶりです!」


 その声に回復術師が振り返ると、彼はすっかり皺だらけになった顔を余計にくしゃくしゃにして笑い返したのだった。


「ナディア、久しぶりだね。制服も似合っているじゃないか」


 老回復術師ヨハン・バゼドウは男の子から手を放してナディアに近寄る。男の子はすっかり痛みも退いてしまったようでけろりと泣き止んでしまった。


「ええ、私が回復術師を志したのもバゼドウ先生のおかげです。本当にありがとうございました」


「それは良かった、私もナディアがそう思ってくれて心から誇りに思うよ」


 言葉を交わしながら軽くハグするふたり。傍から見ると祖父と孫娘のようだった。


「お知り合い?」


 脇にいた生徒が尋ねると、ナディアは「うん」と頷き返した。


「私、この村の出身で勉強はバゼドウ先生から教わったの。いつかこの病院で村のみんなの怪我や病気を治すのが私の夢なんだ」


 目を輝かせて話すナディアに、バゼドウは優しく微笑んでいた。


 王立魔術師養成学園には国中から優秀な学生が集まる。学校も整備され教育の機会に比較的恵まれた都市だけでなく、教会くらいしかまともな読み書きのできる人材のいない田舎からでも、才能豊かな子供は領主や教会の支援を受けて受験させてもらえることがある。


 ナディアの住むこの村は王都に近いこともあってまだ恵まれている方だが、彼女の身分は農民であり両親は読み書き計算もおぼつかない。だがある時、回復術師のバゼドウが幼いナディアの聡明さに気付き、熱心に教育を与えた賜物が今日の彼女なのだ。


 自分の人生に大きな選択肢を提示したバゼドウを、ナディアは実の親のように慕っていた。




 病院見学の帰り道、雨は止んだものの再び降り出しそうな重苦しい雲が相変わらず空を覆っていた。今年の夏は雨が多く、秋を迎えた今も湿っぽい日々が続いている。


 生徒10人ずつを乗せた2台の大型の魔動車が狭い山道を慎重に進む。ここは山の斜面に沿って作られた蛇行する道で、下手すれば谷底に真っ逆さまだ。


「ふう、あの暑苦しい姿を見なくていいってだけでこんなに清々しい気分になるものね」


 椅子に腰掛けたマリーナが都合よく同乗した自分の派閥の生徒たちに言い放つと、他の生徒たちも堰を切ったように口を開く。


「そうね、ナディアも何であんなおっさんになついているのかしら」


「あのバゼドウ先生も男性だったし、ナディアってばああいう年上の男の人が好みなんじゃないの?」


 この場にいないからと様々な憶測を立てる女生徒たち。彼女たちはこうやって何かを罵ることで結束を確かめるのだった。


 だがその時、順調に走行していた魔動車ががくんと傾き、何人かの生徒が椅子から転げ落ちてしまった。


「ちょっと、どうしたのよ!」


 御者台に座る魔術師に怒鳴るマリーナ。備え付けられたオーブを握りながら、フード付きの汚れたローブを着た男性魔術師は苦笑いで返した。


「車輪がぬかるみにはまっちまったみたいだ。すまんがちょっと降りてくれ、すぐに抜け出すから」


「もう、早くしてよね」


 はあとため息を吐きながらもマリーナは車から飛び降りる。他の少女たちも彼女に続いてぞろぞろと台車から降りた。


 先を行く魔動車が止まったせいで道を塞がれ、後ろをついてきていた魔動車からも生徒たちが飛び降りる。


 ハインも皆と一緒に車を降りるが、車の後ろに回り込んでぬかるみにはまった車輪を押し出そうとする魔術師の姿を見るなり状況を理解し、ローブを脱ぐと駆け寄ったのだった。


「手を貸そう」


 半袖シャツのおかげでさらけ出された逞しいハインの肉体に魔術師は「おおっ」と感嘆の声を上げた。


「すまんね、あんたみたいに屈強なのがいたら頼りになるよ」


「困ったときはお互い様だよ」


 そう言って車体を押し出そうとするハイン。


 その時、突如として雷鳴が轟いた。


「きゃ!」


 空を引き裂かんばかりの轟音に、マリーナは耳を押さえてうずくまる。


「あはは、かわいい悲鳴」


 ここぞとばかりに取り巻きの女生徒たちが茶化し、マリーナは顔を真っ赤にして「うるさい!」と怒鳴り返した。


 だがそんな中、背後の山の斜面からコロコロと小石が転がってくるのには誰も気付いていなかった。


 小石は次々と山道に注ぎ、パラパラと道に散らばる。笑い合う女の子たちは足元のその異常に一向に見向きもしない。


「ん?」


 最初に気付いたのはハインだった。そしてすぐさま顔を青ざめ、魔動車を押していた手を放しその場から駆け出す。


「危ない、みんな今すぐここから離れろ!」


 あまりに突然の事態に、誰もがぽかんと口を開いたまま固まった。


「どうしたんですか、ハインさん?」


 ひとりただ事でないと察知し、慌てて訊き返すナディア。


「土砂崩れだ! 山が崩れるぞ!」


 聞くなり「ええっ!?」と声を揃える彼女たち。


 直後、ゴゴゴという地響きとともに、斜面に生えていた木々が傾き始める。木の根では押さえ込めないほどの水分を吸い、ついに地盤が崩れ始めたのだ。


「きゃあああああああ!」


 悲鳴を上げながら逃げ惑う少女たち。そんな彼女たちに濁った泥水が容赦なく襲い掛かる。




「みんな、大丈夫?」


 ぜえぜえと息を切らしたパーカース先生は、地面に這いつくばりながらも言葉を絞り出した。


「ええ、無事です」


 頭から足まですっかり泥だらけになった女子生徒のひとりが親指を立ててサインを決める。まさかこの歳になって泥だらけになるとは、思ってもいなかったと言いたげだ。


 幸いにも土砂崩れの規模は小さく、2台の魔動車が横転した程度で済んだ。それでも山道は泥で埋もれてしまったが。


「ああ、俺の仕事道具が……」


 魔動車の運転手である魔術師ふたりは泥に汚れた車を前に茫然と立ち尽くしていた。生徒たちは彼らの哀愁漂う背中を見てひどく同情した。


「ねえ、マリーナはどこ?」


 泥水に濡れたローブを絞りながら、生徒のひとりが口を開く。いつもの彼女なら「ああもう! 本当についていないわ!」なんて文句を垂れているはずなのにと軽い気持ちで尋ねたつもりだった。


 だが聞くなり生徒たちが顔を見合わせて硬直する。


「そう言えば……いないわ!」


「ちょっと、本当にどこ行ったの!?」


 誰もが慌ててあっちこっちに視線を動かす。木の裏にも道の向こうにも、彼女の姿はどこにも見えない。


「そうだ、確かあの時マリーナは私のすぐ後ろにいた。でも、気が付いたら……」


 女子生徒の一人が恐る恐ると顔を動かす。その先は落差15メートルほどの深い谷。


 その谷底に生い茂る木々の隙間からは汚れた白いローブが見え隠れしていた。

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